
EKIRIP|西武池袋線・江古田駅|街とエンタメの物語
『あまちゃん』も『木更津キャッツアイ』も。あの脚本家の青春をたどると、江古田の大学に行き着く。
『あまちゃん』の主人公が叫ぶ「じぇじぇじぇ」。『木更津キャッツアイ』の、にぎやかな仲間たち。
テレビドラマを見ているはずなのに、登場人物が勝手に動き出しているような、あの独特の面白さ。
脚本を書いたのは、宮藤官九郎さん。通称「クドカン」です。
その宮藤さんが若いころ通っていたのが、江古田駅のすぐ近くにある日本大学芸術学部、いわゆる「日芸」でした。
なるほど。名脚本家も芸術大学で勉強していたわけですね。
ところが、経歴を確かめると、少し意外な文字が出てきます。
「中退」。
えっ、卒業していない?
しかも調べていくと、大学の掲示板で見つけた一枚の募集案内が、その後の人生を動かしていたことが分かってきました。
そして、もう一つの意外な結末があります。
中退した宮藤さんは、のちに母校から表彰され、江古田のキャンパスでスピーチをしていたのです。
いったい何があったのでしょう。
宮藤官九郎さんは1989年に日本大学芸術学部放送学科へ入学。大学在学中に舞台の仕事と出会い、1991年には劇団「大人計画」に参加しました。
その後、脚本家として活躍し、2009年には日芸の第3回「日藝賞」を受賞しています。[1]
ただし、入学した1989年は日芸の所沢校舎が開設された年でもあります。学生生活のすべてが江古田キャンパスだったわけではありません。[2]
なぜ宮藤官九郎は、江古田の日芸を選んだ?

物語の始まりは、宮城県から東京に出てきた一人の青年です。
1970年生まれの宮藤官九郎さんは、1989年、日本大学芸術学部の放送学科に入学しました。
日本大学芸術学部の公式プロフィールにも、その年と学科が明記されています。[1]
放送学科という名前だけを見ると、テレビやラジオを作る仕事を目指していたのかな、と考えたくなります。
実際、宮藤さんはエンターテインメントの世界に関わりたいという思いを持って、宮城県から上京していました。
2021年の雑誌『POPEYE』の本人インタビューでは、20歳のころ、大学で勉強を続ける意味について迷いを感じていたことが語られています。[3]
好きなことはある。けれど、自分が作家になるのか、俳優になるのか、それとも別の仕事をするのか。
まだ、はっきり決まっていない。
テレビで見慣れた「クドカン」からは、少し想像しにくい姿です。
ちなみに、ここで江古田について一つ確かめておきたいことがあります。
入学した1989年、日芸には大きな変化があった
日芸が江古田へ移転したのは1939年です。
ところが宮藤さんが入学した1989年4月には、埼玉県所沢市に新しい校舎が開設され、教養課程と一部の専門科目が移転しました。[2]
つまり当時の日芸は、現在と同じく全学年が江古田に集まる形ではありませんでした。
宮藤さんが具体的にどの授業をどちらの校舎で受けていたかまでは、今回確認した資料からは分かりません。
ただ、江古田の日芸は、宮藤さんが所属した芸術学部の歴史的な拠点だったことに変わりはありません。
そして学生時代の宮藤さんに、学校の内と外をつなぐ、ある出来事が起こります。
人生を動かしたのは、大学の掲示板の一枚だった?

大学の掲示板。
学生向けのお知らせや、サークルの案内、アルバイト募集などが並ぶ場所です。
普通なら、見過ごしてしまう貼り紙もたくさんあるでしょう。
でも、宮藤さんの20歳のころの出来事をたどると、その掲示板が重要な場面として登場します。
『POPEYE』のインタビューによると、宮藤さんは大学の掲示板で、舞台公演『神のようにだまして』のスタッフ募集を見つけました。
その公演は、当時WAHAHA本舗に所属していた村松利史さんがプロデュースするものでした。宮藤さんは応募し、小道具づくりに関わることになります。[3]
ここが、最初の分かれ道です。
大学の授業で脚本を書いて、そのままテレビ局に就職した、という話ではありません。
大学で見つけた舞台の募集から、実際のエンターテインメントの現場へ足を踏み入れたのです。
しかも、最初の仕事は脚本を書くことではなく、小道具づくり。
後年の名脚本家も、最初から脚本家として登場したわけではありません。
その舞台に、松尾スズキがいた
さらに話がつながります。
その公演に、脚本と出演で関わっていた人物がいました。
松尾スズキさん。
のちに宮藤さんが参加する劇団「大人計画」の主宰者です。
『POPEYE』のインタビューには、舞台の準備中に宮藤さんと松尾さんが初めて言葉を交わしたときの出来事も記されています。
松尾さんから将来何をしたいのか尋ねられた宮藤さんは、当時まだ自分の進路を決めきれておらず、気の利いた答えができなかったそうです。[3]
ドラマなら、ここで才能を見抜く名台詞が登場しそうです。
でも、現実の出会いはもっと不器用でした。
それが後になって振り返ると、大切な出会いになっている。
そして1991年、宮藤さんは「大人計画」に参加します。[1]
大学の掲示板から始まった一本の道が、舞台の現場へ、そして松尾スズキさんとの出会いへとつながっていたわけです。
ただ、ここで次の疑問が生まれます。
そこまで舞台の世界に夢中になった宮藤さんは、大学の勉強と両立できたのでしょうか。
日芸を中退したのは、才能が認められたから?

