
川越の蔵造りの町並みに、銀行かホテルのような立派な洋風建築があります。
正面には4本の大きな柱。窓の間には美しい彫刻。そして、1階の入り口には色とりどりのステンドグラス。
いったい何の建物なのでしょう。
看板を読むと、そこには「保刈歯科醫院」の文字。
歯医者さんでした。
いや、もちろん歯医者さんが立派な建物に入っていても不思議ではありません。でも、この外観。どう見ても、歯科医院として最初から設計された建物には見えません。
実は、その直感は当たっています。
この建物は1936年(昭和11年)、川越で最初のデパートとして知られる「山吉デパート」のために建てられたもの。しかも、現在の院長のお祖父さんが建てた建物なのです。[1]
なるほど、デパートだったのか。
ところが、歴史を調べると、1936年よりさらに古いデパートの話が出てきます。その後には、川越でおなじみの別の百貨店まで登場します。
この歯科医院、外観から想像するよりずっと多くの川越の歴史を抱えているようです。
1936年にできたデパート。でも、開業はもっと前だった?
最初の手掛かりは「山吉(やまきち)」という名前です。
三井住友トラスト不動産の歴史資料「このまちアーカイブス」によると、山吉の前身は、川越の渡邊家が江戸時代から営んでいた呉服店でした。
呉服とは、着物などに使う布や和装品のこと。屋号は「山田屋」といい、川越を代表する呉服商の一つとして発展していきました。[2]
ところが、この店は昔ながらの着物を売るだけではありませんでした。
当時の渡邊吉右衛門は、商品のパンフレットを発行して配ったり、婚礼用品を幅広く取り扱ったりと、新しい商売の方法を取り入れていました。
さらに1910年には、洋服を扱う「渡邊洋服部」を独立させています。
着物の時代から、洋服の時代へ。
お店の中身は、少しずつ変わっていたわけです。[2]
最初の山吉デパートは1923年に開業
そして1923年(大正12年)。
山吉呉服店は、もともとの店蔵の裏側に木造3階建ての洋館を建て、百貨店「山吉デパート」を開業しました。
三井住友トラスト不動産の資料では、これを埼玉県内初の百貨店として紹介しています。1982年発行の川越市広報にも、山吉が県内のデパート第1号だったという記述が残っています。[2][3]
ここで、最初の思い込みがひっくり返ります。
1936年は、山吉デパートが初めて開業した年ではありません。
デパートとしての開業は1923年。現在残っている洋風ビルが建てられたのが、その13年後の1936年です。
1936年には、それまでの店蔵部分を建て替え、現在の鉄筋コンクリート造3階建ての建物が誕生しました。[2]
つまり、現在の保刈歯科醫院は、単に昔のデパートが残った建物ではありません。
呉服店から百貨店へと成長してきた山吉が、昭和初期に新しく設けた洋風の店舗建築なのです。
それなら、次の疑問です。
蔵造りの建物が並ぶ川越で、なぜこんなに堂々とした西洋風の建物を建てたのでしょう。
蔵の町なのに、なぜギリシャ風の柱が4本もある?

もう一度、建物の正面を見てみましょう。
2階から3階にかけて、4本の大きな柱が立っています。
柱の上の部分には、左右に巻いたような渦巻き模様。これは古代ギリシャ建築に由来する「イオニア式」と呼ばれる柱の特徴です。
さらに、中央の柱と柱の間には、葉や植物をかたどったような立体的な装飾があります。
この装飾は、モルタルという材料で形をつくったレリーフ。建物の正面を飾る、ひときわ目立つ部分です。[4]
歯医者さんの建物にギリシャ風の柱。
いよいよ、普通の歯科医院とは違う雰囲気になってきました。
設計したのは、川越の有名な銀行と同じ建築家
この建物を設計した人物を調べると、意外な名前が出てきます。
保岡勝也(やすおか・かつや)。
明治から昭和にかけて活躍した建築家で、かつて三菱合資会社の建築部門に所属し、独立後も銀行や住宅など数多くの建物を設計しました。
そして川越では、次のような建築も担当しています。
- 1918年築:旧第八十五銀行本店(現在のりそな コエドテラス)
- 1925年築:旧山崎家別邸
- 1936年築:旧山吉デパート(現在の保刈歯科醫院)
同じ建築家が、銀行、別邸、百貨店を設計していたのです。[5]
そう聞いてから建物を見直すと、なるほどと思うところがあります。
山吉デパートの重厚な柱や堂々とした正面は、確かに銀行建築を思わせる姿です。
1982年3月10日発行の『広報川越』では、なんとこの建物のレリーフが表紙を飾っています。
当時の川越市は、山吉の洋風建築に、川越商人の先進性や意気込みが表れているのではないか、という趣旨の文章を添えました。[3]
ただし、これは広報の執筆者による建物の読み解きです。施主がどのような意図でこの様式を選んだのか、そのすべてが証明されているわけではありません。
それでも、着物を売る商店から始まった山吉が、銀行のような立派な洋風建築をつくったという事実は残ります。
蔵の町で、商売の新しい時代を感じさせる建物。
あの4本の柱が、少し違って見えてきます。
入口にある3枚のステンドグラス。実は90年前から?

