
江古田駅から徒歩約1分。こんな駅前に、富士山がある?
西武池袋線の江古田駅北口近くにある「江古田浅間神社(えこだせんげんじんじゃ)」。
境内には、高さ約8メートル、直径約30メートルの小さな山があります。
名前は「江古田の富士塚」。通称、江古田富士。
富士山と比べれば、もちろんずいぶん小さな山です。それでも、ただの築山や庭園の飾りではありません。
江戸時代の人々が、富士山に登るのと同じ御利益を願って築いた、信仰のための山なのです。[3]
しかも、2026年10月24日放送のフジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」では、この富士塚が紹介され、普段は限られた日にしかできない登拝の様子も放送されました。[1][2]
登ると本物の富士山に登ったのと同じ御利益があるとされた山。
でも、それなら不思議です。
なぜ、わざわざ江古田に富士山を造ったのでしょう。
この問いを追ってみると、江戸の人々の旅の仕方から、夏に雪が降ったという神社の伝承、そして大震災を越えて残された石の記録まで、思いがけない話がつながっていきます。
江古田の富士塚は、1839年ごろに地域の富士講によって築かれたと考えられ、1979年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。登拝できるのは原則として正月三が日・7月1日・9月の例大祭の日で、通常は自由に登れません。[3][4][6]
なぜ江古田に、わざわざ富士山を造った?

まず、江戸時代の富士登山について考えてみます。
今なら電車や車で富士山の麓へ向かい、登山口から山頂を目指すことができます。
しかし、江戸時代はそう簡単ではありません。
遠くまで歩く日数が必要で、旅費もかかります。富士山に登ること自体にも、危険や体力的な負担がありました。
それでも、富士山へ登りたい。
その背景にあったのが、山そのものを神聖な存在として敬う「富士山信仰」です。
江戸時代の中ごろには、富士山を信仰する人々が集まる「富士講(ふじこう)」という組織が広がりました。
練馬区の文化財解説によれば、富士講では年ごとに代表者を選び、講の仲間たちがお金を出し合って、その代表者を富士山へ送り出していました。[3]
つまり、富士登山は個人だけの願いではなく、仲間で支える大切な行事でもあったのです。
なるほど。みんなで旅費を出し合う仕組みがあったわけですね。
けれど、それでも実際に山へ行ける人は限られます。
そこで登場したのが、富士塚でした。
本物の富士山に行けなくても、近くでお参りできる
富士塚とは、富士山を模して人工的に造られた小さな山のこと。
その山に登ってお参りすることで、本物の富士山へ登拝したのと同じ御利益があると信じられていました。[3]
山の大きさを縮めたからといって、信仰まで小さくなるわけではありません。
江戸の人々にとって富士塚は、富士山という遠い聖地へ、身近な場所から近づくための存在だったのでしょう。
そして江古田でも、この考え方を実際の形にした人々がいました。
江古田富士を造ったのは、どんな人たち?

江古田の富士塚が築かれたのは、天保10年、1839年と考えられています。
造ったとされるのは「小竹丸祓講(こたけまるはらいこう)」という富士講の人々です。
練馬区の資料では、下練馬村・中新井村・中村の各講によって構成された集まりと説明されています。[3]
一つの家族や、一人の資産家だけの山ではありません。
複数の地域に暮らす人々が共有する信仰の場として、江古田富士が形づくられたと考えられるのです。
駅前に残る小さな山の話だったはずが、急に三つの村が登場しました。
山は小さくても、その背景にある人々のつながりは、思ったより広かったようです。
ところが、1839年より古い手掛かりもある
実は、この山がいつ造られたのかについては、少し慎重に考える必要があります。
文化庁の国指定文化財等データベースでは、1839年の築造説に加え、文化年間(1804〜1818年)に築かれたという説も紹介されています。[4]
その理由を考える手掛かりの一つが、神社に残る石造物です。
文化庁の解説には、1807年の石燈籠や1812年の手水鉢が残っていることが記されています。
ただし、これらが古いからといって、富士塚そのものが同じ年に造られたと証明されるわけではありません。
確かなのは、1839年より前にも、この場所には人々の信仰を示すものが残されていたということ。
「1839年ごろに築かれたと考えられる」という説明と、「もっと古い可能性もある」という資料は、矛盾を隠さず一緒に読む必要があるのです。
山の誕生日を確かめようとしたら、周囲の石のほうが先に話し始めました。
高さ8メートルなのに、なぜ本物の富士山の溶岩がある?

