
「万燈(まんどう)」は、ただの祭りの飾りではありません。

その名前には、家族の無事を願った昔の人々の習わしと、ひとつの街になろうとした入間市の歴史が重なっています。
入間市の秋を彩る「入間万燈まつり」。山車が集まり、提灯が灯り、お囃子が街に響く光景は、すっかりおなじみです。
でも、考えてみると不思議な名前です。
「万燈」って、何なのでしょう。
一万個の提灯を灯す祭り? それとも、何か特別な儀式の名前?
実は、この名前をたどると、最初に出てくるのは大きな山車でも、華やかなパレードでもありません。
家の門に飾られた、花笠や提灯。
そこには、家族が安全に暮らせるように、健康でいられるようにという願いが込められていました。[1]
そして、その小さな灯りの意味を知ると、もうひとつの疑問が浮かびます。
なぜ家々の願いを表す「万燈」が、街全体の大きなお祭りの名前になったのでしょうか。
「万燈」は一万個の提灯という意味?
まず、少し紛らわしい「万燈」という言葉から見てみましょう。
「万燈」は「まんどう」と読みます。文字だけを見ると、ものすごい数の灯りを想像します。
実際、祭りの名称を説明する資料では、万燈には「たくさんの明かり」という意味が込められていると紹介されています。[2]
ただし、入間万燈まつりは「必ず一万個の提灯を飾る」という決まりから名付けられたわけではありません。
名前の直接の由来は、もっと身近なところにありました。
昔の入間では、家の門に万燈を飾っていた

入間市内では、社寺の祭礼などの際に、家内安全や健康を願い、家々の門に花笠や提灯などの「万燈」を飾る風習がありました。
この風習が、現在の祭りの名前の由来になっています。飯能市の2025年の公式記事でも、同じ由来が紹介されています。[1]
万燈は、家族の健康や安全を願って飾られていた。
大きなお祭りの名前を解く鍵は、昔の暮らしの中にありました。
華やかな祭りを想像していたら、話は家の玄関先に戻ってきました。
提灯は暗いところを照らす道具ですが、ここでは家族の無事を願う祭礼の飾りでもあったのです。
なお、当時のすべての家が同じ飾り方をしていたわけではなく、万燈の形や使われ方には地域や行事による違いがあったと考えられます。
少なくとも、名称の由来を説明する資料からは、花笠や提灯がその代表例だったことが分かります。
ここまでで名前の半分は解けました。
けれど、まだ肝心な部分が残っています。
家族のための飾りだったものが、なぜ入間市を代表する祭りの名前になったのでしょう。
小さな灯りが、なぜ街全体の名前になったのか
この答えには、万燈という言葉に込められた、もうひとつの意味が関わっています。
入間市商工会青年部が紹介している祭りの由来には、伝統文化を大切にする思いに加えて、祭りが市民の足元や未来を照らす明かりであり続けてほしいという願いが記されています。[2]
つまり、万燈という言葉には、二つの意味が重ねられていたのです。
昔からの意味
家内安全や健康を祈り、門に飾る花笠や提灯。
新しく込めた願い
多くの市民が集い、ふれあい、街の未来を明るく照らしていくこと。
ここが面白いところです。
昔は、それぞれの家のために掲げられていた灯り。
それを、新しい祭りでは、市民が集まり、交流することの象徴にしたわけです。
資料では、多くの人が灯りを持って集まるところから、新たなふれあいとにぎわいが始まる、という考えも紹介されています。[2]
ここで、万燈は単なる飾りの名前ではなくなります。
それぞれの暮らしを大切にしながら、みんなでひとつの街をつくっていく。
そんな願いを表す言葉になったのです。
ただ、この説明には少し気になる点があります。
なぜ、わざわざ「市民が集まること」に大きな意味を持たせたのでしょうか。
同じ入間市に住んでいるなら、最初からひとつの街だったのでは?
