
西武多摩川線・多磨駅周辺からたどる、自動車と航空機の意外な歴史。
歴史資料に基づく読み物です。SUBARU東京事業所は非公開施設であり、見学スポットとしての紹介ではありません。
丸いヘッドライト。ころんとした小さな車体。まるでテントウムシのような姿。
1958年に発売された「スバル360」は、日本の自動車史に残るかわいらしい軽自動車です。
ところが、この車のエンジンが生まれた場所をたどると、ちょっと意外な地名に行き着きます。
東京都三鷹市大沢。
西武多摩川線の多磨駅や武蔵境駅ともつながりのある、この武蔵野エリアです。
しかも、現在のSUBARU東京事業所がある場所は、戦時中には戦闘機のエンジンなどを研究していた施設の一部でした。[1]
戦闘機と、テントウムシのような軽自動車。
見た目だけなら、正反対の乗り物です。
いったい、どうしてこの二つが同じ土地の歴史につながるのでしょうか。
その答えは、戦争が終わった後、航空機を作っていた技術者たちが直面した大きな転換にありました。
なぜ三鷹に、戦闘機のエンジン研究所があった?

まず、時計を1941年まで戻します。
現在のSUBARUの前身にあたる中島飛行機は、この年の5月、三鷹研究所を設立しました。[2]
中島飛行機は、かつて日本の航空機産業を支えた主要メーカーの一つです。
その歴史は1917年、中島知久平が飛行機研究所を設立したことにさかのぼります。[3]
三鷹研究所では、単に飛行機の形を考えていたわけではありません。
三鷹市の歴史資料には、研究対象として次のような名前が記録されています。
ハ45「誉」の改良研究
戦闘機「疾風」や「紫電改」に搭載された航空用エンジン。三鷹では、その改良型の研究・開発が行われました。
ジェットエンジン「ネ230」
プロペラ機とは異なる推進方式を使う、ジェットエンジンの研究・開発にも取り組んでいました。
出典:三鷹市「株式会社SUBARU東京事業所」[1]
ここで一つ大事なのは、「誉」というエンジンが、飛行機を前へ進ませるための動力だったという点です。
自動車にエンジンが必要なように、プロペラ機にも強力なエンジンが必要です。
ただし、空を飛ぶ乗り物は、ひとたび故障すれば着陸することすら難しくなります。
中島飛行機では、人間の生命と安全を重視する設計思想を掲げて研究・開発を行っていたと三鷹市は説明しています。[1]
そんな研究所にも、戦争の影響は及びました。
1945年2月17日、三鷹研究所は空襲を受け、死者が出る被害が発生しています。
現在の自動車開発拠点という姿だけを見ていると、想像しにくい歴史です。
そして同年、戦争が終わります。
航空機のために蓄積してきた技術は、その後どこへ向かったのでしょう。
戦闘機が作れなくなった。その技術は何に使われた?

戦後、中島飛行機の事業は大きく再編されました。
航空機を中心としていた企業の技術や設備は、別の製品を生み出すためにも使われるようになります。
そこで登場するのが、意外な乗り物です。
ウサギです。
戦闘機の研究所から、急にずいぶん親しみやすい名前が出てきました。
ラビットは、中島飛行機の流れをくむ企業が戦後に手がけたスクーターです。
スクーターなら、飛行機ほど巨大なエンジンは必要ありません。
けれども、エンジンで動力を生み出し、限られたスペースに機械を収め、人が安心して移動できるようにするという課題には共通点があります。
三鷹市は、戦後の旧三鷹研究所の一部区域で、ラビットやスバル360のエンジンが開発・生産されたと紹介しています。[1]
つまり、研究していた乗り物の種類は変わっても、動力を生み出す技術が、この土地の産業を支え続けたということです。
ただし、戦闘機のエンジンをそのまま小さくしてスクーターに載せた、という意味ではありません。
製品は別物です。航空機技術の蓄積と、戦後に培われたスクーター用エンジンの技術が、その後の自動車開発を支えることになります。
それなら、スクーターから本格的な自動車へは、どうやって進んだのでしょうか。
1958年、三鷹で「スバル360」のエンジンが動き始めた

ここで、今回の物語の中心となる記録が登場します。
SUBARUが公開している東京事業所の沿革には、次の年月が明記されています。
そして同じ年の5月、スバル360が発売されます。[4]
わずか3か月。
もちろん、車の開発はもっと前から進められていましたが、三鷹でのエンジン生産開始と発売時期がこれほど近いことには、当時の開発の動きを感じさせられます。
さらに面白いのは、エンジンと車体で、開発の役割が異なっていたことです。
スバル360の開発では、三鷹側がエンジン開発を担い、車体側の開発は伊勢崎などの拠点で進められました。
つまり、スバル360という車が丸ごと三鷹で作られていたわけではありません。
三鷹が担ったのは、車を走らせる心臓部です。
ここを区別すると、「スバル360のエンジンは三鷹で生まれた」という言葉の意味が、ぐっと具体的になります。
そのエンジン、どれくらい小さかった?