宮藤官九郎さんの経歴には、日本大学芸術学部「中退」と記されています。
ここだけ見ると、大学の勉強を途中でやめて、夢を追いかけた青年、という物語を想像するかもしれません。
ですが本人の話を読むと、もう少し現実的で、少し苦笑いしたくなる事情が見えてきます。
『POPEYE』のインタビューで宮藤さんは、大人計画の活動が忙しくなり、大学へ通えなくなっていったと振り返っています。
当時は複数の公演に関わり、家にもなかなか帰れない生活だったそうです。
それでもすぐに大学を離れたわけではなく、4年次まで籍を置き、休学も経験していました。[3]
つまり、入学してすぐに大学を捨てた、という単純な話ではありません。
舞台の仕事が増えるにつれて、大学との両立が難しくなっていったのです。
大学で進む道を決めきれなかった青年が、大学の外で自分の進む道を見つけていった。
そう考えると、この中退という経歴も、少し違って見えてきます。
ただし、中退すること自体が才能の証明になるわけではありません。宮藤さん自身も、後年、卒業することの大切さを冗談まじりに語っています。
その発言があった場所は、なんと母校の日芸でした。
『木更津キャッツアイ』『あまちゃん』へ。何が変わった?

舞台の世界に入った宮藤さんは、その後、脚本家、俳優、演出家、映画監督など、活動の幅を広げていきます。
転機の一つが、2000年のテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』です。
宮藤さんはこの作品の脚本を担当し、広く注目されるようになります。[4]
舞台で培ってきた表現が、テレビドラマという別の場所にも広がっていったのです。
その後の作品を並べると、実に幅広いことが分かります。
日本大学芸術学部放送学科に入学。同年、日芸の所沢校舎が開設。
劇団「大人計画」に参加。舞台を中心に活動の場を広げる。
ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の脚本で注目を集める。
映画『GO』の脚本を担当。日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。
ドラマ『木更津キャッツアイ』の脚本を担当。
第3回日藝賞を受賞。江古田キャンパスで授賞式が行われる。
NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の脚本を担当。
NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』の脚本を担当。
年表は日本大学芸術学部および日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアムの公開資料をもとに整理。[1][4]
池袋、木更津、東北、オリンピック。
舞台も時代も、作品ごとに大きく変わります。
ただ、それぞれの作品で宮藤さんが描いてきたのは、きれいごとばかりではない、人間同士の関係や、思いどおりにいかない日常です。
これは作品を並べてみたときの編集部の読み取りですが、最初から進路が決まっていたわけではない宮藤さん自身の歩みを知ると、作品の登場人物たちの不器用さにも、別の角度から目が向きます。
もっとも、「江古田で学んだから、あの作風が生まれた」とまでは言えません。
確認できるのは、日芸への入学、学生時代の舞台との出会い、そして長年にわたる創作活動の積み重ねです。
では、その道のりを母校はどう受け止めたのでしょうか。
中退したのに、母校から賞をもらった?