そこに、この祭りが生まれた本当の背景があります。
入間市には、もともと「ひとつの大きな祭り」がなかった
時計を少し巻き戻してみます。
現在の入間市は、昔から今の形で存在していたわけではありません。
地域ごとの町や村が合併を重ね、1966年(昭和41年)に市制を施行して入間市が誕生しました。
しかし、行政上はひとつの市になっても、それだけで住民同士の交流が自然に増えるわけではありません。
入間市の事業評価資料には、旧村合併に伴う課題の解消や、人口増加に伴う新旧住民の融和が、祭りを始めた背景として記されています。[3]
「融和」とは、異なる人たちが互いを理解し、仲良く暮らしていくことです。
当時は、地域ごとにお祭りや文化がありました。
それぞれに大切な伝統があっても、街全体の人が同じ機会に集まる場は十分ではなかったのです。
ここで、ひとつの発想が生まれます。
「一年に一度は、市民みんなが集まれる祭りをつくろう」
この考えが、入間万燈まつりの出発点になりました。[4]
新しいイベントを一からつくるだけではなく、それまで地域ごとに守られてきた祭りや文化を、一堂に集めるという発想です。
別々だったものを、消してひとつにするのではありません。
違うものを持ち寄ることで、ひとつの祭りにする。
その考え方は、現在の万燈まつりにもよく表れています。
でも、この市民の祭りは、いつ誕生したのでしょうか。
1978年に始まった祭り。誕生までの道のり

入間万燈まつりの始まりは、1978年(昭和53年)にさかのぼります。
当初は、市民文化まつりとして始まりました。入間市の事業評価資料でも、祭りの事業開始時期は昭和53年とされています。[3][5]
入間市は、住民の交流を育む場として、祭りを発展させていきました。
市の別の事業資料には、市民フェスティバルと商工まつりを拡大・融合させ、万燈まつりへと発展した経緯が記されています。[6]
町村合併を経て入間市が誕生。行政上はひとつの市になりましたが、地域の文化や住民同士の交流をつなぐことが課題となりました。
市民文化まつりとして出発。地域を超えて人々が集まる場をつくる取り組みが始まりました。
市民フェスティバルや商工まつりの要素も合わさり、市民と行政が協力してつくる万燈まつりへと発展していきました。
地域の山車や御輿、伝統芸能、舞台発表、出店などが集まる、市民参加型の祭りとして受け継がれています。
※入間市の行政資料には事業開始を昭和53年とするものと、現在の事業区分の開始年度を1992年度とするものがあります。本記事では祭りそのものの歴史的な始まりを1978年とし、事業区分上の年度とは区別しています。
1978年に始まったということは、2026年には出発から48年。
半世紀近く続いていることになります。
ただし、毎年欠かさず同じ規模で開催されてきたわけではありません。
新型コロナウイルス感染症の影響で2020年と2021年は中止され、2022年には規模を縮小して開催されました。[5]
祭りの形は、時代によって変わってきたのです。
それでも、受け継がれてきた考えがあります。
市民が集まり、お互いの地域の文化を知り、同じ時間を楽しむこと。
では、その考えは、現在の祭りのどこに表れているのでしょうか。
なぜ山車も御輿も、いろいろな地域から集まるのか

万燈まつりには、山車、御輿、お囃子、太鼓、踊りなど、さまざまな催しが登場します。
少し不思議なのは、その顔ぶれです。
ひとつの神社の祭礼なら、その神社を中心とした行事として説明できます。
しかし、入間万燈まつりには、複数の地域から異なる伝統芸能や山車が集まります。
これは、祭りの出発点を考えると納得できます。
もともと、地域ごとにあった祭りや文化を、一堂に集めることを目指していたからです。[4]
山車が向き合う「ひっかわせ」も、違いがあるから面白い
たとえば、万燈まつりの見どころのひとつ「山車のひっかわせ」。
複数の山車が向き合い、それぞれのお囃子が響きます。
ただ山車が集まって演奏しているようにも見えますが、背景を知ると、別の見方ができます。
それぞれの地域で受け継がれてきた音や演奏が、同じ場所で披露されているのです。
ひとつの音楽に統一するのではなく、それぞれの特徴を持ったまま集まる。
これもまた、万燈まつりの成り立ちと重なる光景です。
昔の家々が、それぞれの願いを込めて万燈を飾っていたように、現在の祭りでも、地域ごとの文化が集まっています。
もちろん、昔の門飾りと現在の山車がすべて直接つながっている、という意味ではありません。
ただ、それぞれが大切にしてきたものを持ち寄るという点に、この祭りらしさがあるように感じます。
山車のひっかわせを目にしたら、形や大きさだけでなく、それぞれのお囃子の音にも耳を傾けてみてください。
同じ祭りなのに、音が違う。
その違いこそが、入間の街の歴史を伝えているのかもしれません。
提灯の灯りは、今も何を照らしている?
