
「科学忍者隊ガッチャマン」「昆虫物語みなしごハッチ」「タイムボカン」。
この3作品を並べただけで、頭の中に主題歌が流れ始めた人もいるのではないでしょうか。
悪の組織と戦う5人のヒーロー。お母さんを探して旅する小さなミツバチ。そして、時代を飛び越える奇想天外なメカ。
まったく違う世界の物語ですが、実は共通点があります。
すべて、あの「タツノコプロ」が生み出したアニメなのです。
では、そのタツノコプロがどこで生まれたか、ご存じでしょうか。
答えは、東京都国分寺市。
JR中央線と西武国分寺線・多摩湖線が交わる、あの国分寺です。
そして2026年10月、この街で新しい計画が動き始めました。
かつてテレビ画面の中で旅をしていた「みなしごハッチ」が、今度は国分寺駅前にやって来るというのです。
国分寺市は2026年10月1日、「昆虫物語みなしごハッチ」の銅像を国分寺駅北口駅前広場に設置するため、クラウドファンディング型ふるさと納税による寄附募集を開始しました。
でも、ここで一つ気になります。
タツノコプロには、ガッチャマンもタイムボカンもいます。
なぜ、今回の主役はハッチなのでしょう。
その答えを探していくと、国分寺が日本の漫画やアニメにとって、思っていた以上に重要な場所だったことが見えてきます。
そもそも、タツノコプロは本当に国分寺で生まれたの?

1962年10月19日。
タツノコプロの歴史は、この日から始まります。
創業者は、漫画家の吉田竜夫(よしだ・たつお)。
タツノコプロの公式会社概要にも、創立日として1962年10月19日が記されています。国分寺市は、市内で創業した制作会社であることを明記しています。 [1][3]
ただし、最初から現在のような大きなアニメ制作会社だったわけではありません。
その出発点には、漫画を一人で描くのではなく、複数のクリエーターで力を合わせて制作するという発想がありました。
東京経済大学の地域史資料では、吉田竜夫が1962年に小岩から国分寺へ移り、弟の吉田健二、吉田豊治(九里一平)らとともに、分業による漫画制作を始めた経緯が紹介されています。 [4]
一人の漫画家の机から、チームで作品をつくる制作現場へ。
ここが重要な転換点です。
アニメは、何枚もの絵を描き、動きをつくり、背景や音楽、声を組み合わせて完成させる仕事です。
たった一人の才能だけでは、大量の映像を毎週テレビに届け続けることは難しい。
国分寺で始まった共同制作の仕組みは、その後のアニメ制作につながっていきました。
それにしても、なぜ国分寺だったのでしょう。
なぜ国分寺? 実は漫画家たちが集まる街だった

「アニメ制作会社の創業地」と聞くと、国分寺に大きなスタジオが建ち並んでいた様子を想像するかもしれません。
ところが、当時の国分寺を調べると、もう少し面白い景色が見えてきます。
実はタツノコプロのほかにも、日本の漫画史に大きな足跡を残す制作会社が、この街で活動を始めていました。
「ゴルゴ13」で知られる漫画家・さいとう・たかをが率いた、さいとう・プロダクションです。
国分寺市によれば、さいとう・プロダクションは1960年に国分寺市内で設立されました。 [1]
ゴルゴ13とガッチャマン。
作品の雰囲気はずいぶん違います。
しかし、その制作を支える人々が、同じ国分寺という街で活動していたのです。
東京経済大学の地域史資料では、当時の国分寺駅北口側にさいとう・プロ、南口側にタツノコプロがあったことも紹介されています。 [4]
国分寺は、完成した作品の舞台として有名になっただけの街ではありません。
作品を生み出す人たちが集まり、制作方法を発展させていた街でもあったのです。
では、なぜ漫画家やクリエーターが国分寺に集まったのでしょうか。
東京経済大学の資料では、吉田竜夫たちがよりよい制作・生活環境を求めて国分寺へ移ったことが紹介されています。
ただし、国分寺に集まったすべての制作者が同じ理由で移住したと断定できるわけではありません。
確かなのは、1960年代初頭の国分寺で、漫画を集団で制作する新しい試みが複数動いていたことです。
その一つが、やがて日本のアニメ史を代表する会社になりました。
国分寺から、どんな名作アニメが生まれた?
