
爆笑問題の太田光さんと田中裕二さん。いまや日本を代表するお笑いコンビですが、初めて会ったとき、田中さんは太田さんを見て「変なやつがいる」と思ったそうです。
場所は、1984年の日本大学芸術学部、通称「日芸」の入学試験会場。
しかも、そのとき太田さんは試験官にヤジを飛ばすなど大騒ぎ。一方、田中さんも野球のユニフォーム姿で受験していたというのです。[1]
ちょっと待ってください。
芸術大学の入試とはいえ、なかなか自由すぎる出会いではないでしょうか。
さらに不思議なのは、そんな第一印象だった2人が、なぜ長く活動するコンビになったのかということ。
そして、もう一つ。実は爆笑問題、結成当初は田中さんがボケ、太田さんがツッコミだったのです。[2]
今の2人を知っていると、役割がまるで反対です。
江古田にゆかりのある大学から始まった、爆笑問題の意外な物語をたどってみましょう。
太田光さんと田中裕二さんは1984年、日本大学芸術学部の入試で出会い、演劇学科の同級生になりました。共通の音楽やラジオへの関心を通じて親しくなり、それぞれ大学を中退した後、1988年に爆笑問題を結成しました。[1][3]
なお、当時の入試会場の具体的な建物は、今回確認した資料だけでは特定できません。現在の日芸江古田キャンパスを、そのまま1984年の出会いの現場とみなすことはできません。
最初の出会いは、試験官にヤジを飛ばす受験生だった?

1984年。日本大学芸術学部の演劇学科の入学試験。
受験生の一人だった田中裕二さんは、アナウンサーを志望していました。もともとの希望は放送学科で、演劇学科も受験していたのです。
その実技試験の会場で、ひときわ目立っていた受験生がいました。
太田光さんです。
2025年の文春オンラインの記事では、これまで2人が語ってきたエピソードを整理し、太田さんが試験官をヤジるなどして騒ぎ、田中さんがその様子を見ていたと紹介しています。[1]
普通なら、試験官に好印象を持ってもらおうとするところ。
太田さんは、なぜか逆方向に全力です。
田中さんも、そんな太田さんを見て、合格は難しいだろうと考えたそうです。
ところが、ここで忘れてはいけないことがあります。
田中さん自身も、野球のユニフォームを着て試験を受けていたというのです。[1]
試験官にヤジを飛ばす太田さんと、ユニフォーム姿の田中さん。
どちらも、なかなか目立つ受験生だったはずです。
それでも、この時点の2人は、将来一緒に漫才をする相手だなんて思っていなかったでしょう。
少なくとも、田中さんの第一印象は好意的とは言い難いものでした。
なぜ太田光は、人生を左右する入試で大騒ぎしたのか?

ここで、もう一つ気になります。
いくら個性的な人でも、大学入試は大切な試験です。
なぜ太田さんは、そんな場所で目立つ行動を取ったのでしょうか。
その手掛かりは、意外にも高校時代にあります。
2021年12月30日放送のテレビ東京「あちこちオードリー」年末スペシャルで、太田さんは大学入試での行動を振り返っています。
番組紹介によると、太田さんは高校時代、誰ともしゃべらない生活を送っていたといいます。そして大学では、それまでとは違う自分になろうとしていました。[4]
いわゆる「大学デビュー」です。
ただし、そのデビューの舞台が、入学後ではなく入学試験だったところが太田さんらしい。
さらに番組では、入試や入学直後の大騒ぎで周囲から嫌われてしまい、太田さんがショックを受けて熱を出したという話も紹介されました。
あれほど派手に振る舞っていたのに、周囲の反応には深く傷ついていたのです。[4]
この話を知ると、試験会場の太田さんの印象が少し変わります。
ただ騒いでいた受験生、というだけではありません。
高校時代とは違う自分になろうとして、思い切った行動に出た若者でもあったわけです。
もっとも、その作戦が周囲に受け入れられたかどうかは、別問題でした。
「あいつも合格したの?」まさかの再会から同級生へ

さて、試験の結果はどうなったのでしょう。
田中さんは、希望していた放送学科には合格できませんでした。しかし、演劇学科には合格します。
そして入学後、思いがけない人物を見つけました。
入試会場で騒いでいた、あの太田さんです。
なんと、太田さんも合格していました。
文春オンラインでは、田中さんが入学初日に太田さんを見つけ、合格したことに驚いて声をかけたエピソードが紹介されています。[1]
試験での第一印象は、決してよくありませんでした。
けれども、大学に入ってからは同じ演劇学科のクラスメートになります。
そして、話してみると意外な共通点が見つかりました。
2人を近づけたのは、お笑いだけではなかった
太田さんと田中さんは、サザンオールスターズや佐野元春さんの音楽が好きでした。
さらに、ビートたけしさんのラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」を熱心に聴いていたという共通点もありました。[1]
音楽の好みが合う。ラジオの話が通じる。
最初は理解できなかった相手にも、話しているうちに共通の世界が見つかることがあります。
2人の場合、その世界にサザンや佐野元春さん、ビートたけしさんがいました。
ここで大切なのは、2人が最初からお笑いコンビとして出会ったわけではないということです。
先にあったのは、同じ大学で知り合い、好きなものについて話せる友人関係でした。
