
東京の住宅街に、約300年続く農業の歴史がある。
国分寺駅や西国分寺駅の周りには、マンションも商店も住宅も並んでいます。
ところが、少し街を離れると、畑が現れます。トマト、キャベツ、サツマイモ。季節が変われば、畑の顔ぶれも変わります。
東京なのに、どうしてこんなに農業が残っているのでしょう。
しかも国分寺には、「三百年野菜」という名前まであります。
300年前の野菜? まさか、江戸時代から保存してあるわけではありませんよね。
調べてみると、この名前が語っているのは野菜の年齢ではなく、野菜を育てるために人々が積み重ねてきた約300年の工夫でした。[1]
最初の手掛かりは、意外にも「落ち葉」です。
国分寺の畑が生まれた理由をたどると、江戸時代の土地開発、肥えにくい土、雑木林、そして現在の「こくベジ」へと話がつながっていきます。
2026年11月1日の国分寺まつりでは、農業祭も楽しみの一つ。会場で地元の農産物を見る前に、この土地の秘密を少しだけ知っておきましょう。
なぜ東京の国分寺で、300年も農業が続いているの?

話は江戸時代中期までさかのぼります。
現在の国分寺市北部を含む武蔵野台地では、かつて広い原野や林が続いていました。
人口が増え、農地が必要になるなかで進められたのが「新田開発(しんでんかいはつ)」です。
新田という言葉から、水田を想像するかもしれません。しかし、ここでの新田開発は、原野や林を切り開き、畑や集落をつくることも含みます。
江戸時代、武蔵野に新しい村や畑がつくられ、国分寺周辺でも農業が営まれるようになりました。これが「三百年野菜」の歴史的な出発点です。[1][2]
なるほど。畑を新しくつくったわけですね。
でも、ここで気になることがあります。
土地を開いたからといって、すぐにおいしい野菜が育つのでしょうか。
実は、武蔵野の農業には、もう一つ大きな問題がありました。
畑をつくっても、土が豊かとは限らない
武蔵野台地には、火山灰を起源とする関東ローム層などが広がっています。
国分寺周辺の開拓地も、当初から農業に適した肥沃な土地ばかりではありませんでした。
畑をつくるだけでは足りない。作物が育つように、土そのものを改良する必要があったのです。
そう考えると、300年前の開拓者たちが取り組んだのは、単なる土地の開発ではありません。
畑をつくり、その畑を育てる仕事でもありました。
では、肥料を今のように手軽に買えなかった時代、人々はどうやって土に栄養を与えたのでしょう。
そこで登場するのが、畑の奥にある雑木林です。
畑の隣の森には、どんな役割があった?

国分寺市の「こくベジ」の解説には、江戸時代の農地のつくり方を示す興味深い記述があります。
道に面した場所から順番に、屋敷、畑、そして平地林が配置されていたというのです。[1]
住宅と畑と林。
一見すると、昔の人が暮らしやすいように並べただけにも見えます。
しかし、林には農業を支える大切な役割がありました。
道路側から奥へ並ぶ土地利用を模式化。実際の土地の広さや配置は地域・農家によって異なります。
秋になると、林には大量の落ち葉がたまります。
現在なら掃除の対象になりがちな落ち葉ですが、当時の農家にとっては立派な資源でした。
林から集めた落ち葉を、家畜のふんなどとともに堆肥にして畑へ戻していたのです。
堆肥とは、落ち葉などの有機物を微生物の働きで分解・熟成させ、土づくりに利用するものです。
こうすることで、土の状態を改善し、作物を育てやすくしていきました。[1][2]
つまり、林は畑を支える「土づくりの資源庫」だったわけです。
森が畑の裏方を担当していたとは。見た目以上に働き者です。
落ち葉は、どうやって野菜につながる?
大まかに整理すると、次のような循環です。
- 1平地林の木々が葉を落とす。
- 2農家が落ち葉を集め、家畜のふんなども利用して堆肥をつくる。
- 3十分に熟成させた堆肥を畑の土づくりに使う。
- 4改良した土で、野菜などの作物を育てる。
畑だけでは完結しない農業です。
林も、家畜も、農家の暮らしも関わっていました。
ここで大切なのは、落ち葉をただ畑にまけば野菜がおいしくなる、という単純な話ではないこと。
長い時間をかけて有機物を分解させ、土の性質を整える。その手間を重ねることで、作物を育てる環境をつくっていたのです。
国分寺の「300年」は、同じ野菜を育て続けた年月ではなく、こうした土づくりの歴史でもあります。
江戸時代に落ち葉などを堆肥として利用したことは、市の資料で確認できます。ただし、現在の国分寺市内のすべての農家が同じ方法で栽培しているわけではありません。栽培方法は農家や作物によって異なります。
さて、この農業の仕組みを知ると、今度は街の形が気になってきます。
約300年前の畑は、現在の国分寺にも何か痕跡を残しているのでしょうか。
国分寺の畑は、なぜ細長い形をしているの?

