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日本の宇宙開発は国分寺から始まった!たった23cmのロケットを「横向き」に飛ばした理由

東京都 / 国分寺市 / 国分寺線 | 更新日: 2026-10-30
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EKIRIP|国分寺駅・街に眠る宇宙開発の歴史

日本の宇宙開発は、
たった23cmから始まった。

しかも、その場所は東京・国分寺。

種子島でも、宇宙センターでもありません。 今では学校が建つ場所で、日本のロケット開発につながる歴史的な実験が行われました。

ロケットといえば、巨大な機体が炎を噴きながら空へ昇っていく姿を思い浮かべます。

ところが、1955年4月12日、現在の国分寺市で飛んだロケットは、わずか23cm。 学校で使う定規より短いくらいです。

名前は「ペンシルロケット」。

しかも、もっと意外なことがあります。 このロケット、最初は空に向かって飛んでいません。

地面とほぼ平行に、横向きに発射されたのです。 [1][2]

宇宙を目指しているのに、横に飛ばす?

ずいぶん遠回りな始め方です。 でも、その理由をたどると、日本の宇宙開発がどうやって力をつけていったのかが見えてきます。

23cmのロケットで、本当に宇宙を目指せたの?

ペンシルロケットの水平発射

まずは、その大きさを確認してみましょう。

23cm 全長
1.8cm 直径
約200g 重量

これはJAXAが紹介している初期のペンシルロケットの寸法です。 重さは一般的なスマートフォンと同じくらい。 「ペンシル」という名前も、細長い形に由来しています。 [1][3]

当然ながら、この大きさで人工衛星を宇宙まで運ぶことはできません。

では、どうしてこんなに小さなものから始めたのでしょうか。

その理由は、研究の目的にあります。

当時の研究者たちは、最初から巨大なロケットを完成させようとしていたわけではありません。

まず必要だったのは、ロケットがどのように加速し、どんな形なら安定して飛ぶのかを、実験によって確かめることでした。

ペンシルロケットは、燃料を内部に収めた固体燃料ロケットです。 燃料の燃焼で発生するガスを後方へ噴き出し、その反作用で前に進みます。

小さくても、ロケットとしての基本的な仕組みは備えています。

いきなり大きな機体に挑戦するのではなく、小さな機体で一つずつ確かめる。 その積み重ねを選んだのです。 [4]

ここまでの発見

ペンシルロケットは、宇宙へ届くこと自体が目的ではありませんでした。 宇宙へ届くロケットを造るための、最初の実験機だったのです。

それなら一つ、気になることが残ります。

ロケットの性能を調べるのなら、なぜ空へ向けて打ち上げなかったのでしょう。

宇宙を目指すのに、なぜ横向きに飛ばした?

国分寺でのロケット実験

実は、ここに当時の技術事情が関係しています。

現在のロケットは、レーダーや各種センサーなどを使って、飛行中の位置や状態を詳しく調べられます。

しかし1955年の日本には、ロケットをレーダーで追跡する技術がまだ整っていませんでした。 [1]

空高く飛ばしてしまうと、速度や飛び方を詳しく測ることが難しかったのです。

そこで考えられたのが、水平発射でした。

JAXAの宇宙科学研究所が公開している記録によると、実験ではロケットを水平に発射し、細い導線を張ったスクリーンを通過させていました。

ロケットがスクリーンの導線を切ると、その時刻が記録されます。 複数のスクリーンを通り抜ける時間差を調べれば、速度がどのように変わったのかを計算できます。 [2]

なるほど。

空へ追いかけられないなら、通過する場所をあらかじめ決めて、そこで測ればいい。

さらに、尾翼の形や角度を変えたり、高速度カメラを使ったりして、飛行の安定性も調べました。

当時の実験は、ただ遠くまで飛ばして成功を喜ぶものではありません。

どんな条件で、どんな飛び方になったのか。 小さな機体から、できるだけ多くの情報を取り出そうとしていたのです。

最初に知りたかったのは、
「どこまで飛ぶか」だけではなく、
「どうやって飛ぶか」だった。

そう考えると、横向きの発射は遠回りどころか、当時の条件に合った合理的な方法だったことが分かります。

ところで、この話にはまだ不思議な点があります。

なぜ実験場所が国分寺だったのでしょうか。

なぜ国分寺?実験場所は、もともと何だった?

