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なぜ入間万燈まつりは各地区の祭りを集めた?1978年誕生の理由と旧町村の歴史

埼玉県 / 入間市 / 池袋線 | 更新日: 2026-10-22
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IRUMA HISTORY STORIES|入間市の成り立ち

入間万燈まつりでは、さまざまな地区の山車や御輿が集まり、笛や太鼓が鳴り響きます。

同じ入間市の祭りなのだから、それほど不思議なことではないように思えます。

でも、少し考えてみてください。

それぞれの地区に昔から祭りがあったのなら、わざわざ一つの場所に集める必要はあったのでしょうか。

お祭りなら、それぞれの地域で開けばいいはずです。

ところが、この疑問をたどっていくと、入間市という街が誕生した事情に行き着きます。

実は現在の入間市は、もともと一つの町だったわけではありません。

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まず、答えから

入間万燈まつりは、合併した旧町村の地域間のつながりを深め、急増する新しい住民と昔からの住民が交流するために始まった祭りです。

1978年(昭和53年)、市内各地の伝統文化と新しい市民文化を持ち寄る場として始まりました。入間市の事業評価資料にも、旧村合併による課題の解消と新旧住民の融和が開催の背景として記されています。[1]

なるほど。単に大きな祭りを開催したかったわけではなかったのです。

それなら、そもそも入間市には、どんな町や村が集まっていたのでしょう。

入間市は、最初から「入間市」ではなかった

現在の入間市を地図で見ると、入間市駅周辺の市街地、武蔵藤沢方面の住宅街、金子地区の茶畑、宮寺方面の土地、そして仏子・野田方面の入間川沿いの地域まで、さまざまな風景が広がっています。

同じ市なのに、場所によって街の表情がずいぶん違います。

その理由の一つが、入間市の成り立ちです。

時計を1956年まで戻してみましょう。

1956年、四つの町村などが合併して「武蔵町」に

1956年(昭和31年)9月30日、豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村と、西武町の一部である小谷田・新久・狭山ケ原の区域が合併し、新しい自治体が誕生しました。

その名前は、入間町でも入間市でもありません。

「武蔵町(むさしまち)」です。[2]

現在の入間市の前身が「武蔵町」だったとは、少し意外ではないでしょうか。

ちなみに、当時の豊岡町は現在の入間市だけでなく、後に狭山市となる地域とも歴史的な関係があります。現在の市の境界線だけでは、昔の地域の姿を単純には説明できません。

そして、武蔵町ができた後も、地域の再編は続きます。

1956年

豊岡町・金子村・宮寺村・藤沢村と西武町の一部が合併。武蔵町が誕生。

1958年

元狭山村の一部を編入。現在の市域につながる地域がさらに加わる。

1966年

11月1日、市制施行。入間市が誕生。市の記録では当時の人口は46,234人。

1967年

4月1日、西武町(現在の仏子・野田・新光の区域)を編入合併。現在の入間市域が形づくられる。

この流れは入間市の公式沿革と市制施行当時の記録で確認できます。[2][3]

つまり、入間市という名前が誕生したのは1966年ですが、現在の市域がほぼ整ったのは、その翌年なのです。

市制施行の翌年にも合併。

地図の上では一つの市でも、その内側には、それぞれの歴史を持つ地域が存在していました。

豊岡・藤沢・金子・宮寺……旧町村はどんな土地だった?