国分寺市の北部、戸倉や北町周辺には、歴史的な土地利用の名残が見られます。
注目したいのは、道路に対して奥へと細長く延びる農地です。
こうした土地の形は「短冊型農地」と呼ばれています。
国分寺市の資料でも、戸倉地域に新田開発当時の短冊型農地が多く残り、農業の歴史を伝える特徴的な景観になっていることが紹介されています。[3]
土地が短冊のように細長い。
どうして、わざわざそんな形になったのでしょう。
道に面した暮らしと、その奥に続く畑
開拓時代の土地は、道路側に屋敷を置き、奥に畑や林を配置する形が基本でした。
道に面することで人や物が行き来しやすくなり、その奥の土地を耕作などに利用できる構造です。
細長い土地を並べることは、道路に沿って屋敷と農地を配置する方法と結び付いていました。
いま畑を上から眺めたとき、細長い区画が並んでいたら、それは単なる土地の形ではなく、開拓当時の暮らしの組み立て方を伝えているのかもしれません。
昔の人がつくった生活の設計図が、現代の街の中に残っている。そう考えると、少し見方が変わります。
もちろん、約300年の間に土地の分割や宅地化が進み、すべての場所で昔の形が残っているわけではありません。
住宅街の中の畑は、昔の農業の続きだった
国分寺市は、戸倉3丁目に寄附された農地を活用して、2011年に「国分寺いきいき農園」を開設しました。
この農園の周辺にも、農の歴史を伝える土地の形や、野菜・植木・花などを育てる農家が存在します。[3]
江戸時代に始まった土地利用が、そのまま現代の住宅街のすぐ近くまでつながっているのです。
では、そこまで古い農業が、なぜ現代でも続いているのでしょう。
実は、都会の中に畑があること自体に、昔とは違う利点もあります。
都会なのに畑がある。それって不利じゃないの?

東京の農業と聞くと、土地が狭く、住宅に囲まれ、大規模な生産には向かない印象があります。
その一方で、都市農業には大きな特徴があります。
野菜を食べる人が、畑のすぐ近くに住んでいること。
これは、遠くの産地から大量に運ぶ農業とは違う強みです。
国分寺では、市内で収穫された野菜が農家の直売所や販売店に並び、市内の飲食店でも使われています。[2][4]
畑と食卓が近いのです。
朝に収穫した野菜が、地元のお店に並ぶ
国分寺のこくベジ直売所では、その日の朝に収穫した野菜や果物などを扱う場所があります。
農産物は収穫後も呼吸などを続けるため、時間や温度、扱い方によって品質が変化します。
もちろん鮮度は収穫時刻だけで決まるものではありませんが、生産地と販売場所が近いことは、流通時間を短くしやすい利点になります。
遠くから運んでくる必要がない。
都会であることが、ここではむしろ味方になるわけです。
さらに農家にとっても、近くの消費者に直接届けたり、消費者の反応を知ったりできるという特徴があります。
野菜だけじゃない。国分寺は「植木の街」でもある
もう一つ、国分寺の農業を知るうえで見逃せないものがあります。
それが植木です。
国分寺は、野菜や果樹だけでなく、植木・鉢物・花などの生産も行われる街です。
公式のこくベジ直売所案内でも、野菜・果樹・畜産・花と並んで、植木・鉢物を扱う生産者が紹介されています。[2]
食べ物だけが農業ではありません。
庭に植える木や、街を彩る草花も、農家の仕事から生まれているのです。
そう考えると、「国分寺の農業祭」という名前の中には、想像以上に幅広い仕事が含まれていることが分かります。
では「こくベジ」って、300年前の特別な品種なの?