それが後に、お笑いコンビへとつながっていきます。
2人とも大学を中退。それでも1988年にコンビを組んだ理由
同じ大学で出会い、仲良くなった2人。
それなら、大学の演劇サークルなどでコンビを組み、そのままプロになったのでしょうか。
実際の経歴は、もう少し複雑です。
太田さんも田中さんも、大学を卒業していません。
2人はそれぞれ日本大学芸術学部を中退し、その後、1988年に爆笑問題を結成しました。これは日本大学芸術学部自身の「日藝賞」紹介でも確認できます。[3]
つまり、大学での出会いとプロのコンビ結成には、時間の隔たりがありました。
1984年の受験生2人が、1988年にはお笑い芸人として舞台に立つことになるのです。
最初の舞台は、渋谷のライブハウス
2022年6月27日放送のテレビ朝日系「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」では、爆笑問題の出会いからデビュー、苦難の時代までが特集されました。
その中で紹介されたのが、東京・渋谷のライブハウスで開かれていた「ラ・ママ新人コント大会」です。
爆笑問題はこの大会で初舞台を踏み、2度目の出演で太田プロダクションからスカウトされたといいます。[2]
初めて受けた大学の試験では、試験官を相手に騒いでいた太田さん。
それから4年後、今度は笑いを見せる舞台に立ち、芸能事務所の目に留まりました。
もちろん、入試での振る舞いが直接スカウトにつながったわけではありません。
けれども、人前で何かを表現するという点では、まったく別々の話とも思えません。
そして、このデビュー当時の爆笑問題には、今と大きく違う特徴がありました。
えっ、昔は田中がボケで、太田がツッコミだった?

現在の爆笑問題といえば、太田さんが大胆な発言やボケを繰り出し、田中さんが鋭くツッコむという印象が強いでしょう。
ところが、結成当初は違いました。
これはかなり意外です。
テレビ朝日の番組紹介でも、初期は現在と逆の役割だったと明記されています。
では、なぜ逆だったのでしょうか。
その答えを考えるうえで重要なのが、2024年8月に週プレNEWSで公開された、爆笑問題本人へのインタビューです。
太田さんはこの取材で、当初はボケとツッコミという分担をそれほど重要視しておらず、初期のコントでは自分が台本を書き、田中さんがボケを担当していたと説明しています。[5]
つまり、最初から今のような役割分担が決まっていたわけではなかったのです。
コントでは、演じる役によってボケる人物も変わります。
2人はそんな表現からスタートし、活動する中で現在知られるスタイルへと変化していきました。
ただし、役割がいつ、どの舞台で完全に入れ替わったのかについては、今回確認した資料から一つの日付に特定できません。
確かなのは、現在の爆笑問題のスタイルは、結成した瞬間から完成していたものではないということです。
当たり前のように見ている2人の掛け合いも、長い活動の中で形作られてきたものだったのです。
順調なデビューから一転。3年間の苦しい時代もあった
1988年にデビューした爆笑問題は、早くから注目を集めました。
太田プロダクション所属時代には、先輩のダチョウ倶楽部を追いかける存在として活躍していたと、テレビ朝日は紹介しています。[2]
ところが、順調に見えた活動に大きな転機が訪れます。
1990年、事務所からの独立をめぐる出来事をきっかけに、仕事が激減したのです。
その後の約3年間、テレビ出演などの機会が少ない苦しい時期を経験しました。[2][4]
デビューしてすぐに注目されたのに、仕事がなくなる。
しかも、自分たちと同じ時代に活動していた芸人たちは、テレビで活躍している。
テレビ東京「あちこちオードリー」で紹介された当時の話によると、仕事が月に一度のライブ程度しかない時期にも、2人は漫才を作り続けていたといいます。
なぜ活動を続けられたのか。
そのすべてを一つの理由で説明することはできません。
ただ、ここで思い出したいのは、大学時代の2人です。
共通の音楽やラジオが好きで、友人として親しくなった関係。
デビュー前から積み重なっていた時間があり、苦しい時期にも2人はコンビとして活動を続けました。
そして1993年には、NHK新人演芸大賞を受賞します。大学公式のプロフィールにも、その実績が記されています。[3]
入試会場での偶然の出会いから、ここまで約9年。
最初に相手を見たときには、想像もできなかった道のりだったことでしょう。
1984年から1988年へ。2人の原点を年表でたどる
日本大学芸術学部の入学試験で、太田光さんと田中裕二さんが初めて出会う。2人とも演劇学科に合格し、同級生になる。
サザンオールスターズ、佐野元春さん、ビートたけしさんのラジオなど、共通の関心を通じて親しくなる。
2人とも日本大学芸術学部を卒業せず、中退する。
渋谷の「ラ・ママ新人コント大会」に出演。2度目の出演で太田プロダクションにスカウトされ、芸人としての活動を本格化する。
事務所独立をめぐって仕事が激減。長い下積みのような時期を経験する。
NHK新人演芸大賞を受賞。活動を続けてきた2人にとって重要な実績となる。
年表は日本大学芸術学部、テレビ朝日、テレビ東京などの公開資料をもとに構成しています。[2][3][4]
それでは、江古田駅と日芸はどんな関係にある?