日本の宇宙開発は国分寺から始まった!たった23cmのロケットを「横向き」に飛ばした理由 - 国分寺駅の写真

日本初期のロケット開発というと、山の中や広い海岸にある実験場を想像しそうです。

ところが、国分寺の実験場所には、意外な前歴がありました。

銃の試射場跡だったのです。

研究を率いたのは、東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授。 実験に使われたのは、当時の新中央工業の工場跡地にあった、銃の試射に使われていた施設です。 [2][3]

銃の試射場で、ロケット。

まったく別のものに見えますが、どちらも一定の方向に物体を飛ばし、その飛び方を確かめるための場所です。

既存の施設を使えたことは、水平発射実験にとって重要でした。

ただし、国分寺という土地が最初から宇宙開発の拠点として計画されていたわけではありません。

JAXAの記録には、適切な実験場所がなかなか見つからなかったという、当時の目撃者の証言も残されています。 [2]

つまり、宇宙を目指す研究の第一歩は、特別に造られた宇宙基地ではなく、使える場所を探すところから始まっていたのです。

そして、その歴史的な実験場所は、現在の早稲田実業学校の敷地にあたります。 国分寺市によれば、実験地点は現在テニスコートになっています。 [5]

いつもの学校の敷地が、70年以上前にはロケットの研究現場だった。

この土地の見え方が、少し変わってきます。

たった23cmから、どうやって人工衛星まで到達した?

23cmのペンシルロケット

ここまで調べると、次の疑問が生まれます。

ペンシルロケットで飛び方を確かめたとして、それが本当に宇宙へ届く技術につながったのでしょうか。

答えは、その後の開発の歩みにあります。

1955年4月の国分寺での実験を経て、研究はより大きなロケットへと進んでいきました。

1955年4月|国分寺

全長23cmのペンシルロケットで水平発射実験。 速度や飛行の安定性を調べる。

1955年6〜7月|研究を継続

東京大学生産技術研究所で2段式ペンシルロケットなどの水平発射実験を実施。

1955年8月|秋田県・道川海岸

全長30cmの「ペンシル300」を斜め上へ発射。 地上の水平実験から、空へ飛ばす段階へ進む。

1970年2月11日|人工衛星「おおすみ」

L-4Sロケットによって、日本初の人工衛星の打ち上げに成功。

1955年から1970年まで、およそ15年。

もちろん、23cmの機体がそのまま巨大化して人工衛星を運んだわけではありません。

ペンシルロケットで得られた経験を出発点に、ロケットの大型化、飛行の安定性、燃焼や構造の研究が積み重ねられました。

JAXAも、日本の固体ロケット開発はペンシルロケットから始まったと位置付けています。 [1][4]

ここで、最初の23cmという数字の意味が変わります。

小さすぎたから23cmだったのではなく、小さな機体で確かなデータを集め、その先へ進んでいったのです。

国分寺に、当時のロケットの痕跡は残っている?

実験から長い年月がたち、国分寺の街並みは変わりました。

けれども、ロケットの記憶が消えたわけではありません。

2006年4月、早稲田実業学校の正門付近に「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑が建立されました。 [5]

実験が行われた場所そのものは現在の学校敷地内にありますが、顕彰碑はその歴史を街の中で伝えています。

そして、顕彰碑にはもう一つ、面白い仕掛けがあります。

地下にタイムカプセルが埋められているのです。

そのデザインを手がけたのは、漫画家の松本零士さん。

中にはJAXAが全国の小中学生から募集した「50年後のロケットイラスト」が収められています。

開封予定は、ペンシルロケットの実験から100周年となる2055年。 [5]

1955年に未来を目指したロケットの場所に、今度は未来のロケットを描いた絵が眠っている。

これは、なかなかいい時間のつながり方です。

さらに、2025年には実機の一部も確認された

国分寺とペンシルロケットの歴史には、比較的新しい発見もあります。

2025年、国分寺市は、東京都江東区豊洲の「i-muse」に展示されていたペンシルロケットについて、専門家の鑑定により一部が実機であると確認されたことを発表しました。 [6]

70年前の研究を伝えるものが、単なる復元模型だけではなかったのです。

なお、これは展示物の一部が実機と確認されたという発表であり、国分寺で発射されたすべての機体の所在が明らかになったという意味ではありません。

小さなロケットには、まだ調べる余地が残されています。

宇宙探査機「はやぶさ」にも、国分寺とのつながりが?