ここで、最初の「三百年野菜」に戻りましょう。
名前だけを見ると、江戸時代から続く伝統野菜の品種を想像するかもしれません。
しかし、答えは違います。
「こくベジ」とは、国分寺市内の農家が販売を目的に生産した農畜産物の愛称です。[1]
特定の古い品種だけを指す名前ではありません。
トマトも、キャベツも、イチゴも、植木も。国分寺の農家が育てた幅広い農畜産物が、この名前の対象です。
300年ものは野菜そのものではなく、農業の歴史。
つまり、これは品種のブランドではなく、土地と生産者の物語を伝える地域ブランドなのです。
なぜ「三百年野菜」という名前にしたの?
国分寺市は、約300年前の新田開発から受け継がれた農地の歴史を伝えるため、「三百年野菜 こくベジ」という名称を使っています。[1]
野菜を見たときに、味や価格だけでなく、その野菜が育った土地にも目を向けてもらうための名前です。
例えば、国分寺産のトマトが並んでいたとします。
何も知らなければ、普通の地元産トマトです。
でも、約300年前にこの土地を開いた人がいて、林の落ち葉を肥料にするなど土づくりに苦労してきたと知ると、同じトマトにも別の背景が見えてきます。
もちろん、だから必ずほかの産地よりおいしい、という話ではありません。
大切なのは、その野菜の後ろにある生産者や土地の歴史を知ることです。
こくベジは、畑から飲食店へも広がっている
こくベジプロジェクトは、農産物に名前を付けるだけの活動ではありません。
地元の飲食店がこくベジを使ったオリジナルメニューを考案し、その魅力を地域内外に発信する取り組みでもあります。
農家が育てる。
お店が料理する。
街の人や訪問者が食べる。
江戸時代には落ち葉や家畜を活用する農業の循環がありましたが、現代には、農家とお店、消費者を結ぶ別のつながりも生まれています。[1][4]
土の循環から、人と食のつながりへ。
300年前とまったく同じ農業ではないからこそ、現代まで続いているとも考えられます。
国分寺では、どんな野菜が育っているの?

では、実際に国分寺の畑では何がつくられているのでしょう。
国分寺市観光シティプロモーションサイトでは、季節ごとにさまざまな農産物が紹介されています。[4]
この中で、国分寺らしい農産物の一つが「東京ウド」です。
ウドは独特の香りと歯ごたえが特徴の野菜で、東京の伝統的な農業とも関わりの深い作物です。
国分寺市内にもウドを栽培する農家があり、観光シティプロモーションサイトでは、ウドやイチゴなどを年間約40品目育てる農家の取り組みも紹介されています。
約40品目。
一つの農園で季節ごとにこれだけ種類が変われば、畑の一年もなかなか忙しそうです。
ただし、すべての農家がこれらすべてを栽培しているわけではありません。直売所に並ぶ品物も、その日の収穫や天候によって変わります。
さて、こうして国分寺の農業をたどってきましたが、その魅力を一度に知る機会があります。
11月の国分寺まつりです。
国分寺まつりの農業祭、何を見ると面白い?