ここまで2人の出会いをたどってきましたが、江古田の街との関係も見てみましょう。
西武池袋線の江古田駅北口から歩いてすぐの場所に、日本大学芸術学部の江古田キャンパスがあります。
所在地は東京都練馬区旭丘2丁目42番1号。大学公式サイトでは、江古田駅北口から徒歩約1分と案内されています。[6]
大学には演劇だけでなく、映画、写真、音楽、美術、文芸、放送、デザインといった幅広い分野があります。
そのため、江古田は俳優や芸人だけでなく、映画や音楽、アートなど、さまざまな表現を学ぶ学生と関わりの深い街です。
今のキャンパスと1984年の建物は同じ?
ここで、歴史を紹介するうえで大切な注意点があります。
現在の江古田キャンパスは、1984年の校舎がそのまま残っているわけではありません。
大学公式サイトによると、2011年春に新しい施設・設備を備えた校舎が完成し、2019年春にはA棟も完成しました。[7]
そのため、現在の校舎の特定の教室を指して「爆笑問題の2人が出会った場所」と説明することはできません。
1984年の入試が行われた具体的な建物や部屋については、別途当時の資料による確認が必要です。
それでも、江古田にある日芸が、爆笑問題の2人が学生時代を過ごした大学であることに変わりはありません。
今も芸術を学ぶ学生が行き交うこの街には、そんな卒業生・元学生たちの物語がいくつも重なっています。
- 施設名
- 日本大学芸術学部 江古田キャンパス
- 所在地
- 東京都練馬区旭丘2-42-1
- 最寄り駅
- 西武池袋線 江古田駅
- アクセス
- 江古田駅北口から徒歩約1分(大学公式案内)
- 学科
- 写真・映画・美術・音楽・文芸・演劇・放送・デザイン
- 公式サイト
- 日本大学芸術学部
- キャンパス案内
- 大学公式アクセス情報
江古田キャンパスは教育・研究施設です。駅から外観や周辺の街並みを見ることと、学内に自由に入れることは別です。一般向けの見学や公開行事については、大学公式サイトで案内を確認してください。
テレビやインタビューで、本人たちは何を語っている?
爆笑問題の出会いは、テレビや雑誌の取材でも繰り返し紹介されてきました。
特に面白いのは、単に「大学で出会った」という経歴だけでなく、2人自身が当時の行動や考えを振り返っていることです。
テレビ東京|あちこちオードリー
2021年12月30日放送/2022年1月4日記事公開
大学入試で太田さんが騒いだ理由や、その後の周囲の反応について2人が振り返っています。高校時代の太田さんを知るうえでも重要な内容です。
テレビ朝日|証言者バラエティ アンタウォッチマン!