国分寺で創業したタツノコプロは、数々のテレビアニメを送り出していきます。
その中でも、1970年代は特に印象的です。
みなしごハッチ
生き別れた母親を探すミツバチの冒険物語。全91話。
ガッチャマン
5人の科学忍者隊が悪の組織ギャラクターに立ち向かう。全105話。
時間旅行と個性的なメカを組み合わせたSFギャグ作品。全61話。
放送時期・作品概要はタツノコプロ公式作品情報を参照。 [5][6][7]
ここで、改めて3作品を見比べてみましょう。
ガッチャマンは、科学と忍法を駆使して地球を守るヒーローもの。
ハッチは、小さなミツバチが母親を探す、切なくも力強い冒険物語。
タイムボカンは、時間旅行と発明メカ、そしてどこか憎めない悪役たちが登場するSFコメディ。
同じ会社なのに、ずいぶん振り幅があります。
しかも、これだけではありません。
「マッハGoGoGo」「ハクション大魔王」「新造人間キャシャーン」「ヤッターマン」など、タツノコプロは幅広い作品を世に送り出してきました。
社内のさまざまなクリエーターが、それぞれ異なる表現で子どもたちを楽しませてきたことが分かります。
創業者・吉田竜夫が大切にしていた言葉は、「世界のこどもたちに夢を」。
現在のタツノコプロ公式サイトでも、会社の理念として紹介されています。 [3]
国分寺の一角で始まった制作活動は、やがて世代を超えて語られる作品群につながっていったのです。
ところが、ここで気になる事実があります。
これほど国分寺と深い関係を持つタツノコプロですが、現在の本社は国分寺にはありません。
タツノコプロは、いつ国分寺を離れたの?
タツノコプロが国分寺から本社を移転したのは、2013年のことです。
現在の本社所在地は東京都武蔵野市中町。JR三鷹駅の北口側にあります。 [1][3]
1962年の創業から数えれば、およそ半世紀。
長年国分寺で活動してきた会社が、街を離れることになりました。
それなら、国分寺とタツノコプロの関係も、そこで終わってしまったのでしょうか。
実は、そうではありません。
会社が移転したあとも、国分寺にはタツノコプロとつながるキャラクターが残りました。
それが、国分寺市のイメージキャラクター「ぶんじほたるホッチ」です。
「ホッチ」って誰? 実はハッチと深い関係があった
国分寺市のキャラクター「ぶんじほたるホッチ」。
名前のとおり、ホタルをモチーフにしたキャラクターです。
ホッチが誕生したのは2012年8月30日。
国分寺市で創業50周年を迎えたタツノコプロに依頼して、生み出されました。
そして、ここが今回の話の大きな手掛かりです。
ホッチをデザインしたのは、タツノコプロ創業者・吉田竜夫の長女である吉田すずかさん。
タツノコプロを代表するキャラクターデザインを手がけてきた人物です。 [8]
つまりホッチは、単なる自治体のオリジナルキャラクターではありません。
タツノコプロ創業者の家族がデザインした、国分寺とアニメ制作会社とのつながりを受け継ぐ存在なのです。
実は、今回の銅像プロジェクトでも、この2人の関係が重要な意味を持っています。
昔のアニメキャラクターと、現在の国分寺のキャラクター。
ここで、別々の時代がつながります。
国分寺市の観光シティプロモーションサイトでは、ホッチの誕生経緯について吉田すずかさんへのインタビューも公開しています。
ホッチは、国分寺の自然を象徴する「水・緑・光」のイメージと結びついたキャラクターとして生まれました。 [8]
ハッチはミツバチ。ホッチはホタル。
どちらも小さな昆虫ですが、一方は昭和のテレビアニメ、もう一方は平成に誕生した街のキャラクターです。
そして2026年、この2人が国分寺駅前で並ぶ計画が始まったのです。
なぜ今、ハッチの銅像を建てるの?