では、入間市を構成する旧町村は、どんな特徴を持っていたのでしょう。

ここで面白いのは、合併した地域が、もともと同じような街並みだったわけではないという点です。

豊岡|商業と人の往来が集まった地域

扇町屋は江戸時代末期に穀物市や木綿市が立つなど、周辺地域の経済活動の拠点として栄えました。

現在の入間市駅周辺へつながる市街地の歴史を考えるとき、欠かせない地域です。

注:豊岡町の歴史的な区域と現在の豊岡地区の範囲は完全に同一ではありません。

藤沢|農村から住宅地へ変化した地域

旧藤沢村は、現在の武蔵藤沢駅周辺などにつながる地域です。

かつての農村的な土地利用から、鉄道沿線の住宅地としての発展へ。現在の街並みにも時代の変化が表れています。

金子|地名に残る武蔵武士と茶畑の土地

金子という名前は、現在のJR八高線金子駅や周辺の地名にも残っています。

中世にはこの地域で金子氏などの武士が活動しており、金子の名は入間の古い歴史ともつながっています。

現在は茶畑が広がる景観でも知られています。

宮寺|中世からの地名と地域の歩み

宮寺の名も、中世に活動した武士の一族に見られます。

現在の宮寺地区には古くからの集落と、新しい土地利用が共存しています。市の西側に広がる地域の歴史を知る手掛かりです。

東金子・西武|別々の合併経路を歩んだ地域

旧東金子村の区域は1956年の武蔵町成立時に合併へ加わりました。

一方、仏子・野田・新光など旧西武町の残る区域が入間市へ加わったのは1967年です。

同じ市内でも、今の入間市になるまでの歩みが違っていたのです。

こうした地域の沿革は、入間市が公表する市のあらましに記録されています。[2]

ここで一つ、大切なことがあります。

旧町村は、単なる行政上の区分ではありません。

そこには神社や寺、商い、農業、地域の人間関係があり、それぞれの暮らしの中で続いてきた文化があります。

行政区域が一つになったからといって、各地域が持っていた歴史まで一瞬で同じになるわけではありません。

そこに、万燈まつりが生まれる理由が見えてきます。

市になったのに、なぜ「一つになろう」とする祭りが必要だった?

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1966年11月1日、入間市は埼玉県で25番目の市として誕生しました。

市制施行を記念するパレードも行われ、新しい街としての歩みが始まります。[3]

市役所も、市の名前も、市としての制度も整いました。

それなら、もう一つの街になったのではないでしょうか。

ところが、行政の仕組みが一つになることと、市民の交流が深まることは別の話です。

市が記録していた、二つの課題

入間市の事務事業評価シートには、万燈まつりが始まった背景として、特に重要な二つの課題が記されています。

① 旧村合併によって生じた地域間の課題

異なる町村が合併した後、それぞれの地域のつながりを市全体へ広げる必要がありました。

② 人口急増に伴う、新旧住民の交流

街に新しく住み始めた人と、昔から暮らしている人が交流する機会をつくる必要がありました。

出典:入間市「令和2年度 事務事業評価シート(令和元年度分)」[1]

つまり、入間市が抱えていたのは「古い地域同士のつながり」と「新しく来た人たちとのつながり」という、二重の課題でした。

例えば、同じ市に住んでいても、普段の買い物や学校、地域の行事だけでは、離れた地区の住民同士が顔を合わせる機会は限られます。

そんなときに、市全体で一緒に楽しめる行事があったらどうでしょう。

住んでいる地区や、入間に来た時期が違っていても、一つの催しをきっかけに交流できます。

そこで選ばれた方法が「祭り」だったのです。

もちろん、祭りだけですべての地域課題が解決したとまでは言えません。

しかし、少なくとも入間市は、市民が年に一度集まり、地域文化を共有することを、街づくりの方法として位置づけていました。[1]

1978年、なぜ各地区の山車やお囃子を一カ所に集めた?

