
東京・国分寺のお祭りに、なぜ新潟の佐渡と長野の飯山がやってくる?
国分寺まつりの物産展には、ちょっと不思議な組み合わせがあります。
新潟県の佐渡市。そして、長野県の飯山市。
海に囲まれた島と、雪深い山あいの町。まったく違う土地の名産品が、東京・国分寺の同じお祭りに並びます。
なぜ、この2つの地域なのでしょう。
有名な観光地だから? おいしいものがあるから?
もちろん食べ物も魅力ですが、調べてみると、佐渡は約1,300年前のお寺、飯山は災害への備えという、まるで違うきっかけから国分寺との交流が始まっていました。
しかも、その縁をたどると、海の漁師料理から戦国武将ゆかりの笹ずしまで登場します。
佐渡市は国分寺市の「姉妹都市」、飯山市は「友好都市」です。
佐渡とは、奈良時代に両地域に建てられた国分寺を縁に交流が始まりました。飯山とは、災害時の相互応援協定が出発点です。
佐渡との縁は、なんと奈良時代までさかのぼる

まずは佐渡市から。
国分寺から遠く離れた日本海の島。地図を眺めただけでは、共通点がなかなか見つかりません。
ところが、地名をよく見てみると、一つの手掛かりがあります。
「国分寺」。
そう、実は佐渡にも「国分寺」があるのです。
なぜ、離れた土地に同じ名前のお寺がある?
時代は741年。奈良時代の聖武天皇が、国ごとに国分寺を建立するよう命じました。
当時の「国」とは、今の都道府県とは違う行政上の地域区分です。
現在の東京都国分寺市のあたりは武蔵国。佐渡島は佐渡国でした。
そこで、それぞれの国に国分寺が建てられたのです。
国分寺市には武蔵国分寺、佐渡には佐渡国分寺。
偶然同じ名前だったわけではありません。同じ時代の国家的な取り組みから生まれたお寺だったのです。[2]
距離は遠くても、名前の根っこは同じ。
まさか、お祭りの屋台から奈良時代へつながるとは。
1,200年以上前の縁が、1989年につながった
もちろん、奈良時代からずっと両地域が姉妹都市だったわけではありません。
実際に提携が結ばれたのは、1989年4月14日。
当時、佐渡市はまだ存在せず、国分寺市が姉妹都市の盟約を結んだ相手は、現在の佐渡市にあたる旧・真野町でした。
そして2004年、佐渡島内の市町村が合併して佐渡市が誕生。2005年2月に、国分寺市と改めて姉妹都市の提携を結んでいます。[2]
聖武天皇が国分寺建立を命じる。のちに武蔵国と佐渡国にも国分寺が建てられる。
国分寺市と佐渡の旧・真野町が姉妹都市の盟約を結ぶ。
佐渡市が誕生。翌年、国分寺市と改めて姉妹都市提携を結ぶ。
国分寺まつりへの参加や、子ども同士の体験交流などが続いている。
ここで面白いのは、国分寺という地名が、単なる土地の名前で終わっていないことです。
はるか昔に建てられたお寺の存在が、現代の自治体同士の交流につながっている。
しかも、その交流は名前だけではありません。
2025年には、国分寺市と佐渡市の親子が佐渡島で交流し、たらい船や砂金採り、マリンスポーツなどを体験しています。[4]
奈良時代のお寺から、現代の子どもたちの夏休みへ。
ずいぶん長い橋が架かっていました。
では、飯山市は? こちらはお寺ではなく「防災」が始まりだった

佐渡の理由は分かりました。
では、もう一つの飯山市にも、古い国分寺のつながりがあるのでしょうか。
答えは違います。
飯山市と国分寺市の交流が深まるきっかけは、2012年に結ばれた災害時の相互応援協定でした。
大きな災害が起きたとき、自治体同士が助け合うための協定です。[3]
お祭りの物産展から、まさかの防災の話。
災害時の約束が、なぜお祭りにまで広がった?
災害への備えとして始まった両市の関係ですが、その後、交流の場は防災だけにとどまらなくなりました。
飯山市が国分寺まつりに参加するようになり、さらに国分寺市立中学校の2年生が、飯山市でスキー移動教室を実施するなど、地域同士の行き来が広がっていきました。
そして2017年5月17日、両市は正式に友好都市協定を締結。
これは国分寺市にとって、初めての友好都市協定でした。[3]
国分寺市と飯山市が災害時相互応援協定を締結。
国分寺まつりへの参加や、中学生のスキー移動教室などで交流が広がる。
友好都市協定を締結。防災から始まった関係が、さらに幅広い交流へ発展する。
ここには、佐渡とはまた別の面白さがあります。
佐渡の場合は、古い歴史が現代の交流を生みました。
飯山の場合は、これから起こるかもしれない災害への備えが、普段の交流を生んだのです。
どちらも国分寺まつりに参加していますが、たどってきた道はまったく違うのでした。
武蔵国分寺と佐渡国分寺。奈良時代にさかのぼる共通点から姉妹都市交流へ。
災害時の相互応援協定をきっかけに、祭りや学校行事へ交流が広がった。
その縁が、国分寺で「おいしいもの」に変わる

