
100年前の花の絵が、いま見ても新しい。しかも、その原画が川越から見つかったというのです。
大きな花びら、細い茎、すっと伸びた葉。植物の形を丁寧に描いた『非水百花譜(ひすいひゃっかふ)』。
でも、少し不思議です。
日本のグラフィックデザインを切り開いた人物が、なぜ植物を100種類も描いたのでしょう。
しかも、その画家は愛媛県生まれ。なぜ、川越の美術館で生誕150年の特別展が開かれているのでしょうか。
答えをたどっていくと、花の写生から広告デザインへ、そして戦時中に川越へ託された作品へと、意外な一本の道が見えてきます。
川越市立美術館では、2026年10月17日(土)から12月13日(日)まで、特別展「生誕150年 杉浦非水と『非水百花譜』」を開催中です。
10月28日付のテレ玉ニュースでも、約300点の作品を紹介。さらに11月14日、12月1日、12月6日は特別展を無料で観覧できます。[1][2]
THE FIRST QUESTION
なぜ、デザインの先駆者が花を100種類も描いたのか?

杉浦非水(すぎうら・ひすい、1876〜1965年)は、明治から昭和にかけて活躍した図案家です。
図案家とは、今でいうグラフィックデザイナーに近い仕事。広告やポスター、本の表紙など、伝えたいことを形や色で表現する人です。
非水は三越のポスターや印刷物などを手がけ、日本の近代デザインを切り開いた人物の一人として知られています。
そんな人が取り組んだのが、植物を描いた『非水百花譜』でした。
1920年から1922年にかけて春陽堂から刊行されたこの作品は、全20輯(しゅう)・100図、600部限定の木版植物画集です。
20輯とは、20回分に分けて刊行された作品群のこと。つまり、5図ずつ20回にわたって世に送り出された、かなり大がかりな画集でした。[1]
ここで気になるのは、なぜ広告や装飾のための完成した図案ではなく、植物の写生をまとめたのかということです。
川越市立美術館の解説によれば、非水は写生を図案家に欠かせない修練と考えていました。
まず本物の姿をよく見る。花びらがどう重なり、葉がどの方向に伸び、茎がどんな曲線を描くのかを確かめる。
そこから、人に伝わりやすい美しい形をつくる。
つまり、花の絵は単なる趣味ではなく、デザインの土台でもあったわけです。
「植物をきれいに描く技術」と「広告を魅力的に見せる技術」は、別々の仕事に見えます。
でも、形を観察して、特徴をつかみ、印象的に伝えるという点ではつながっています。
さらに非水は、植物の解説に使う実物写真の多くも自ら撮影していました。
絵を描くだけでなく、写真も撮る。植物を多角的に見つめていたことが分かります。[1]
ところが、今回の展覧会では、完成した木版画だけでなく、その前段階にあたる原画まで並べて見られるのです。
そこに、もう一つの面白さがあります。
THE SECOND QUESTION
原画と木版画を並べると、何が分かる?

『非水百花譜』は木版画です。
木版画は、原画をもとに版木を彫り、色を重ねて刷り上げる技法。完成作品には、非水の描写だけでなく、彫りや摺りの職人技も関わっています。
つまり、最初に描いた絵と、印刷された完成品は同じものではありません。
今回の特別展では、原画と完成した版画を対比させて展示しています。
例えば、ハスの原画と、1921年に刊行された『非水百花譜』第15輯の「はす」。制作の出発点と完成形を見比べられる組み合わせです。[1]
どの線が生かされ、色彩や表現がどのような印象になったのか。
完成した作品だけを見るのとは違い、一枚の絵が作品へと仕上がっていく過程を考えられます。
しかも、今回の展示には、実際には版画にならなかった原画も20点以上含まれています。
100図の完成品だけでは分からない、制作途中の選択や試行錯誤にも目を向けられるのです。[3]
完成作品は、いわば答え。原画は、その答えに至るまでの手掛かりです。
美術館が少しだけ、デザインの仕事場に近づくような展示といえそうです。
THE THIRD QUESTION
細かく描いた植物なのに、なぜ「影」まで必要だった?