建物の魅力は、大きな柱だけではありません。
1階の入り口付近にも、見逃せないものがあります。
建物が完成した1936年から残る、3か所のステンドグラスです。
保刈歯科醫院の公式サイトには、医院入り口の上部3か所に、建設時からのステンドグラスが現在も残されていると記載されています。[1]
1936年から2026年まで、実に90年。
百貨店として使われていた時代のガラスが、いまも歯科医院の玄関を飾っているのです。
中央は噴水、左右には鳳凰?
建築史を扱うブログ「関根要太郎研究室@はこだて+ちちぶ」の2025年の記事では、このステンドグラスの模様にも詳しく触れています。
その紹介によると、中央の玄関上部には公園と噴水、左右のショーウィンドウ上部には鳳凰を描いたステンドグラスがあり、戦前のステンドグラス作家・別府七郎の工房による作品とされています。[5]
噴水に、鳳凰。
なんだか美術館の説明を読んでいるようですが、これは百貨店の玄関についているガラスの話です。
現在の歯科医院の名前を一度忘れて、ステンドグラスと両脇の大きな窓を眺めてみると、かつて商品を並べていた商業施設の姿が想像しやすくなります。
なお、ステンドグラスが1936年から残ることは医院公式サイトで確認できますが、図柄や作者については建築研究記事での紹介内容です。
そして、ここまで調べて、もう一つ気になることがあります。
これほど立派な百貨店だった山吉は、その後どうなったのでしょう。
山吉デパートの次は、なんと「丸広百貨店」だった
山吉デパートの歴史を追いかけると、川越の人にはおなじみの名前が登場します。
丸広百貨店です。
現在、川越市新富町にある丸広百貨店。実は川越に出店した当初、この山吉デパートの建物を使用していました。
財務省の広報誌『ファイナンス』2025年8月号に掲載された「路線価でひもとく街の歴史」でも、その経緯が説明されています。[6]
1951年、山吉から丸木へ
山吉デパートは1951年(昭和26年)に閉店。
その同じ年、建物に入ったのが「丸木百貨店 川越店」でした。
丸木は1939年に飯能で始まった商店を源流とし、1951年10月に川越店を開設しました。のちに「丸広百貨店」へと名前が変わります。[2][6]
山吉デパートから丸木百貨店へ。
百貨店がなくなって建物も終わり、ではなかったのです。
次の百貨店が、同じ建物で商売を続けていました。
そして1964年(昭和39年)10月、丸広百貨店は新富町に新しい5階建ての店舗を建てて移転します。さらに1968年には店舗を大幅に増床しました。[6]
ここにも、川越の町の変化が表れています。
昔の川越の商業中心地は、現在の蔵造りの一番街周辺でした。それが鉄道や道路の整備、店舗の大型化などによって、しだいに駅に近い南側へと移っていきました。
山吉デパートの建物は、そんな川越の商業中心地の移り変わりを見てきた建物でもあるのです。
- 1923年山吉デパート開業。店蔵の裏に木造3階建ての洋館を建設
- 1936年保岡勝也の設計による、現在の3階建て洋風ビルが完成
- 1951年山吉デパートが閉店。丸木百貨店川越店が建物を使用
- 1964年丸広百貨店が現在の新富町へ移転
- その後キャバレーなどに使用された時期を経て、長く使われない状態に
- 2000年代建物の復元・耐震補強が行われ、保刈歯科醫院が入る建物に
- 2008年彩の国景観賞を受賞
年表は三井住友トラスト不動産、財務省、医院公式サイト、埼玉県の資料をもとに作成。復元工事の完成年月には資料間で記載の差があるため、年表では年代で示しています。[1][2][6][7]
一度は廃墟になった建物が、なぜ歯科医院に?