2026年10月1日、国分寺市が始めた新しいプロジェクト。
その中心にあるのは、国分寺駅北口駅前広場に「昆虫物語みなしごハッチ」の銅像を設置する計画です。
今回、国分寺市が課題として挙げているのは、タツノコプロの本社移転から10年以上が経ち、街と会社との歴史的な関係を伝え続けることが難しくなってきたという点です。 [1]
たしかに、ガッチャマンを知っている人でも、国分寺が創業地だと知らない人はいるでしょう。
ましてや、今の子どもたちならなおさらです。
そこで、街の歴史を「目に見える形」にしようという考えが生まれました。
銅像なら、アニメの放送当時を知らない人でも、駅を利用するたびにその姿を見ることができます。
そして像の説明を読めば、国分寺とタツノコプロの関係を知るきっかけになる。
単なるキャラクター像ではなく、街のアニメ文化を次の世代へ伝えるためのシンボルというわけです。
実は、建てられる銅像は1体ではない
今回のプロジェクトでは、ハッチの銅像に加えて、ホッチの銅像も設置される予定です。
ハッチ像はクラウドファンディング型ふるさと納税による寄附を活用し、ホッチ像は東京武蔵国分寺ロータリークラブから寄贈される計画となっています。 [1][2]
2体は、国分寺駅北口駅前広場に並んで設置される予定です。
ここで、もう一つ面白い話があります。
ハッチが旅の途中でホッチと出会った?
吉田すずかさんは、今回の銅像につながるイラストを描いています。
そのイメージは、ハッチがお母さんを探す旅の途中でホッチと出会い、楽しい時間を過ごして、また旅立っていくというものです。 [9]
もちろん、これは昭和のテレビアニメ本編で実際に描かれた出来事という意味ではありません。
今回の銅像を通して、異なる時代のキャラクターをつなぐためのイメージです。
でも、この設定を知ると、2体の銅像の意味が少し変わります。
古い作品のキャラクターが、ただ駅前に置かれるのではない。
国分寺で生まれたアニメの歴史が、国分寺の新しいキャラクターと出会うのです。
これは、なかなか気の利いた再会ではないでしょうか。
銅像プロジェクトはいつ完成? 寄附すると名前が残る?
現在進められているプロジェクトの概要を整理しましょう。
寄附すると、何ができる?
今回の寄附募集は、ふるさと納税の仕組みを利用したクラウドファンディングです。
寄附金は、銅像の制作や設置工事、説明看板の整備、除幕式に必要な費用などに使われます。
寄附は1万円以上。
希望者は、銅像に関連して設置される銘板に、本人や家族、団体の名前を記すことができます。
国分寺市のホームページへの名前の公表も、希望に応じて選択できます。
ただし、銘板の掲載位置は指定できません。また、同じ名前を複数回記名することはできません。
なお、寄附に対する返礼品は用意されていません。 [1]
寄附の申し込み方法は?
個人の場合は、ふるさと納税サイト「さとふる」からオンラインで申し込めます。
個人・法人・任意団体は、国分寺市の寄附申込書を使った窓口・郵送での申し込みも可能です。
オンライン受付は12月28日23時59分まで、窓口・郵送による申込受付は同日17時までと案内されています。
ふるさと納税の税控除は、寄附者の居住地や所得、制度上の条件によって異なります。申し込み前に確認しておきましょう。
さとふる|ハッチ銅像プロジェクトを見る ↗ 国分寺市|公式案内・申込方法を確認する ↗銅像はまだ設置されていません。制作は2027年3月まで、除幕式は同年3月下旬を予定しています。寄附募集や設置予定は今後変更される可能性があります。
国分寺はこれから「アニメのまち」になる?