『非水百花譜』には、もう一つ気になる特徴があります。
「灯影式写生図(とうえいしきしゃせいず)」です。
難しそうな名前ですが、簡単にいえば植物のシルエットを捉えた図のことです。
非水は、花や葉を細かく描くだけでなく、その外側の輪郭や影による表現にも取り組んでいました。[1]
ここが面白いところです。
花の色や葉脈などの細かい情報がなくても、輪郭だけで植物の特徴を伝えられる場合があります。
細部をよく観察することと、特徴をシンプルな形にすること。
一見、反対の作業です。
けれど、特徴を正確につかんでいなければ、どこを省いてよいのかも分からないはずです。
これは、非水の作品を現代のロゴやアイコンと見比べるときにも役立つ視点です。複雑なものを、少ない線や色で伝えるという共通点が見えてきます。
もちろん、現在の個々のデザインが非水の作品から直接生まれたという意味ではありません。
ただ、デザインに必要な「観察する力」と「形を選ぶ力」が、100年前の植物画にも表れていることは読み取れます。
まず花びらや葉の細部を見る。次に少し離れて、全体の形を眺める。
最後にシルエットを見ると、同じ植物の中から違った特徴を発見できるかもしれません。
THE FOURTH QUESTION
愛媛生まれの杉浦非水。なぜ原画が川越にあった?

ここで、物語は植物から川越という街へ移ります。
杉浦非水は1876年、愛媛県松山市に生まれました。
その非水の大切な作品が、どうして埼玉県川越市に残っていたのでしょう。
答えは、家族とのつながりにありました。
非水の妻・岩﨑翠子(みどりこ)は川越出身。戦時中、非水は作品や資料を翠子の実家である川越の岩﨑家に託していたのです。
これらは現在、「非水疎開資料」と呼ばれています。
2023年、川越市立美術館は、その資料群を特別展で初公開しました。
そして、そこから見つかったのが『非水百花譜』の原画71枚でした。[3]
71枚。
画集の存在は知られていても、その制作に使われた原画がまとまって残っていたことは、作品を研究するうえで大切な発見でした。
さらに調査が進むと、川越以外の所蔵先にも関連する原画があることが分かってきます。
現在確認されている原画は、写真のみで残るものや後年の版、版画にならなかったものを含め、計112枚。
今回の展覧会では、この確認済みの112枚すべてを紹介しています。[1]
ここで数字が100を超えるのも、ちょっと不思議です。
『百花譜』は100図なのに、原画は112枚。
それは、完成した100図に対応するものだけでなく、採用されなかった絵なども調査対象になっているためです。
すべての原画が現在まで残っているわけではありません。それでも、完成品の外側にあった作品まで含めて、非水の創作を見直せるようになりました。
川越の家族のもとに残された資料が、約100年前のデザイン制作を読み直す手掛かりになった。
これが、今回の展覧会が川越で開かれる大きな理由の一つです。
THE FIFTH QUESTION
花の絵を描いた人が、地下鉄のポスターも?
杉浦非水の仕事は、植物画だけではありません。
三越の広告や雑誌・楽譜の表紙など、多彩なデザインを手がけました。
その中に、1927年のポスター「東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通」があります。[3]
植物から、地下鉄へ。
題材が一気に都会的になりました。
1927年に開業した上野〜浅草間の地下鉄は、日本の地下鉄の歴史でも重要な出来事です。
その開通を知らせるポスターにも、非水は関わっていました。
花の形を観察し、その特徴を魅力的に表す仕事と、新しい交通機関の存在を人々に知らせる仕事。
扱うものは違いますが、どちらも視覚を通じて何かを伝えるという点でつながっています。
今回の展覧会では、川越に残された疎開資料の代表作を通して、こうした非水の多彩な活動にも触れられます。[3]
100年前の花の絵を見ていたはずが、いつの間にか都市の広告や鉄道の歴史へ。
一人の図案家をたどると、こんなところまで話が広がるのです。
無料で見られる日はいつ? 親子ならどの日がおすすめ?