さて、背景が分かったところで、いよいよ食べ物の話です。
佐渡は海の恵み。飯山は山と雪国の食文化。
この2つの地域の料理を比べると、同じ日本でも、暮らしの違いがよく見えてきます。
ただし、ここで一つ大切なことがあります。
2026年の国分寺まつりでは両市の物産直売が予定されていますが、10月19日時点では市公式ページのパンフレットが準備中で、個別の商品名や価格までは確認できません。
そこで、実際に過去の国分寺まつりで販売されたものと、それぞれの地域を代表する郷土料理を分けて紹介します。
佐渡の名物。まず気になるのは「沖汁」
沖汁(おきじる)
佐渡市が公開した2025年の国分寺まつり参加報告で、特に注目したいのが沖汁です。
佐渡市によると、当日は沖汁に行列ができたそうです。[4]
では、そもそも沖汁とは何なのでしょう。
「沖」という字が手掛かりです。
新潟県がまとめた佐渡の郷土料理資料には、漁師が船上でスケトウダラをさばき、肝とともに煮て、味噌で味付けする料理が紹介されています。魚を取り出したあとの旨味のある汁に野菜を入れ、味噌汁として味わう食べ方も伝えられています。[5]
つまり、名前のとおり海の仕事と深く関わる料理なのです。
魚を料理し、その旨味まで活用する。沖汁には、漁師の暮らしの知恵が詰まっています。
ただの温かい汁物だと思っていたら、その向こうに佐渡の海が見えてきました。
※沖汁の魚種や具材、調理方法は提供者によって異なる場合があります。上記は佐渡の郷土料理資料にある一例で、2026年の販売内容を示すものではありません。
佐渡米・水産加工品
2025年の佐渡物産展では、沖汁だけでなく、佐渡米や水産加工品も販売されました。[4]
佐渡といえば海産物の印象が強いかもしれませんが、島内では米作りも行われています。
同じ佐渡の食品でも、一方は海、一方は田んぼ。
佐渡の物産展は、島の暮らしが漁業だけではないことを知る入り口にもなります。
購入する機会があれば、産地表示や生産者の名前にも注目したいところです。
飯山の名物には、戦国武将の名前が残っていた
富倉の笹ずし
飯山の郷土料理を調べると、どうしても気になる料理が出てきます。
「謙信ずし」。
あの戦国武将、上杉謙信の名前です。
これは飯山市の富倉地区に伝わる笹ずしの別名。
笹の葉にすし飯をのせ、その上に山菜などの具を盛り付ける郷土料理です。
飯山市の文化財資料によると、上杉謙信の軍勢が川中島の戦いに向かう途中、富倉峠付近で休息を取った際、地元の人々が笹の葉にのせた食べ物を振る舞ったことが始まりと伝えられています。[6]
ただし、これは地域に伝わる由来であり、その場面が史実として証明されているわけではありません。
それでも、笹ずしが単なる観光用の料理ではないことは確かです。
富倉の笹ずしは、地域の大切な行事や祝い事で食べられてきた郷土食で、飯山市の選択無形民俗文化財にもなっています。
一枚の笹の葉に、ご飯と山菜。そして戦国時代の伝承。
小さなお寿司なのに、背景はかなり壮大です。
富倉そば
飯山には、そばにも少し変わった特徴があります。
普通のそばは、そば粉をまとめる「つなぎ」に小麦粉を使うことがあります。
ところが富倉そばは、オヤマボクチという植物の葉の繊維をつなぎに使うのです。
飯山市の説明によれば、富倉では小麦が採れにくかったことから、身近な植物が使われるようになったとされています。[6]
オヤマボクチの繊維を使うことで、独特のコシと噛みごたえが生まれます。
小麦粉がないから、山の植物を使う。
食べ物の工夫には、その土地の自然条件が表れるのですね。
飯山の郷土料理には、ほかにもジャガイモを使った「いもなます」などがあります。
どれも、そこにある食材を工夫しながら、おいしく食べてきた地域の文化です。
10月19日時点で、佐渡市・飯山市の物産直売そのものは国分寺市の開催案内で確認できます。一方、沖汁・笹ずし・富倉そばなどの個別販売、数量、価格は確定情報を確認できていません。
特定の商品を目当てに行く場合は、今後公開される公式パンフレットを確認してください。
佐渡からやってくるのは、食べ物だけではない