富士塚が小さな富士山だということは分かりました。
でも、形を似せるだけなら、普通の土を盛って山にすればよさそうです。
それなのに江古田富士には、富士山の溶岩が使われています。
練馬区の文化財資料には、塚の一部が富士山の溶岩で覆われていると記されています。[3]
なぜ、そこまでしたのでしょうか。
ここで思い出したいのが、富士塚は単なる風景のミニチュアではなく、実際に登って祈るための場所だったということです。
本物の富士山と結び付いた石を使い、登拝道や祠を設ける。
そうして富士山の信仰の世界を、江古田の地面の上に表そうとしたわけです。
山頂には祠、道の途中には天狗や猿
文化庁の記録によると、江古田富士の山頂には、唐破風屋根のついた石祠があります。
また、経ヶ嶽や太郎坊、小御嶽神社に関係する石碑、大天狗・小天狗・神猿などの石像も残されています。[4]
小さな山に、天狗と猿までいる。
なかなかにぎやかな顔ぶれです。
ただし、これらは観光客を楽しませるための飾りとして並べられたものではありません。
富士山をめぐる信仰や、山中の聖地とのつながりを表す石造物として、文化財資料に記録されています。
それぞれの像や石碑に込められた個別の意味を、すべて現在の資料から断定できるわけではありません。
それでも、石碑や祠が残されていることから、ただ頂上まで歩くだけではない、祈りを伴う登拝の場だったことが分かります。
高さ約8メートル。
数字で見ると短い距離ですが、その中に富士山を信仰するための道筋が組み込まれているのです。
大きな違いは、富士山への信仰を目的として造られ、登拝する場所になっていたことです。
江古田富士では、溶岩、登拝道、石祠、石碑、石像がその歴史を伝えています。見た目は小さな山でも、その用途は単なる庭園とは異なります。
富士塚より前の話。神社には「夏に雪が降った」という伝承がある?

ここまでは、江戸時代の人々が富士塚を築いた話でした。
ところが、江古田浅間神社そのものの由来を調べると、もっと古い時代の話が出てきます。
しかも、少し意外な話です。
夏なのに、雪が降った。
江古田浅間神社の公式由緒には、承平元年(931年)の6月、当地に雪が降り、その積もった姿が富士山に似ていたため、人々がこの地を富士山の霊地として祀ったと伝えられています。[5]
6月に雪。
今の東京を思い浮かべると、かなり不思議な出来事です。
ただし、これは神社に伝わる創建伝承です。931年に実際に雪が降ったことを、気象記録などによって確認できたという意味ではありません。
ここで大切なのは、伝承が何を語っているかです。
神社の由緒では、雪に覆われた土地の姿と富士山が結び付けられています。
一方、江戸時代の富士塚は、富士講の人々が富士山信仰のために築いたものです。
古い神社の創建伝承と、江戸時代の富士塚の築造は、別の時代の話。
両者を一つの出来事として扱うことはできません。
けれど、どちらにも「この場所に富士山を重ねて見る」という共通点があります。
江古田の小さな富士山が、単に江戸の流行で造られた山というだけでなく、浅間神社という信仰の場所にあることも、少し違って見えてきます。
江戸の山が今も残るのは、壊れなかったから?