ここまで、万燈まつりの名前と誕生の歴史をたどってきました。
最初は、家族の健康や安全を祈るための飾りだった「万燈」。
その名前はやがて、多くの市民が集まる祭りの象徴になりました。
では、現代の万燈まつりでは、その願いは失われてしまったのでしょうか。
私は、むしろ形を変えて残っていると考えます。
昔の万燈には、家族が無事に暮らせるようにという願いがありました。
現在の祭りの名前には、人々がつながり、街の未来を明るくしていきたいという願いが込められています。
願いの対象が、家の中から街へと広がった、と見ることもできそうです。
だからこそ、この祭りには地元の伝統芸能だけでなく、さまざまな市民団体の発表や交流の場があります。
昔から住んでいる人も、新しく引っ越してきた人も、同じ祭りを楽しめる。
それは、入間万燈まつりが生まれた理由そのものです。
「万燈」は、提灯の数を競う名前ではなく、人々の願いとつながりを表す名前だった。
家族の無事を願う灯りから、市民が集う街の灯りへ。祭りの名前には、入間の暮らしの変化が重なっています。
2026年の万燈まつりで、灯りの意味を確かめよう
2026年の第46回入間万燈まつりは、10月24日(土)・25日(日)の開催です。
会場は入間市産業文化センター周辺から彩の森入間公園にかけて広がり、山車や御輿、ステージ、出店などが予定されています。
特に、万燈まつりの成り立ちを感じたいなら、地域ごとの山車やお囃子が集まる時間に注目してみると面白そうです。
2026年は、山車のひっかわせが24日(土)19時15分から、25日(日)15時45分から予定されています。[7]
25日 9:15〜16:45
25日 15:45〜16:30
産業文化センター前のひっかわせ
情報確認日:2026年10月22日。開催内容は天候などにより変更される場合があります。出発前に入間万燈まつり公式サイトの最新案内をご確認ください。
次に提灯を見たら、少し違って見えるかもしれない
最初に考えた「万燈」という名前の疑問。
一万個の提灯を並べるから、万燈まつりなのかと思っていました。
でも、調べて分かったのは、まったく違う話でした。
昔の入間では、人々が家族の健康や安全を願い、家の門に万燈を飾っていました。
そして時代が進み、町や村がひとつの市になったとき、人々が集まる場をつくろうと、祭りが始まりました。
そこに選ばれた名前が「万燈」。
それぞれの家の願いを表していた灯りが、今度は街の未来を照らす象徴になったのです。
2026年の祭りでも、夜になれば山車や提灯が街を彩ります。
その光を見たとき、単なるきれいな飾りとしてではなく、かつて門に万燈を掲げた人々の願いと、ひとつの街をつくろうとした人々の思いが重なって見えるかもしれません。
たくさんの灯りが集まって、ひとつの祭りになる。
「万燈まつり」とは、そういう名前だったのです。
参考資料・出典
以下は名称の由来、祭りの誕生と発展、現在の開催内容を確認するために参照した資料です。歴史的事実と、本文中の編集部による解釈は区別しています。
-
飯能市「入間万燈まつり」
発行:飯能市(2025年10月25日更新)
市内の社寺の祭りで、家内安全や健康を願い万燈を飾った風習に由来することを紹介。
資料を読む -
入間市商工会青年部「万燈まつりに出店しました」
発行:入間市商工会青年部(2023年11月10日)
「万燈」の意味、伝統文化を守る思い、市民の足元や未来を照らすという命名の願いについて説明。
資料を読む -
入間市「令和2年度 事務事業評価シート|入間万燈まつり事業」
発行:入間市
事業の実施期間を昭和53年からとし、旧村合併に伴う課題や新旧住民の融和を背景として記載。
市の資料(PDF) -
日本お祭り推進協会「入間万燈まつり」
掲載:NPO法人 日本お祭り推進協会(2012年8月25日)
入間市役所自治文化課による祭りの説明として、地域の祭りを集め市民が交流する目的や、万燈の名称由来を紹介。
資料を読む -
埼玉新聞「3万人の客! 3年ぶり『入間万燈まつり』開催」
発行:埼玉新聞(2022年10月24日)
1978年の市民文化まつりとしての開始と、2020・2021年の中止、2022年の縮小開催を報道。
記事を読む -
入間市「2023年度 事業シート|入間万燈まつり事業」
発行:入間市
市民フェスティバルと商工まつりを拡大・融合して祭りが発展した経緯や、現在の事業目的を記載。
市の資料(PDF) -
入間万燈まつり2026|開催情報・公式案内
発行:入間万燈まつり実行委員会
2026年10月24日・25日の開催情報、山車、各種催しの案内。
公式サイトを確認
情報確認日:2026年10月22日。開催時刻などの最新情報は当日の主催者発表を優先してください。