2022年6月27日放送
入試会場での出会い、初期のコント、田中さんがボケだった時代、デビュー後の活躍から苦難の時代までを特集しています。
週プレNEWS|爆笑問題インタビュー
2024年8月29日公開
太田さんと田中さんが、コンビの役割やネタ作りについて語っています。初期のコントでは太田さんが台本を書き、田中さんがボケだったという本人の説明を確認できます。
文春オンライン|爆笑問題の歩み
2025年5月30日公開
入試での第一印象から、大学入学後に親しくなったきっかけまでを詳しく整理した記事です。野球のユニフォーム姿の田中さんと、試験官をヤジる太田さんの対照的なエピソードも紹介されています。
上記は公開済みの番組紹介・取材記事へのリンクです。放送当時の映像が現在視聴できることを保証するものではありません。動画配信の有無や配信期限は各媒体で確認してください。
42年前の入試で出会った2人。その後も続いた関係
1984年、日本大学芸術学部の入学試験。
太田光さんは試験官にヤジを飛ばすほど目立ち、田中裕二さんはそれを見て驚いていました。
しかも田中さん自身は、野球のユニフォーム姿。
まさか、そんな2人が一緒にお笑いをすることになるとは。
しかし、振り返ってみると、2人の関係は少しずつ形を変えてきました。
入試会場で出会った受験生から、同じ演劇学科の学生へ。
音楽やラジオの話ができる友人から、プロのお笑いコンビへ。
そして初期のコントでは、今とは逆の役割で舞台に立っていました。
最初から完成された「爆笑問題」という形があったわけではありません。
互いに予想していなかった出会いから始まり、試行錯誤と苦しい時代を経て、現在の掛け合いが生まれていったのです。
西武池袋線の江古田駅。その北口からほど近い、日本大学芸術学部。
何気なく通り過ぎる大学も、1984年に出会った2人の物語を知ると、少し違って見えてきます。
今も新しい表現を学ぶ学生がいる場所。そして、かつては太田光さんと田中裕二さんも学生だった大学。
あの有名なお笑いコンビの原点には、思い通りにならなかった入試と、思いがけず出会った友人がいたのでした。
参考資料・出典
情報確認日:2026年11月4日。人物の経歴は大学公式資料と本人の発言を含む取材・番組紹介を優先しています。過去の発言や出来事については、当時の報道・回顧に基づくことを区別して記述しています。
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文春オンライン|太田光は「『放送禁止ライブ』とか、結局はつまらないんですよ」と…爆笑問題が“どぎついネタ”の封印を決めた理由とは
発行:文藝春秋/2025年5月30日
日芸入試での第一印象、田中さんの野球のユニフォーム、太田さんの行動、入学後の再会、音楽やラジオの共通点など。過去の本人発言を整理した記事。
https://bunshun.jp/articles/-/79411
確認日:2026年11月4日 -
テレ朝POST|太田光、独立後は3年間極貧生活。どん底時代に「震えるほどショックを受けた」出来事
発行:テレビ朝日/2022年6月27日
「アンタウォッチマン!」の爆笑問題特集。1984年の入試会場での出会い、コンビ結成、初期のボケ・ツッコミ、ラ・ママでの初舞台、事務所からのスカウト、独立後の苦難など。
https://post.tv-asahi.co.jp/post-189050/
確認日:2026年11月4日 -
日本大学芸術学部|第2回 日藝賞
発行:日本大学芸術学部
太田光さん・田中裕二さんの公式プロフィール。1984年の演劇学科入学、在学中の出会い、1988年の爆笑問題結成、同年のテレビデビュー、1993年のNHK新人演芸大賞受賞など。
https://www.art.nihon-u.ac.jp/about/award/award2.html
確認日:2026年11月4日 -
テレ東プラス|爆笑問題・太田「やりたいなんて1ミリも思ってない」それでも漫才を続ける理由
発行:テレビ東京/2022年1月4日
「あちこちオードリー」2021年12月30日放送回の紹介。入試での大騒ぎ、高校生活から大学デビューへの思い、大学時代のエピソード、独立後の苦しい時期など。
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2022/025194.html
確認日:2026年11月4日 -
週プレNEWS|ウエストランド河本太の『人生相談する側チャンピオン』第1回 爆笑問題さん! 僕はこれからどうすればいいですか!?
発行:集英社/2024年8月29日
太田光さん・田中裕二さん本人へのインタビュー。初期のコントの台本作り、田中さんがボケだったこと、当時のボケ・ツッコミの考え方を確認。
https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/20240829-124290/
確認日:2026年11月4日 -
日本大学芸術学部|交通アクセス
発行:日本大学芸術学部
江古田キャンパスの所在地、江古田駅からの徒歩アクセスなど。
https://www.art.nihon-u.ac.jp/access/
確認日:2026年11月4日 -
日本大学芸術学部|江古田キャンパス
発行:日本大学芸術学部
キャンパスの学習・創作環境、2011年春の校舎完成、2019年春のA棟完成など。
https://www.art.nihon-u.ac.jp/facility/campus/
確認日:2026年11月4日 -
テレ朝POST|爆笑問題・太田光が語る“知られざる暗黒の高校生活”。コンビ結成のキッカケは…
発行:テレビ朝日/2020年5月26日
「徹子の部屋」2020年5月27日放送予定回の紹介。太田さんの高校時代と、日芸入試での出会いに触れた番組案内。
https://post.tv-asahi.co.jp/post-120015/
確認日:2026年11月4日
※本記事は大学の公式公開資料、テレビ局の番組紹介、本人へのインタビュー、過去の取材記事をもとに構成しています。エキリプ編集部が本人へ独自取材したものではありません。入試会場の具体的な建物や、初期のボケ・ツッコミが切り替わった正確な時期については、確認できた範囲を超えて断定していません。