丸広百貨店が移転した後も、建物の歴史は続きます。
ただし、順調な時間ばかりではありませんでした。
三井住友トラスト不動産の資料では、丸広の移転後、この建物はキャバレーなどに使われたと紹介されています。
さらに埼玉県の「景観資源データシート」には、山吉ビルが廃墟となって長い間放置されていたことが記録されています。[2][7]
あれほど立派だった建物が、廃墟に。
しかも、1982年の川越市広報でも、すでに廃屋として紹介されていました。[3]
美しい建築だからといって、必ずしも使い続けられるわけではないようです。
2000年代、建物をもう一度使える姿へ
その後、2006年から建物の復元工事が始まりました。
建物の歴史的な姿を残しながら、耐震補強も実施。設計には守山登建築研究所、施工には川木建設が関わったことが、埼玉県の資料に記録されています。[2][7]
そして2008年には「彩の国景観賞」を受賞。医院公式サイトでは「平成20年度かわごえ都市景観表彰」も受けたことが紹介されています。[1][7]
ここで、最初の疑問に戻ります。
どうして、復元された建物が歯科医院になったのでしょう。
その大きな手掛かりが、医院の公式サイトにありました。
現在の院長・保刈成志さんの祖父は、1936年にこの建物を建てた渡辺吉右衛門なのです。[1]
つまり、まったく関係のない建物を偶然歯科医院に改装した、という話ではありません。
かつて百貨店を営んでいた家族の歴史と、現在の歯科医院がつながっています。
百貨店と歯科医院。
扱うものはまるで違います。でも、建物を建てた人と今そこで働く人の間には、家族のつながりがありました。
ただし、歯科医院として使うことを選んだ詳しい経緯や、建物の保存に込めた院長自身の考えまでは、今回確認した公開資料からは分かりません。
確かなのは、かつての山吉ビルが修復され、家族にゆかりのある場所で、現在も新しい仕事が続いていることです。
では、現在の建物の中には何がある?
ここまで昔の話を追いかけてきましたが、保刈歯科醫院は現在も診療を行っている歯科医院です。
建物は3階建てですが、医院の所在地として案内されているのは山吉ビルの1階です。
公式サイトで公開されている医院案内を見ると、歴史的な外観とは対照的に、内部は現代の歯科診療に合わせた設備が設けられています。[1]
木目の受付から、子ども向けスペースまで
医院公式サイトでは、次のような設備・空間が紹介されています。
- 木目を基調とした受付:落ち着いた雰囲気の受付スペース
- 待合室:DVDやBGMなどを取り入れた空間
- キッズコーナー:待合室だけでなく診療室内にも設置
- 診療室:各診療台をパーテーションで区切った構成
- デジタルX線撮影装置:画像をデジタルで確認する診療設備
- 歴史的なステンドグラス:入口上部の3か所に建設当時から残る装飾
一般歯科や小児歯科、予防歯科のほか、口腔外科、顎関節症治療、ホワイトニング、審美歯科などの診療内容が案内されています。[1][8]
90年前のステンドグラスのある建物で、デジタルX線装置を使って歯の診療をする。
建物の古さと、そこで行われている仕事の新しさが、なかなか面白い組み合わせです。
なお、ここは建築展示施設ではなく、患者さんが利用する医療機関です。歴史的な外観やステンドグラスを見たい場合は、公道から周囲の通行を妨げないように眺めましょう。診療目的以外の内部見学ができるという案内は確認できていません。
保刈歯科醫院はどこ? 本川越駅からのアクセス
保刈歯科醫院があるのは、川越市仲町6-6。蔵造りの一番街へ入るあたりに位置しています。
西武新宿線・本川越駅からは、医院公式サイトで徒歩約10分と案内されています。[8]
- 医院名
- 保刈歯科醫院(ほかりしかいいん)
- 建物名
- 山吉ビル(旧山吉デパート)
- 住所
- 〒350-0065
埼玉県川越市仲町6-6 山吉ビル1F - 最寄り駅
- 西武新宿線・本川越駅から徒歩約10分
- 電話番号
- 049-223-4618
- 診療日
- 月・火・木・金・土曜日
- 午前
- 9:30〜12:30
- 午後
-
月・木:14:00〜19:00
火・金:14:00〜20:00
土:14:00〜18:00 - 休診日
- 水曜日・日曜日・祝日
- 駐車場
- 医院裏側に専用駐車場3台分の案内あり
- 公式サイト
- 保刈歯科醫院
- 地図
- Googleマップで場所を確認
※診療時間・休診日は2026年11月6日に医院公式サイトの掲載内容を確認。変更や臨時休診の可能性があるため、受診する場合は事前に医院へご確認ください。建物の見学を目的とする施設ではありません。
この建物は、ほかのメディアでどう紹介されている?