国分寺から始まった宇宙開発

ここで、ロケット開発を率いた糸川英夫という名前を思い出してください。

実はこの名前、日本の宇宙探査の歴史にも登場します。

小惑星探査機「はやぶさ」が訪れた小惑星の名前は「イトカワ」。

その名は、ロケット研究の先駆者である糸川英夫にちなんだものです。

さらに国分寺市の観光案内によれば、小惑星イトカワの地名の一つには、宇宙開発発祥の地にちなむ「国分寺」という名前が付けられています。 [7]

1955年、国分寺の地上でわずか数メートル先へ飛んだ小さなロケット。

そして半世紀ほど後、国分寺という名前は、はるか宇宙の小惑星にも残されました。

23cmから始まった物語が、地球の外にまで続いているわけです。

「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑はどこ?

国分寺の宇宙開発の歴史は、現在も街歩きの中でたどれます。

SPOT INFORMATION
名称
「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑
所在地
東京都国分寺市本町1-2-1
早稲田実業学校正門付近
最寄駅
JR中央線・西武国分寺線・西武多摩湖線「国分寺駅」
アクセス
国分寺駅から徒歩約15分(国分寺市観光案内による)
見学について
校門付近の顕彰碑を見学するスポットです。 実験地点は学校敷地内にあり、自由に立ち入れる公開施設ではありません。

※学校の教育活動や通行の妨げにならないよう配慮してください。学校敷地内への無断立ち入りは避け、現地の案内に従ってください。 [7]

次に23cmの定規を見たら、思い出してほしいこと

最初に聞いたとき、23cmのロケットは、宇宙を目指すにはあまりにも小さく感じられました。

しかも空には飛ばず、横に飛ぶ。

けれども、ここまでたどると、その小ささにも、横向きだったことにも、ちゃんと意味があったと分かります。

研究者たちは、限られた設備で飛び方を測り、得られたデータを次の実験へつなげていきました。

その積み重ねが、日本初の人工衛星「おおすみ」へと続く、固体ロケット開発の礎になったのです。

国分寺駅から歩いた先にある学校の校門。 そこでかつて、ほんの短い距離を飛んだロケットがありました。

宇宙への挑戦というと、空を見上げたくなります。

でも国分寺では、その始まりを知るために、少しだけ地面のほうへ目を向けてみる。

そんな街歩きも、悪くありません。

参考資料・出典

  1. JAXA 宇宙輸送技術部門
    「国産ロケットの系譜」
    ペンシルロケットの寸法、水平発射の背景、人工衛星「おおすみ」への開発史。
    https://www.rocket.jaxa.jp/column/knowledge/genealogy.html
  2. JAXA 宇宙科学研究所
    「国分寺のペンシル|日本の宇宙開発の歴史」
    1955年4月12日の実験、4月14日の公開試射、計測方法、当時の目撃証言。
    https://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/chapter01/02/01.shtml
  3. JAXA 宇宙科学研究所
    「ペンシル50年の節目の日に」2005年4月12日。
    初期ペンシルロケットの寸法、重量、国分寺実験の意義。
    https://www.isas.jaxa.jp/j/snews/2005/0412.shtml
  4. 日本航空宇宙学会誌
    杉村文隆「日本の固体ロケット技術の礎を築いたペンシルロケット」2025年、第73巻第4号。
    初期の技術開発、実験の進展と固体ロケット開発史。
    https://doi.org/10.14822/kjsass.73.4_113
  5. 国分寺市
    「国分寺市からロケット発射」2026年2月10日更新。
    実験地点、顕彰碑、タイムカプセルと2055年開封予定について。
    国分寺市公式ページ
  6. 国分寺市
    「ペンシルロケット実機(部分)の発見」2025年3月25日更新。
    i-muse展示物の一部が実機と確認された件。
    国分寺市公式発表
  7. 国分寺市観光シティプロモーションサイト
    「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑。
    所在地、国分寺駅からのアクセス、小惑星イトカワとの関係。
    https://kokubunji-citypro.jp/article/919/

情報確認日:2026年10月30日。
本記事では、戦後日本の固体ロケット開発につながるペンシルロケットの実験を扱っています。 「日本の宇宙開発発祥の地」は国分寺市などが用いる呼称であり、日本におけるあらゆるロケット関連実験が国分寺で初めて行われたという意味ではありません。

初期機体の重量は資料・仕様によって表記に差があります。本記事ではJAXA宇宙科学研究所の解説に基づき約200gとしました。 また、1955年4月12日を初の水平試射日とし、報道関係者等が立ち会った公開試射は同年4月14日とするJAXAの歴史資料に従っています。

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記事の最終更新
2026-10-30
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公式情報や現地情報をもとに正確性の確認に努め、変更を確認した場合は随時更新します。
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