スバル360の発売当時の主要諸元を見てみましょう。
| 発売 | 1958年5月 |
|---|---|
| エンジン | EK31型 空冷直列2気筒2ストローク |
| 排気量 | 356cc |
| 最高出力 | 16ps / 4,500rpm |
| 車両重量 | 385kg |
| 全長 | 2,990mm |
| 全幅 | 1,300mm |
| 乗車定員 | 4人 |
1958年5月発売当時の仕様。SUBARU公式資料による。[5]
排気量356cc。
現在の一般的な軽自動車の排気量上限である660ccよりも、ずっと小さいエンジンです。
それで、大人4人が乗れる軽乗用車を実現しようとしていたのです。
しかも車両重量は385kg。徹底的に軽く作られていました。
ここから、もう一つの疑問が出てきます。
なぜ、これほど小さな車に4人が乗れるようにできたのでしょう。
小さな車に4人乗れる。その秘密も飛行機にあった?

スバル360の特徴は、単にエンジンが小さいことではありません。
車の構造そのものを工夫したことにあります。
その代表が「モノコック構造」です。
これは、車体の外側の構造も強度を受け持つ方式。重い骨組みだけに頼らず、車全体で必要な強さを確保する考え方です。
SUBARUは、スバル360の開発で採用したフレームレス・モノコック構造や強化プラスチック素材について、航空機メーカーの技術的な伝統を感じさせる取り組みだったと説明しています。[4]
飛行機では、重量が増えるほど飛ぶために必要な力も大きくなります。
軽くしながら必要な強度を保つ。
この考え方は、小さなエンジンで4人を運びたいスバル360にも適していました。
もう一つ、車体の工夫があります。
スバル360は、エンジンを車体の後方に置くリアエンジン方式を採用していました。
限られた車体寸法の中で乗員の空間を確保するための工夫です。
小さく見えて、実はかなり考え抜かれた車。
かわいい姿の裏に、重量や強度、乗員スペースと格闘した設計が隠れているわけです。
航空機メーカーで培った軽量化や構造設計の考え方が、スバル360の開発に生かされたことは、SUBARU自身が説明しています。
ただし、航空機の特定部品をスバル360にそのまま転用したという意味ではありません。
受け継がれたのは、個々の部品だけでは語れない、設計と技術の蓄積です。
そして、こうした工夫を備えたスバル360は「てんとう虫」の愛称で親しまれ、日本に自家用車が広がっていく時代を代表する車の一つになりました。[6]
戦時中の航空エンジン研究から、戦後のスクーターへ。そして、小さな国民車へ。
ようやく三つの乗り物がつながってきました。
では、そのエンジンを作っていた三鷹の工場は、現在どうなっているのでしょう。
スバル360の生産が終わっても、三鷹が重要な理由

三鷹の歴史は、スバル360の発売で終わりではありません。
むしろ、エンジンを作る場所から、新しいエンジンを考える場所へと役割を変えていきます。
中島飛行機三鷹研究所が設立される。
空襲による被害と終戦。航空機産業は大きな転換期を迎える。
富士重工業の三鷹製作所となる。
スバル360用の空冷エンジン生産開始。
レオーネ用エンジン「SEEC-T」の生産開始。
製造部門の群馬地区への移転が始まる。
東京事業所へ名称変更。
事業所でのエンジン・トランスミッション生産を終了し、研究開発に集中。
年表はSUBARU「2012 CSRサイトレポート 東京事業所」の沿革に基づく。[2]
ここに、もう一つの大きな転換があります。
1982年から、エンジンなどの生産を群馬県の大泉工場へ移す取り組みが始まりました。
そして1999年、三鷹でのエンジン・トランスミッション生産は終了します。
三鷹でエンジンを作らなくなった。
それだけ聞くと、歴史が途切れたようにも思えます。