1839年ごろに築かれたとされる富士塚。
それが現在まで残っているというと、昔の姿がそのまま守られてきたように感じます。
ところが、そうではありません。
江古田富士は、1923年の関東大震災で損壊しました。
練馬区と文化庁の資料には、その後に復旧工事が行われたことが記録されています。[3][4]
壊れなかったから残ったのではなく、壊れた後に修復された山なのです。
しかも、文化庁の詳しい解説には、震災時の御神体修築に関する碑が存在することも記されています。
つまり、山そのものだけでなく、修復という出来事の記憶も石に残されているのです。
なぜ国の重要有形民俗文化財なのか
江古田の富士塚が国の重要有形民俗文化財に指定されたのは、1979年5月21日です。
ここでいう民俗文化財とは、人々の生活や信仰、習わしを知るために重要な文化財のことです。
江古田富士の場合、都内でも比較的大きな富士塚であることに加え、石祠や石碑などが江戸時代の庶民信仰の姿を伝えている点が重視されています。[4]
有名な武将が住んだ城でも、巨大な寺院でもありません。
普通の人々が何を信じ、どうやって仲間をつくり、どのような場所で祈ったのか。
その手掛かりを伝えていることに、この富士塚の文化財としての価値があります。
富士塚の築造時期について、文化年間とする別説がある。
小竹丸祓講が富士塚を築いたと考えられる。一般的に示される築造年代。
関東大震災で損壊。その後、復旧工事が行われる。
国の重要有形民俗文化財に指定される。
「有吉くんの正直さんぽ」の桜台・江古田編で紹介される。
有吉くんたちは登れたのに、普段は登れない?
さて、ここでテレビの話に戻ります。
2026年10月24日放送の「有吉くんの正直さんぽ」は、「個性が光る!桜台・江古田をお散歩」という回でした。
フジテレビの公式バックナンバーには、立ち寄り先の一つとして江古田浅間神社が掲載されています。
番組の放送内容を記録した「TVでた蔵」によれば、富士塚の登拝が紹介され、富士山へ登ることと同じ意味を持つとされる信仰についても触れられました。[1][2]
ここだけ見ると、江古田駅に行けば、いつでも気軽に登れそうです。
しかし、実際は違います。
江古田の富士塚は、通常の日に自由に登拝できる場所ではありません。
登れるのは、原則として年3回の機会
練馬区の2026年3月更新の案内では、登拝可能日を次のように示しています。[6]
・1月1日〜3日(正月三が日)
・7月1日(山開き)
・9月第2土曜日・日曜日(例大祭)
※2026年10月29日時点の公表情報に基づく例年の案内です。将来の実施時間、公開方法、天候による変更は神社の最新案内を確認してください。
正月、山開き、例大祭。
登拝できる日が、信仰や神社の行事と結び付いていることも分かります。
テレビを見て興味を持った方は、とくに注意したいところです。
文化財だからといって、いつでも登れるわけではありません。普段は富士塚の内部へ立ち入らず、練馬区が案内するように路上から見学するのが基本です。
本物の富士山も、登山道の開通時期や気象条件を確かめて登る山です。
江古田富士にも、登ることが許される時期があります。
高さ8メートルだからといって、登山のルールまで小さいわけではないのですね。
江古田浅間神社はどこ?駅からのアクセスと見学の注意点
江古田浅間神社は、西武池袋線・江古田駅北口から徒歩約1分。
駅から近い場所ですが、神社への参拝と富士塚への登拝では、利用できる範囲が異なります。
- 名称
- 江古田浅間神社(えこだせんげんじんじゃ)
江古田の富士塚(通称:江古田富士) - 所在地
- 東京都練馬区小竹町1-59-2
- 最寄駅
- 西武池袋線「江古田駅」北口より徒歩約1分
- 開門時間
- 9:00〜17:00
2026年10月24日の番組公式掲載情報。行事等で変更される場合があります。 - 富士塚の規模
- 高さ約8m/直径約30m
- 文化財指定
- 国指定重要有形民俗文化財
1979年5月21日指定 - 登拝可能日
- 正月三が日・7月1日・9月第2土日(原則)
- 電話
- 03-3957-6662
フジテレビ公式掲載の連絡先
登拝するときに気を付けたいこと
富士塚は文化財であり、一般的な公園の遊具や展望施設ではありません。