2009年4月。
舞台は、江古田キャンパスの大ホール棟です。
この日、日芸では入学歓迎式の一環として、第3回「日藝賞」の授賞式が行われました。
受賞したのは、脚本家の宮藤官九郎さんと俳優の真田広之さん。
日藝賞は、芸術学部の名声を高め、社会や芸術分野で活躍した日芸出身者をたたえる賞です。
そして、この賞には少し特徴的なルールがあります。
大学を卒業していなくても、かつて日芸に在籍していれば対象になるのです。[1]
中退者も、大学の歴史の一部として迎えられる。
この仕組みがあるからこそ、宮藤さんの受賞が実現したわけです。
受賞スピーチで、まさかの「卒業証書」
さらに面白いのは、授賞式での宮藤さん自身の言葉です。
大学公式サイトには、当日のスピーチが掲載されています。
宮藤さんは、自分が大学を中退したことを隠さず話し、在学中に卒業できないと告げられた思い出にも触れました。
そして、受賞した日藝賞を自分の「卒業証書」のように受け取りたいという趣旨の発言をしています。[1]
卒業証書ではないけれど、母校からの表彰。
なかなか宮藤官九郎さんらしい、ユーモアのある締めくくりです。
しかもスピーチでは、後輩たちにはきちんと卒業するよう勧める一方、将来自分に仕事をくれるようにも呼びかけています。
かつて進路に悩んでいた学生が、今度は新入生を前に話す側に立っている。
1989年の入学から20年。
その間に、大学の掲示板で舞台の仕事を見つけた青年は、日本を代表する脚本家の一人として母校に戻ってきたのです。
いま江古田の日芸に行くと、当時と同じ校舎がある?
ここまで読んで、江古田の日芸を実際に見てみたくなった人もいるかもしれません。
ただし、現在のキャンパスが宮藤さんの学生時代と同じ姿というわけではありません。
日芸は2000年代に江古田キャンパスの整備を進め、2010年には新校舎が完成しました。
さらに2019年4月には、全学年が江古田で学ぶ体制になっています。[2]
宮藤さんが入学した1989年は所沢校舎が開設された年。
一方、今の日芸は全学年が江古田に集まるキャンパスです。
同じ「日芸」でも、時代によって学生が学ぶ場所の仕組みは変わってきました。
その違いを知っておくと、目の前の校舎を見て「ここで宮藤さんがこの授業を受けた」といった、確認できない想像を事実として扱わずに済みます。
けれど、江古田が長く芸術を学ぶ人たちの拠点になってきたことは、大学の沿革から確かめられます。
日本大学芸術学部はどこ? 江古田駅からのアクセス
- 施設名
- 日本大学芸術学部 江古田校舎
- 所在地
- 東京都練馬区旭丘2-42-1
- 最寄駅
- 西武池袋線「江古田駅」北口から徒歩約1分
- 関連する人物
- 宮藤官九郎(1989年、放送学科入学・中退)
- 公式サイト
- 日本大学芸術学部
- 大学へのアクセス
- 交通アクセス・公式案内
大学は教育施設です。キャンパス内部の見学や撮影は自由にできるとは限りません。イベント・公開講座・見学については、大学の最新案内を確認してください。駅周辺の散策では学生や近隣住民の通行に配慮しましょう。
江古田駅のすぐ近くに、クドカンの青春へ続く入口がある
最初に出てきた、宮藤官九郎さんの経歴。
「日本大学芸術学部放送学科中退」。
ただの学歴の一行に見えたその言葉も、調べたあとでは、少し違って読めます。
宮城県から上京した青年が、大学で進路に迷い、掲示板で舞台の仕事を見つけたこと。
現場で松尾スズキさんと出会い、舞台の仕事にのめり込んでいったこと。
やがて『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『あまちゃん』など、数々の作品を生み出す脚本家になったこと。
そして2009年、母校がある江古田のキャンパスで日藝賞を受け取ったこと。
その道のりは、最初からきれいに決まっていた進路ではありませんでした。
江古田駅北口から徒歩わずか約1分の日芸。
今も学生たちが通うその大学は、宮藤官九郎さんにとって、完成された脚本家として通った場所ではなく、まだ何者になるか決まっていなかった時代につながる場所でもあります。
そう思って眺めると、駅前の大学の風景にも、まだ書かれていない物語が重なって見えてきます。
参考資料・出典
-
[1] 第3回 日藝賞
発行:日本大学芸術学部
宮藤官九郎さんの1989年入学、1991年大人計画参加、2009年授賞式、受賞スピーチ、日藝賞の対象条件を確認。
https://www.art.nihon-u.ac.jp/about/award/award3.html 情報確認日:2026年10月30日 -
[2] 日藝の沿革
発行:日本大学芸術学部
1939年の江古田移転、1989年の所沢校舎開設、江古田キャンパスの再整備、2019年の全学年江古田修学開始を確認。
https://www.art.nihon-u.ac.jp/about/history/ 情報確認日:2026年10月30日 -
[3] 二十歳のとき、何をしていたか?/宮藤官九郎
発行:POPEYE Web・マガジンハウス
2021年7月22日公開。本人へのインタビューから、大学在学中の迷い、掲示板で見つけた舞台スタッフ募集、松尾スズキさんとの出会い、大学へ通えなくなった経緯を確認。
https://popeyemagazine.jp/post-34315/ 情報確認日:2026年10月30日 -
[4] 脚本家データベース 宮藤官九郎
発行:日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム
『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『あまちゃん』『いだてん』など、代表作と活動歴を確認。
https://www.nkac-da.jp/database/172 情報確認日:2026年10月30日 -
[5] 日本大学芸術学部 交通アクセス
発行:日本大学芸術学部
江古田校舎の所在地、江古田駅北口から徒歩約1分のアクセスを確認。
https://www.art.nihon-u.ac.jp/access/ 情報確認日:2026年10月30日
本記事は大学の公式資料、本人の公開インタビュー、脚本家データベースをもとに構成しました。学生時代の具体的な通学経路、授業履歴、江古田での行きつけの店などは確認できていないため、事実として記載していません。ekirip編集部による本人への独自取材や現地訪問を示すものではありません。