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入間万燈まつりの事業が始まったのは、1978年(昭和53年)。

入間市の市制施行から12年後のことです。

最初は「市民文化まつり」としてスタートしました。[1][4]

市の後年の議会記録には、当時、市内に散らばっていたお囃子や獅子舞などの伝統芸能、山車や御輿といった文化を一カ所に集め、新しい市民文化と融合していった経緯が語られています。[5]

ここが、万燈まつりの重要な特徴です。

どこか一つの地区の祭りを、そのまま市全体の祭りにしたわけではありません。

それぞれの地域が持っている文化を持ち寄り、新しい市民の文化と一緒にする。

そんな発想で生まれた催しでした。

一つにするのに、同じものにしなかった

考えてみると、これは少し面白い方法です。

市民を一つにまとめたいのなら、全員で同じ踊りや同じ催しをするという方法もありそうです。

しかし、万燈まつりでは、各地のお囃子、山車、御輿、獅子舞など、それぞれの文化を大切にしながら集まる形がとられました。

地域ごとの違いをなくすのではなく、違いを持ったまま、一緒の場所で楽しむ。

言い換えれば、「同じ入間市民であること」と「それぞれの地域らしさがあること」を両立させる祭りです。

これは開催目的と内容を踏まえた編集部の読み解きですが、入間万燈まつりの特徴をよく表しているように思えます。

祭りを統一したのではなく、祭りを持ち寄った。

この違いは、なかなか大きいのではないでしょうか。

それなら、なぜ名前は「入間市民まつり」ではなく「万燈まつり」?

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ここで、もう一つ気になることがあります。

市民の交流を目的にした祭りなら、「入間市民まつり」でもよかったはずです。

でも、実際に選ばれた名前は「万燈まつり」。

少し古風で、独特な響きです。

この名前にも、入間の各地区で続いてきた文化が関係しています。

手掛かりは、家々の門に飾られた灯り

入間市内の寺社の祭りなどでは、家内安全や健康を願って、家々の門に花笠や提灯などの「万燈」を飾る風習がありました。

祭りの名前は、この地域に伝わる習わしに由来します。[4]

「万燈」は文字のとおり、多くの灯りを連想させる名前です。

地域の風習に由来する名前を、新しい市民の祭りに使う。

そして、その灯りに市民の足元や未来を照らす願いを重ねる。

こうした意味づけも、万燈まつりの紹介で語られています。[4]

つまり、祭りの出発点には新しい街づくりの課題がありながら、名前は昔からの地域文化に根ざしているのです。

新しいものをつくるために、古いものを忘れる必要はなかった。

その考え方が、祭りの名前にも重なって見えます。

今も続く万燈まつりには、最初の目的が残っている?

万燈まつりは、1978年の開始から長い年月を重ねてきました。

現在の祭りでは、山車や御輿に加え、ステージでの音楽やダンス、さまざまな出店、地域の団体による催しも楽しめます。

伝統芸能だけの祭りでも、新しいイベントだけの祭りでもありません。

この組み合わせは、実は1978年に掲げられた方向性と重なります。

昔からの文化と、新しく生まれてくる文化。

それを市民が持ち寄ることで、街全体の祭りをつくっていくという形です。

入間市の事業評価資料では、準備会議、運営、後片付けなどを市民と行政が協力して行うことも事業内容として位置づけられています。[1]

つまり、祭りを見に来る人だけが主役なのではありません。

山車を出す人、お囃子を演奏する人、出店する人、運営を支える人。

さまざまな立場の人が関わること自体が、入間万燈まつりの大切な仕組みなのです。

市民が交流するために始まった祭りが、市民の手で続けられている。

そこには、始まった当時からのつながりが見えます。

2026年の万燈まつりでは、どこに注目すると面白い?

ここまで歴史をたどってきたら、今年の祭りを見る視点も少し変わりそうです。

注目したいのは、山車や御輿の数だけではありません。

どの地域の人たちが、どんな文化を持ち寄っているのか。

山車の名前や、演奏するお囃子の団体名、地域の出店にも目を向けてみてください。

もちろん、現在の参加団体がすべて旧町村と一対一で対応しているわけではありません。古くからの地域組織もあれば、その後に生まれた市民団体もあります。

むしろ、その両方が参加していることに、万燈まつりらしさがあります。

入間万燈まつり2026|開催情報

開催日 2026年10月24日(土)・25日(日)
開催時間 24日 12:30〜20:00
25日 9:15〜16:45
会場 入間市産業文化センター周辺、彩の森入間公園、ひばり通り、茶の花通り、けやき通りなど
最寄駅 西武池袋線「入間市駅」
入場 一般来場は無料。飲食・物販などは別途有料