今回のプロジェクトは、単に一つの銅像をつくって終わる計画なのでしょうか。
国分寺市の発表を読むと、もう少し先の構想が見えてきます。
市は、今回の銅像設置をきっかけとして、「アニメのまち国分寺」を実現したいと説明しています。
その背景には、現在も国分寺にアニメ制作の仕事が存在しているという事実があります。
国分寺市によれば、市内には現在10社以上のアニメ制作会社があります。 [1]
10社以上。
タツノコプロは移転しましたが、アニメをつくる街としての活動は今も続いているのです。
2025年には、国分寺市とタツノコプロが地域活性化に向けた包括連携協定を締結しました。
市は今後、タツノコプロとの関係をさらに深めるとともに、市内のほかのアニメ制作会社との連携も視野に入れています。
ただし、具体的な新施設やイベントの開催がすべて決定しているわけではありません。
現時点で確認できるのは、銅像設置という具体的な事業と、それをきっかけに街を盛り上げていこうという方向性です。
でも、考えてみれば、これは自然な流れなのかもしれません。
1960年代には、漫画家やアニメ制作者たちが国分寺で新しい制作方法を模索していました。
そして2026年には、その歴史を街の新しいシンボルとして残そうとしています。
作品をつくる場所だった国分寺が、作品と街の歴史を伝える場所にもなろうとしているのです。
国分寺とタツノコプロ、60年以上の歴史を振り返る
ここまでの流れを、年代順に並べてみます。
国分寺市内で、さいとう・プロダクションが設立される。漫画制作の拠点としての歴史が始まっていた。
吉田竜夫らによってタツノコプロが創業。国分寺から漫画・アニメ制作の新しい挑戦が始まる。
「昆虫物語みなしごハッチ」のテレビ放送が開始。
「科学忍者隊ガッチャマン」の放送が始まる。
「タイムボカン」の放送が開始。後にシリーズ作品へ発展する。
タツノコプロ創業50周年の年に、国分寺市のキャラクター「ぶんじほたるホッチ」が誕生。
タツノコプロ本社が国分寺市から武蔵野市へ移転。
国分寺市とタツノコプロが地域活性化に向けた包括連携協定を締結。
みなしごハッチ銅像制作等事業の寄附募集が開始。
国分寺駅北口駅前広場で、ハッチとホッチの銅像の除幕式を予定。
年表は国分寺市、タツノコプロ、国分寺市観光シティプロモーションサイトの公表資料をもとに作成。 [1][3][8]
あのハッチが、今度は国分寺で誰かを待つ
最初に登場した、ガッチャマン、みなしごハッチ、タイムボカン。
子どものころにテレビで見た人にとっては、懐かしいアニメの名前かもしれません。
でも、その制作会社の歴史をたどっていくと、舞台は遠いアニメの世界から、国分寺という実在の街へ移ってきました。
漫画家たちが集まり、分業で作品をつくり、次々にテレビアニメを送り出していった街。
本社が移転した後も、創業者の娘が生んだホッチが国分寺に残り、今また新しい計画へつながっています。
「みなしごハッチ」の物語は、離ればなれになった母親を探す旅でした。
そして2027年、そのハッチが、今度は国分寺駅前にやって来る予定です。
そこで待っているのは、街のキャラクター・ホッチ。
違う時代に生まれた2人が並ぶことで、国分寺が長年育んできたアニメ文化を伝えてくれます。
これから国分寺駅を利用するとき、いつもの北口駅前広場が少し違って見えるかもしれません。
かつて画面の中を旅していた小さなミツバチが、街の歴史を伝える新しい役目を担おうとしているのです。
国分寺の街に、まだ隠れている物語
参考資料・出典
情報最終確認日:2026年10月22日。事業予定、寄附条件、会社所在地などは確認時点の公表情報です。
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国分寺市|みなしごハッチ銅像制作等事業 クラウドファンディング
タツノコプロ創業地の歴史、事業の背景、設置場所、寄附条件、除幕式予定など。2026年10月9日更新。
国分寺市公式ページ -
株式会社さとふる|2026年10月1日プレスリリース
寄附募集開始、目標額360万円、ハッチ像とホッチ像の計画について。
発表資料 -
株式会社タツノコプロ|会社概要
創立日、所在地、創業者の理念、代表作品など。
タツノコプロ公式サイト -
東京経済大学地域連携センター|国分寺レイディオ・地域史資料
国分寺と漫画家たちの関係、タツノコプロとさいとう・プロダクションの活動背景など。
国分寺レイディオ資料(PDF) -
タツノコプロ|昆虫物語みなしごハッチ
1970年から1971年の放送期間、全91話、作品概要。
公式作品情報 -
タツノコプロ|科学忍者隊ガッチャマン
1972年から1974年の放送期間、全105話、作品概要。
公式作品情報 -
タツノコプロ|タイムボカン
1975年から1976年の放送期間、全61話、シリーズ第1作としての位置付け。
公式作品情報 -
国分寺市観光シティプロモーションサイト|吉田すずかさんインタビュー・ホッチ誕生の歴史
2012年のホッチ誕生、キャラクターデザイン、国分寺市との関係。
公式観光サイトの記事 -
コミックナタリー|タツノコプロ創業の地・国分寺駅前にハッチ銅像を建てるプロジェクト
2026年10月1日公開。吉田すずかさんによるハッチとホッチの銅像デザインの背景。
掲載記事
※本記事は公開された公式資料・地域史資料をもとに構成しています。現地取材による発言や体験を再現したものではありません。銅像の設置状況や寄附条件については、国分寺市の最新発表を優先してください。