しかし、そうではありません。
三鷹は「エンジンを量産する場所」から「次のエンジンや動力技術を開発する場所」へと役割を変えたのです。
SUBARUは2012年の発表でも、大泉工場への生産移管が1999年に完了したことを説明しています。[7]
現在の東京事業所は、自動車のパワーユニットなどの研究・開発を担う拠点として位置付けられています。[1]
飛行機のエンジンを考え、スクーターのエンジンを作り、小さな自動車のエンジンを生み出し、次世代の動力を研究する。
建物や製品が変わっても、動力をめぐる技術の歴史が続いているのです。
三鷹のどこにある?現在の東京事業所について
ここで、現在の場所について整理しておきましょう。
| 名称 | 株式会社SUBARU 東京事業所 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都三鷹市大沢3-9-6 |
| 事業内容 | 自動車のパワーユニット等の研究・開発 |
| 敷地面積 | 158,000平方メートル(SUBARU公表値・2026年8月現在) |
| 施設公開 | 非公開 |
所在地は三鷹市大沢。西武多摩川線の多磨駅周辺から武蔵境方面へ広がる地域に位置します。
ただし、事業所は一般公開されていません。
そのため、昔の研究施設やスバル360の製造設備を現地で見学できる場所ではありません。
敷地への立ち入りや、見学目的での訪問は控えてください。
また、1941年当時の研究所全体と現在の事業所の敷地が完全に一致するわけでもありません。
三鷹市は、旧研究所の「一部区域」が現在の事業所になったと説明しています。
歴史上の大きな研究施設と、現在の事業所を区別して考えることが大切です。
現地に行かなくても、三鷹市が公開している平和まち歩きの資料には、事業所の航空写真や、かつての中島飛行機のエンジン試作工場を撮影した写真が掲載されています。
歴史を知るなら、まずこの公開資料を読むのが確実です。
写真や映像で確かめる、スバル360の小ささと技術
ここまで、三鷹とスバル360のつながりをたどってきました。
でも、文章だけでは385kgの小さな車を想像しにくいかもしれません。
実車の姿や当時の技術を確認できる公開資料もあります。
SUBARU公式|スバル360の歴史と当時の仕様
SUBARUの公式解説には、発売当時の諸元や、モータースポーツでの活躍、改良の歴史が掲載されています。
1958年5月発売当時の排気量356cc、16馬力という数字も確認できます。
日本自動車技術会|スバル360 K111型
日本自動車技術会の「日本の自動車技術330選」でも、スバル360が紹介されています。
4人乗りを実現した技術、車体寸法、重量などを資料として確かめられます。
映像・SNS|ラビットとスバル360を並べて知る
2026年8月21日には、富士スバル太田店から、YouTubeチャンネル「LOVECARS!TV!」でSUBARUの歴史などを紹介するライブ配信が告知されました。
告知内容には、ラビットスクーター、スバル360、現代のSUBARU車、水平対向エンジンの歴史が含まれています。
今回の三鷹の歴史を理解した後なら、スクーターから自動車へとつながる展示内容も、違った視点で楽しめそうです。
配信内容は告知記事で確認。アーカイブ動画の現在の公開状況や再生可能性までは確認していません。
また、SUBARUの公式ファンコミュニティ「スバ学」には、スバル360やラビットを所有する愛好家の投稿もあります。
歴史資料は企業や地域の記録。愛好家の投稿は、現在も車両や文化を大切にしている人々の記録です。
同じスバル360でも、資料と人の両方から楽しめるところが面白いですね。
あの小さな「てんとう虫」は、三鷹の歴史を載せていた
最初に思い浮かべたのは、丸いヘッドライトの小さなスバル360でした。