登拝が認められた日も、現地の案内に従い、足元に注意して歩きましょう。
岩や石段のある場所では、滑りにくい靴が安心です。石像や祠、石碑にはむやみに触れず、立入禁止の場所には入らないようにしてください。
小さな子どもと一緒に訪れる場合も、山の高さだけで安全を判断しないことが大切です。
なお、通常の神社参拝ができる時間と、富士塚に登れる時間は同一ではありません。登拝を目的に訪れる場合は、日時と公開条件を事前に確認しましょう。
駅前の8メートルに、江戸の人々が見ていた富士山がある
最初は、少し変わった駅前の小山でした。
高さ8メートル。直径30メートル。
本物の富士山と比べれば、その大きさはまるで違います。
けれど、江戸時代の人々が富士山へ行くために仲間をつくり、お金を出し合い、地域に登拝のための山を築いたことを知ると、この数字の意味が変わってきます。
山に運ばれた富士山の溶岩。
登拝道の石碑や天狗の像。
震災で壊れ、その後修復されたという記録。
そこには、小さな山を築いて終わりではない、人々の信仰と、その場所を残してきた歴史があります。
そして神社には、夏の雪が富士山のように見えたという、さらに古い創建伝承まで残されています。
江古田という街の地面の上に、何度も富士山が重ねられてきたようにも見えます。
次に江古田駅北口を歩くとき、木々の向こうにある小さな山を思い出してみてください。
そこにあるのは、富士山を小さくした模型だけではありません。
遠くの山へ向けられた、江戸の人々の願いを今に伝える場所。
そう考えると、8メートルの山も、ずいぶん奥行きのある風景に見えてきます。
江古田の小さな富士から、次の街の物語へ
参考資料・出典
情報確認日:2026年10月29日。神社・自治体・文化庁の公表資料と、フジテレビの放送情報を中心に確認しました。伝承と歴史的事実、築造時期の別説は区別しています。
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フジテレビ|ぶらぶらサタデー 2026年10月24日放送「有吉くんの正直さんぽ」
発行:フジテレビジョン
番組名、放送日、江古田浅間神社の紹介、所在地、開門時間、富士塚の開放日の掲載を確認。
https://www.fujitv.co.jp/burabura/_basic/backnumber/index-746.html
確認日:2026年10月29日 -
TVでた蔵|江古田浅間神社(有吉くんの正直さんぽ)
発行:TVでた蔵
2026年10月24日12時29分〜35分の放送内容の記録。番組で富士塚への登拝が取り上げられたことを確認。番組内容の補助資料として使用。
TVでた蔵の掲載ページ
確認日:2026年10月29日 -
練馬区|江古田の富士塚
発行:東京都練馬区
富士講の仕組み、1839年の築造説、小竹丸祓講、規模、富士山の溶岩、関東大震災後の復旧、文化財指定、見学上の注意を確認。
練馬区公式文化財ページ
ページ更新日:2025年10月2日
確認日:2026年10月29日 -
文化庁|国指定文化財等データベース「江古田の富士塚」
発行:文化庁
重要有形民俗文化財の指定日、築造年代の異説、石祠・天狗・神猿などの石造物、震災の修復記録、1807年の石燈籠と1812年の手水鉢に関する解説を確認。
国指定文化財等データベース
確認日:2026年10月29日 -
江古田浅間神社|公式ホームページ
発行:江古田浅間神社
御祭神、931年夏の降雪に関する創建伝承、富士塚の由緒、登拝の行事を確認。創建伝承は史実の証明としては扱っていません。
https://ekoda-sengenjinja.com/
確認日:2026年10月29日 -
練馬区FAQ|区内に富士塚はありますか
発行:東京都練馬区・練馬区コールセンター
江古田の富士塚の通常登拝可能日(1月1〜3日、7月1日、9月第2土・日)と、常時登拝できる富士塚との違いを確認。
練馬区FAQの該当項目
ページ更新日:2026年3月27日
確認日:2026年10月29日
※本記事は公開された文化財資料・神社の公式由緒・番組情報をもとに構成しています。ekirip編集部が現地で登拝したことや、神社関係者へ独自取材を行ったことを示すものではありません。見学や登拝の際は、現地の最新案内を優先してください。