山吉ビルは、歯科医院という現在の役割だけでなく、川越の歴史的建築としても紹介されてきました。
今回、実際に内容を確認できた公開資料・紹介記事を整理すると、注目されるポイントが少しずつ異なります。
- 1982年3月10日|川越市『広報川越』 建物正面の植物模様のレリーフが、広報誌の表紙写真として掲載されています。山吉を県内初のデパートとして紹介し、西洋風の建築に当時の川越商人の意気込みを読み取っています。 1982年の広報川越を読む(PDF)
- 2021年3月31日|西武線沿線メディア「ぐるっとプラス」 「かわごえ建物さんぽ」の記事で、蔵造りの町並みに残る洋風建築として保刈歯科醫院を紹介。1936年に川越最初のデパートとして建てられたことや、当時のステンドグラスが残ることに注目しています。 蔵造りの小江戸川越をもっと好きになる「かわごえ建物さんぽ」
- 2025年3月1日|「関根要太郎研究室@はこだて+ちちぶ」 建築家・保岡勝也との関係、イオニア式の柱、ステンドグラスの図柄、修復の経緯を紹介。1998年に撮影した改修前の写真も掲載され、建物がどれほど変化したかをたどることができます。 埼玉県川越市の旧山吉デパート(昭和モダン建築再見2025)
- 埼玉県|景観資源データシート「山吉ビル」 長く放置されていた建物が復元と耐震補強によって再生した経緯を紹介。2008年度の彩の国景観賞受賞も記録されており、建物の全景写真も掲載されています。 埼玉県の山吉ビル資料を見る(PDF)
昔の市広報、沿線の街歩き記事、建築の専門的な調査、県の景観資料。
それぞれ別の角度から紹介されていますが、共通しているのは、山吉ビルを単なる古い建物ではなく、川越の町の変化を伝える建築として扱っていることです。
歯科医院の4本の柱に、川越のデパートの記憶が残っていた
最初は、少し不思議な歯科医院の建物だと思いました。
大きな柱に、立派な装飾。90年前のステンドグラス。
でも、調べてみると、そこには一つのお店と川越の町の変化が重なっていました。
江戸時代から続く呉服商が、1923年にデパートを開く。
1936年には、銀行建築も手がけた建築家によって立派な洋風ビルを建てる。
その建物を、後に丸広百貨店も使う。
やがて百貨店は駅に近い場所へ移り、建物は一度廃墟になります。
そして、復元された建物に歯科医院が入り、現在も診療が続いています。
何より面白いのは、現在の院長が、かつてこの建物を建てた人のお孫さんだということ。
店の名前も、そこで行われる仕事も変わりました。
それでも、建物の正面に並ぶ4本の柱とステンドグラスは残っています。
次に「保刈歯科醫院」の看板を見たら、少しだけ視線を上に向けてみてください。
そこにあるのは、ただ立派な歯医者さんの外観ではありません。
川越の人たちがデパートで買い物をしていた時代へとつながる、昭和の商店街の面影なのです。

参考資料・情報確認元
-
保刈歯科醫院|医院案内
医院公式サイト。1936年の建築、渡辺吉右衛門と院長の関係、復元と受賞、ステンドグラス、診療設備について。
https://hokarishika.com/information/index.html -
三井住友トラスト不動産|このまちアーカイブス「川越・『蔵のまち』と戦前期の建物」
山吉呉服店の歴史、1923年のデパート開業、1936年の建て替え、丸木百貨店への転用、復元の経緯について。
https://smtrc.jp/town-archives/city/kawagoe/p05.html -
川越市|『広報川越』1982年3月10日号・第546号
山吉ビルのレリーフを表紙に掲載。県内のデパート第1号という紹介、昭和11年の建築、当時の建物に対する評価について。
川越市公式PDF -
洋館探訪|埼玉2(川越・入間市)
山吉デパートの建物構造、イオニア式の柱、レリーフ、ステンドグラスなどの建築的特徴について。
https://youkan.la.coocan.jp/kanto-ko/saitama2.html -
関根要太郎研究室@はこだて+ちちぶ|旧山吉デパート(昭和モダン建築再見2025)
2025年3月1日公開。保岡勝也の設計作品、別府七郎のステンドグラス、改修前の姿、復元について。
https://fkaidofudo.exblog.jp/37690380/ -
財務省|『ファイナンス』2025年8月号「路線価でひもとく街の歴史」
川越の商業中心地の移り変わり、丸広百貨店の川越進出、山吉デパートの建物の賃借、1964年の新富町への移転について。
https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202508/202508g.html -
埼玉県|景観資源データベース「山吉ビル」
2009年7月1日最終更新の県資料。廃墟となっていた経緯、復元と耐震補強、関係事業者、2008年度の彩の国景観賞受賞について。
埼玉県公式PDF -
保刈歯科醫院|アクセス・医院情報
所在地、電話番号、診療科目、診療時間、休診日、本川越駅からのアクセス、専用駐車場について。
https://hokarishika.com/access/index.html
情報確認日:2026年11月6日。この記事は医院・行政・歴史資料・公開済み紹介記事に基づいて構成したものです。現地取材や医院への直接取材を行ったものではありません。歴史的事実と資料執筆者による解釈は区別して記載しています。診療情報は変更される場合があります。