2026年10月22日確認。荒天などにより開催内容が変更される場合があります。当日の案内は公式サイトをご確認ください。

今年の詳しい山車の巡行、ステージプログラム、屋台、出店エリア、交通規制については、エキリプの入間万燈まつり2026完全ガイドで紹介しています。

一つの街になっても、一つの色になる必要はなかった

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最後に、最初の疑問に戻ってみましょう。

なぜ、入間万燈まつりは、市内の祭りを一つの場所に集めたのでしょうか。

その答えは、単に祭りを大きくするためではありませんでした。

豊岡、金子、宮寺、藤沢、東金子、西武。

それぞれ異なる歴史を持つ地域が合併し、1966年に入間市が誕生しました。

さらに街には新しい住民が増え、地域と地域、人と人をつなぐ場が求められるようになります。

そこで1978年、それぞれの文化を持ち寄る祭りが始まりました。

もともと一つだったから集まったのではありません。

違う地域の人たちが、同じ街で暮らしているからこそ、集まる場所をつくった。

そう考えると、祭りの中で響く別々のお囃子や、並んで進む山車にも、別の意味が見えてきます。

同じ音を鳴らさなくても、同じ祭りに参加できる。

同じ歴史を歩んでいなくても、一つの街をつくっていける。

万燈まつりの山車が集まる光景は、そんな入間市の成り立ちを、今の街の中に映し出しているようにも見えます。

次に万燈まつりへ出かけたとき、山車がどこの地区から来たのかを一つ確かめてみる。

それだけで、祭りの音の向こうに、普段は見えない入間市の歴史が少し顔を出すかもしれません。

入間市の成り立ちが分かったら、次は今の祭りの姿や、街に残る別の歴史にも目を向けてみましょう。

参考資料・出典

情報確認日:2026年10月22日。市の公式沿革、行政資料、過去の議会記録を中心に確認しました。地域の文化的な意味づけについては、確認できる歴史的事実と編集部の解釈を区別しています。

  1. 入間市「令和2年度 事務事業評価シート(令和元年度分)」
    入間万燈まつり事業(自治文化課分)。
    1978年の事業開始、旧村合併の課題、新旧住民の融和、市民と行政の協働について記載。
    入間市公式資料(PDF)
  2. 入間市「入間市のあらまし」
    明治期の町村、1956年の武蔵町発足、1958年の編入、1966年の市制施行、1967年の合併など、市域の歴史。
    入間市公式サイト
    1956年の町村廃置分合に関する告示
  3. 入間市「昭和41年から49年」
    1966年11月1日の市制施行、当時の人口46,234人、1967年4月1日の旧西武町編入などの記録。
    入間市公式サイト
  4. 埼玉新聞「3万人の客! 3年ぶり『入間万燈まつり』開催」
    2022年10月24日公開。1978年の市民文化まつりとしての出発、祭りの由来、地区の伝統文化について紹介。
    埼玉新聞の記事
    万燈の由来や開催理念については、過去の祭り紹介資料とも照合しています。
  5. 入間市議会 令和5年12月定例会会議録
    万燈まつりの創設当時、旧村合併や新旧住民の融和が課題とされ、伝統芸能と新しい市民文化を集めた経緯についての議会での発言。
    入間市議会会議録検索システム
    議会発言は当時の背景に関する説明として参照し、行政の公式見解と同一視していません。

本記事は、確認できる公開資料に基づいて構成しています。各旧町村の紹介は代表的な歴史・地理的特徴を簡潔に整理したものであり、すべての境界や地区ごとの祭礼を網羅したものではありません。

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