ここまで読んで「ちょっと実物を見たい」と思った方には、うれしい情報があります。
今回の特別展は通常、一般700円、大学生・高校生350円ですが、中学生以下は通常日でも無料です。
さらに、2026年は次の3日間が特別展の無料観覧日です。[1]
上記3日間は特別展を無料で観覧できます。通常の休館日と異なる日程があるため、訪問前に最新情報をご確認ください。
11月14日と12月6日は、絵をつくる体験も
無料観覧日の11月14日(土)と12月6日(日)には、ワークショップ「自分の絵を千代紙にしよう」も予定されています。
参加費は200円で、各日9時30分、11時、13時30分、15時から開催。各回16人の先着制で、事前申し込みが必要です。
見るだけでなく、自分で図案を考えてみる。非水が取り組んだ「形を観察し、表現する」という世界に、少し近づけそうです。
なお、ワークショップは無料観覧とは別の有料プログラムです。申し込み状況などは美術館の案内をご確認ください。[3]
11月8日には「シルエット」の小話も
11月8日(日)11時からは、学芸員による約30分の「灯影式写生図(シルエット図)のこと」が予定されています。
申し込み不要・聴講無料のプログラムです。
植物の影が、どうデザインにつながっていくのか。作品をじっくり見る前後に聞くと、見え方が変わるかもしれません。[3]
本川越駅からどう行く? 川越市立美術館の観覧案内
川越市立美術館は、川越城本丸御殿や川越市立博物館のある郭町(くるわまち)にあります。
西武新宿線の本川越駅からは、バスを利用するのが便利です。
- 展覧会
- 生誕150年 杉浦非水と『非水百花譜』
- 会期
- 2026年10月17日(土)〜12月13日(日)
- 時間
- 9:00〜17:00(入場16:30まで)
- 休館
- 月曜日(11月23日は開館)、11月24日(火)
- 料金
-
一般700円
大学生・高校生350円
中学生以下無料
20人以上の団体料金:一般560円、大高生280円。着物での来館者には団体料金を適用。 - 無料日
- 11月14日(土)、12月1日(火)、12月6日(日)
- 所在地
- 埼玉県川越市郭町2丁目30-1
- 最寄駅
- 西武新宿線「本川越駅」
- 電話
- 049-228-8080
- 公式情報
- 川越市立美術館・特別展詳細
本川越駅からのおすすめルート
本川越駅東口の5番のりばから東武バスに乗り、「川越市役所前」で下車。そこから徒歩約5分です。
また、「蔵のまち」経由の東武バスを利用して「札の辻」で降りれば、徒歩約8分。
小江戸巡回バスでは「博物館・美術館前」停留所も利用できます。[4]
蔵造りの町並みと組み合わせて街歩きを楽しむなら、札の辻を経由する行き方も候補になります。
バスの運行時刻や乗り場は変更されることがあるため、出発前に確認してください。
100年前の花が、今も新しく見える理由
最初に気になったのは、100年前の植物画でした。
きれいな花の絵を集めた画集。
そう思って見始めると、そこには、植物を細部まで観察する写生、特徴をつかむシルエット、職人の技を経て生まれた木版画という、いくつもの表現が重なっています。
そして、その原画が川越に残されていた理由は、戦時中、非水が妻の実家に作品を託していたからでした。
あの花の絵は、ただ植物の姿を記録したものではありません。
一つの形を深く観察し、その魅力をどう人に伝えるか。
非水が向き合っていたのは、今のデザインにも通じる問いだったのでしょう。
展示室で一枚の花を見たあと、街に出て看板や広告の文字を眺めてみる。
すると、何げなく見ていた形や色にも、誰かが考えて選んだ理由があるのかもしれないと気づきます。
100年前の植物画から始まった話が、今日の街の見え方につながる。
そんな発見を楽しめる、川越の秋の特別展です。
参考資料・出典
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川越市立美術館「生誕150年 杉浦非水と『非水百花譜』」
川越市、2026年10月16日更新
公式資料を見る -
テレビ埼玉「生誕150年記念図案家・杉浦非水の特別展」
テレ玉ニュース、2026年10月28日掲載。地上波での正確な放送時刻は未確認。
報道記事を見る -
川越市「川越市立美術館特別展『生誕150年 杉浦非水と「非水百花譜」』」
川越市プレスリリース、2026年10月15日
発表資料を見る -
川越市立美術館「アクセス」
川越市、2025年11月3日更新
交通案内を見る
情報確認日:2026年11月1日。展覧会の内容、料金、イベントの募集状況、交通情報は変更となる場合があります。最新の案内は主催者の公式情報をご確認ください。