2026年11月1日(日)、都立武蔵国分寺公園で「第43回国分寺まつり」が開催されます。
国分寺まつりは、市民活動、商工業、農業などが一つの場所に集まる秋のイベントです。
過去の開催内容には農業祭も含まれており、地元の農業を知る機会になっています。[5]
ただ農産物を眺めるだけでも楽しいですが、今回の話を知っていると、少し違った楽しみ方ができます。
注目したいのは、野菜の「名前」と「育った場所」
まずは、どんな種類の農産物があるのか見てみましょう。
秋の野菜だけでなく、果物、花、植木などが並んでいれば、国分寺の農業の幅広さを感じられます。
地元産であることを示す表示があれば、生産地域にも注目です。
国分寺には、北町や戸倉など江戸時代の新田開発の面影を残す地域があります。
畑の歴史を知ったあとなら、産地名も単なる住所ではなくなります。
野菜を育てた人の工夫にも注目
生産者と話せる機会があれば、栽培の工夫を聞いてみるのも面白いでしょう。
例えば、こんな質問です。
「この野菜は、いつ収穫したものですか?」
地元で育て、近くで販売する都市農業の特徴を知るきっかけになります。
「土づくりでは、どんな工夫をしていますか?」
江戸時代の落ち葉堆肥から、現代の栽培方法へ話がつながります。
「この時期に一番おすすめなのは何ですか?」
一年中いろいろな野菜が育つ国分寺だからこそ、季節の変化も楽しめます。
もちろん、出店者が忙しい時間は無理に話しかけず、商品や展示の説明を見るだけでも十分です。
なお、2026年の農業祭で販売される具体的な農産物や個別企画のすべては、確認できていません。過去の内容を今年の確定情報として扱わず、最新の主催者案内を確認してください。
まつりのあとも「こくベジ」に出会える
国分寺の農業をもっと身近に感じたい人は、普段の直売所を訪れる方法もあります。
例えば、こくベジ公式サイトには次のような販売場所が掲載されています。[2]
国分寺ファーマーズ・マーケット
国分寺市東恋ヶ窪4-23-8。季節野菜や花、植木などを扱う販売所です。
にしこくマルシェ しゅんかしゅんか
国分寺市西恋ヶ窪2-1-18、nonowa西国分寺の改札外。地元農家の季節野菜や加工品などを扱っています。
取扱商品や営業時間は変更されることがあります。訪問前にこくベジ公式直売所案内をご確認ください。
農業祭は年に一度のイベントですが、国分寺の農業は毎日の営みです。
祭りの日だけで終わらず、普段の買い物の中でも、その続きを知ることができます。
300年野菜の秘密は、野菜の中ではなく、畑の下にあった

最初に「三百年野菜」という名前を見たとき、何か特別な古い品種なのかと思うかもしれません。
でも、その約300年は、野菜の品種の年齢ではありませんでした。
江戸時代に土地を開いた人がいた。
育ちにくい土に、落ち葉や家畜のふんを使って栄養を与えた。
道沿いに屋敷を構え、その奥に畑と林をつくった。
そして時代が変わり、住宅街が広がった今も、国分寺には農業を続ける人たちがいます。
もちろん、現在の農業は300年前とまったく同じではありません。
それでも、土を育て、作物を育て、誰かに届けるという仕事は、今もこの土地で続いています。
国分寺まつりで、一本の大根や一袋のサツマイモを見かけたら。
その姿は、ほかの野菜と何も変わらないかもしれません。
けれど、その背景には、畑をつくり、土を改良し、農業をつないできた人々の時間があります。
「300年野菜」の本当のすごさは、野菜が古いことではなく、野菜を育てる土地と仕事が受け継がれてきたこと。
何気なく見ていた東京の畑が、少し違って見えてきます。
国分寺の野菜の歴史を知ったら、次はその街を歩く番です。秋の祭りから、駅名に残る江戸時代の記憶まで、もう少しだけ武蔵野をたどってみましょう。
参考資料・出典
-
国分寺市「国分寺三百年野菜 こくベジ プロジェクトとは」。
新田開発、農地・屋敷・平地林の配置、落ち葉堆肥、「こくベジ」の定義・名称の背景。
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/culture-sports-tourism/machi/1012005/1013264.html -
こくベジプロジェクト推進連絡会「国分寺三百年野菜 こくベジ」公式サイト・直売所案内。
農業の歴史、地場産農畜産物、直売所、生産品。
https://kokuvege.jp/
https://kokuvege.jp/direct/ -
国分寺市「みんなで耕す『国分寺いきいき農園』」。
戸倉地域の短冊型農地、新田開発の歴史、農園の開設経緯。
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/business/nougyou/nougyou/1002118.html -
国分寺市観光シティプロモーションサイト「都市農業が盛んな国分寺で生まれた『こくベジ』の魅力とは?」。
農家の取り組み、年間の栽培品目、飲食店と農家の連携。
https://kokubunji-citypro.jp/article/394/ -
国分寺市「第43回国分寺まつり(令和8年度)」および「第43回国分寺まつりの開催決定」。
開催日時、会場、荒天中止の条件、前回の農業祭を含む開催内容。
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/culture-sports-tourism/culture/1013875/1032903.html
開催決定のお知らせ
情報確認日:2026年10月19日。歴史的な農法と現代の栽培方法は区別して記載しています。農産物の販売・出店内容・開催条件は変更されることがあります。