かわいらしい外観からは、戦闘機の研究施設との関係など、なかなか想像できません。
けれども、歴史をたどると、その見え方が変わります。
1941年、三鷹に航空機の研究所が生まれました。
戦争が終わり、航空機技術を持つ企業は新しい製品づくりへと向かいました。
スクーターのラビット。そして1958年、スバル360のエンジン。
小さな車体の中には、軽く、丈夫で、人を運べる乗り物を作るための技術が詰め込まれていました。
その後、三鷹はエンジンの生産拠点から研究開発拠点へと役割を変えていきます。
戦闘機から国民車へ。
これは、同じエンジンが姿を変えたという話ではありません。
同じ土地に蓄積された技術が、時代ごとに異なる乗り物を支えてきたという歴史です。
今度スバル360の丸い姿を見かけたら、少しだけ後ろ側にも目を向けてみてください。
そこに収められていた小さなエンジンは、三鷹という街の、思いがけず大きな物語につながっています。
武蔵野の自動車史を知ると、いつもの西武多摩川線沿線も、少し違った場所に見えてきます。
この街の歴史を、もう一話
三鷹の工場が時代とともに姿を変えたように、西武線沿線には、名前や用途の変化から地域の歴史が見えてくる場所があります。
参考資料・出典
本記事は、自治体およびメーカーの公式資料を中心に、歴史上の事実と現在の施設情報を照合して作成しています。
-
三鷹市「株式会社SUBARU東京事業所」
発行:三鷹市・武蔵野市 平和まち歩き
中島飛行機三鷹研究所の研究内容、1945年の空襲、戦後のラビット・スバル360のエンジン開発、生産、非公開の施設情報を確認。
https://www.city.mitaka.lg.jp/peace-tourism/spots/mitaka_01_07.html -
富士重工業「2012 CSRサイトレポート 東京事業所」
発行:富士重工業株式会社(現SUBARU)
1941年の設立、1955年の三鷹製作所、1958年のスバル360用エンジン生産開始、1982年の移管開始、1999年の生産終了などの沿革を確認。
SUBARU公式PDF資料 -
SUBARU「SUBARUの航空宇宙事業」
発行:株式会社SUBARU
1917年の飛行機研究所を起点とする企業の歴史を確認。
https://www.subaru.co.jp/outline/about/aerospace/ -
SUBARU「SUBARUのクルマづくり|ヒストリー」
発行:株式会社SUBARU
1958年5月のスバル360発売、軽量化、モノコック構造、航空機技術との関係を確認。
https://www.subaru.jp/manufacturing/history/ -
SUBARU「スバルを知る『スバル360』」
発行:株式会社SUBARU
発売当時のエンジン形式、排気量、馬力、寸法、重量などの仕様を確認。
SUBARU公式FAQ -
日本自動車技術会「スバル360 K111型」
発行:公益社団法人自動車技術会
スバル360の技術的特徴、4人乗り、車両重量などを確認。
https://www.jsae.or.jp/autotech/category1-2/1-20/ -
SUBARU「群馬製作所大泉工場 開設30周年を迎えて」
発表:2012年2月23日
三鷹から群馬県大泉工場へのエンジン・トランスミッション生産移管を確認。
SUBARUニュースリリース -
SUBARU「事業所・関係会社:主要拠点」
発行:株式会社SUBARU
2026年8月現在の東京事業所所在地、土地面積を確認。
https://www.subaru.co.jp/outline/office.html
情報確認日:2026年11月4日。記事中の歴史的な生産設備・施設の姿は当時のものであり、現在の見学可能施設を意味しません。