ここまでグルメに注目してきましたが、佐渡と国分寺の交流にはもう一つの楽しみがあります。
それが、佐渡の伝統芸能です。
2025年の国分寺まつりでは、佐渡の鬼太鼓と民謡が披露されました。[4]
「鬼」が太鼓を打つ、佐渡の鬼太鼓
鬼太鼓は「おんでこ」などと呼ばれる、佐渡に伝わる郷土芸能です。
怖そうな名前ですが、佐渡の地域文化を受け継ぐ大切な芸能として親しまれています。
しかも、国分寺との交流では物産販売だけでなく、こうした芸能も一緒に紹介されてきました。
考えてみると、これは面白い組み合わせです。
食べ物なら、商品を東京まで運べば販売できます。
でも、芸能はそうはいきません。
演じる人たちが実際に訪れ、その土地で育まれてきた動きを披露する必要があります。
つまり国分寺まつりには、佐渡の商品だけではなく、佐渡の文化を伝える人々もやってきていたのです。
2026年の具体的な出演団体や演目・時間については、今後の公式発表を確認してください。
2026年の国分寺まつり、物産展を楽しむには?

歴史と食文化を知ったら、あとは実際のお祭りです。
2026年の第43回国分寺まつりは、11月1日(日)に開催予定。
会場は都立武蔵国分寺公園です。
姉妹都市・佐渡市と友好都市・飯山市の物産直売のほか、市民による模擬店、パレード、ステージなどが予定されています。[1]
第43回国分寺まつり・基本情報
確認日:2026年10月19日。開催内容や販売品は変更される場合があります。
物産展で、ちょっとだけ見方を変えてみる
佐渡のブースでは、沖汁や海産物のような海の恵みに注目。
飯山のブースでは、雪国の農産物や郷土食など、山の暮らしを感じる品物がないか探してみる。
そして、商品名だけでなく、その土地の人がどう食べているのか、どんな時期に食べられるものなのかも気になります。
もし出店者と話せる機会があれば、気になる料理の食べ方を聞いてみるのも楽しみ方の一つです。
同じ物産展でも、背景を知っていると、食べ物の見え方が少し変わってきます。
一杯の汁と、一枚の笹の葉。その向こうにあったもの

最初は少し不思議だった、佐渡と飯山の組み合わせ。
調べてみると、そこには2つの違う物語がありました。
佐渡は、奈良時代に建てられた国分寺を通じて結ばれた縁。
飯山は、いざというときに助け合う約束から始まった縁。
そして、その交流が続いた先に、国分寺まつりの物産展があります。
佐渡の沖汁は、海の上で働いてきた人々の料理を伝えています。
飯山の笹ずしには、山を越えた戦国武将にまつわる伝承が残っています。
そう考えると、国分寺まつりで並ぶ名産品は、ただ遠くの町から運ばれてきた商品ではありません。
その土地で暮らしてきた人たちの知恵や歴史が、国分寺へ届けられているとも見えてきます。
今年のお祭りで佐渡と飯山の名前を見つけたら、ちょっとだけ思い出してみてください。
一つは約1,300年前のお寺から。もう一つは災害に備える約束から。
そんな2つの道が、同じ公園にたどり着いています。
参考資料・出典
姉妹都市・友好都市の経緯、2025年の販売実績、飯山市の郷土食について、自治体等の公開資料を基に確認しました。
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国分寺市「第43回国分寺まつり(令和8年度)」
発行:国分寺市
公式ページ
2026年10月19日確認。開催日時、会場、佐渡市・飯山市の物産直売について参照。 -
国分寺市「姉妹都市・佐渡市」
発行:国分寺市
公式ページ
2026年10月19日確認。国分寺を通じた縁と1989年・2005年の提携経緯について参照。 -
国分寺市「友好都市・飯山市との交流」
発行:国分寺市
公式ページ
2026年10月19日確認。災害時相互応援協定、スキー移動教室、友好都市協定の経緯について参照。 -
佐渡市「令和7年度 国分寺市との交流」
発行:新潟県佐渡市
公式ページ
2026年10月19日確認。2025年国分寺まつりでの沖汁・佐渡米・水産加工品の販売、鬼太鼓と民謡の披露、親子交流について参照。 -
「平成19年度佐渡地域食育普及事業」郷土料理資料
発行:新潟県関係資料
資料PDF
2026年10月19日確認。沖汁の調理方法や漁師料理としての由来を参照。 -
飯山市「市選択文化財」
発行:長野県飯山市
公式ページ
2026年10月19日確認。富倉の笹ずし、富倉そば、いもなますなどの食文化について参照。 -
信州いいやま観光局「いいやまの魅力」
発行:信州いいやま観光局
公式ページ
2026年10月19日確認。飯山市の自然、食文化、地域の特色について参照。
情報確認日:2026年10月19日。2026年の国分寺まつりにおける個別商品の販売・価格・出演内容は、今後発表される主催者情報を優先してください。
