
西武池袋線の入間市駅で改札を出ると、南口のバスターミナルにはひっきりなしにバスが滑り込んできます。行先案内に並ぶのは、「三井アウトレットパーク 入間」や、白い米軍ハウスが並ぶ街「ジョンソンタウン」といった文字。
休日にこの駅を訪れる人の多くは、最新のブランドが並ぶアウトレットでの買い物か、アメリカの西海岸を思わせるカフェ巡りを目指しているはずです。
埼玉の穏やかなベッドタウン。そのはずなのに、なぜこの街には、これほど色濃く「アメリカの気配」が息づいているのでしょう。……パスポートも持たずに歩くには、少し不思議な景色です。
- なぜ基地の「外」に、アメリカの平屋街が残っているのか?
- それなら、なぜ住宅街の真ん中に「大正の洋館」があるのか?
- お茶の台地と広い空が、いまの「お出かけの街」をつくった
- 入間市駅からめぐる、主要スポット案内
- 白いテラスの向こうに、100年の風を見る
なぜ基地の「外」に、アメリカの平屋街が残っているのか?
入間市駅から南東へバスで数分、あるいは歩いて18分ほど。県道沿いに突如として現れるのが、白い板壁の平屋が整然と並ぶ「ジョンソンタウン」です[1]。
芝生の庭、オープンなウッドデッキ、通りに掲げられた英語の道路標識。アメリカの田舎町に迷い込んだような錯覚を覚えますが、ここは入場料を払って入るテーマパークではありません。カフェやベーカリー、雑貨店が営業するすぐ隣で、一般の住民が日々の暮らしを送っている正真正銘の住宅地です。
この街が生まれた直接のきっかけは、すぐ近くにある航空自衛隊入間基地にあります。第二次世界大戦後、この基地は米軍に接収され「ジョンソン基地」と呼ばれていました。1950年代、朝鮮戦争前後に基地内の宿舎が足りなくなり、基地の外側の民間地にも米軍人やその家族のための賃貸住宅「米軍ハウス(フラットハウス)」が多数建てられたのです[1]。
「米軍基地があったから、アメリカの街並みができた」。ここまでは、歴史の筋道としてよく知られた話です。
基地の街から「暮らす街」へ——取り壊されなかった理由
しかし、疑問はここから始まります。1978年に基地が日本へ全面返還されたあと、多くの地域にあった米軍ハウスは、老朽化とともに取り壊され、新しいマンションや建て売り住宅へと姿を変えていきました。
なぜ入間のこの区画だけが、当時の姿を残して今も息づいているのでしょうか。
手掛かりをたどると、基地返還後の荒廃と、それを食い止めたある決断に行き当たります。米軍が去ったあと、建物は傷み、一時は荒れ果てた時代がありました。しかし、土地の管理者と建築家は、この住宅群が持っている「平屋特有のゆったりとした空間」や「塀をつくらず庭がつながる開放感」という住環境の価値を見直したのです[1]。
2000年代以降、傷んだ建物をリノベーションし、景観のガイドラインを定め、米軍ハウスの意匠を受け継ぐ新しい平屋(平成ハウス)を補いながら街を再生させました。ただ古き良きアメリカを懐かしむためではなく、「心地よく暮らせる住環境」として手を入れ続けたからこそ、今も人々が生活し、個性的なお店が集まる街として成立しています。
「米軍基地があったから残った」のではなく、「暮らしの心地よさを守ろうとした人たちがいたから、消えずに残った」。そう知ると、立ち並ぶ白い平屋が、単なるフォトスポットとは少し違った重みを持って見えてきます。
それなら、なぜ住宅街の真ん中に「大正の洋館」があるのか?
「戦後の米軍基地が、入間にアメリカの文化をもたらした」。その答えに納得したところで、新たな引っ掛かりに出会います。
入間市駅の北口から、静かな住宅街を歩くことわずか7分ほど。緩やかな坂の途中に、誰もが目を奪われる壮麗な洋風建築が静かに佇んでいます。国登録有形文化財「旧石川組製糸西洋館」です[2]。
木造2階建ての外観は、化粧レンガと白い付柱が調和した堂々たる佇まい。室内には精緻なステンドグラスがはめ込まれ、かつては国内屈指の豪奢さを誇ったとされる迎賓館です。
ここで立ち止まらざるを得ません。この建物が建てられたのは、大正10年(1921年)[2]。戦後の米軍基地ができるより、四半世紀も前のことです。埼玉ののどかな町に、なぜ大正時代にこれほど本格的な西洋館が必要だったのでしょう。
太平洋を渡る生糸と、ニューヨークから来たバイヤーたち
その答えを解く鍵は、この洋館を建てた「石川組製糸」という会社の名前にありました。
明治から大正にかけて、入間(当時の黒須村や豊岡町)は製糸業で栄えた土地でした。石川幾太郎が創業した石川組製糸は、製糸工場を各地に広げ、最盛期には全国でも屈指の生糸出荷量を誇る大企業へと成長します[2]。
そして、彼らが丹精込めて作った生糸を買い付けにやってきた最大の相手国こそが——アメリカ(ニューヨーク)でした。
まさかの、生糸とニューヨーク。太平洋を越えて買い付けに訪れるアメリカの貿易商(バイヤー)たちを歓待し、商談を行い、宿泊させるための専用の迎賓館として建てられたのが、この西洋館だったのです[2]。
洋館の天井を飾るオーダーメイドの照明や、西洋の最新様式を取り入れた客室は、はるばる海を越えてやってきた外国人を迎え入れるための本気の設備でした。入間とアメリカの接点は、戦後の基地から始まったのではなく、100年以上前、日本の近代化を背負って外貨を稼ぎ出していた生糸貿易の時代から、すでに深く結ばれていたのです。
土蔵の銀行に残る、渋沢栄一の足跡
西洋館から霞川(かすみがわ)沿いに10分ほど歩くと、もう一つの興味深い近代建築が現れます。重厚な土蔵造りに洋風のアーチ窓を組み合わせた「旧黒須銀行本店本館」(埼玉県指定有形文化財)です[3]。
明治42年(1909年)に建てられたこの銀行は、石川組製糸をはじめとする地域の製糸業に莫大な資金を供給し、産業の発展を支える心臓部でした。そして、この銀行の設立に深く関わり、顧問を務めていたのが、日本の近代資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一です[3]。
当時の渋沢は「道徳と経済の一致」を説いており、旧黒須銀行には渋沢が揮毫(きごう)した「道徳銀行」という額が今も伝わっています。世界を相手に生糸を送り出す産業力と、それを支える近代的な金融システム。入間市駅の周辺には、東京の都心にも負けないほどの進取の気風が満ちていたことが分かります。
お茶の台地と広い空が、いまの「お出かけの街」をつくった
生糸貿易という意外な歴史の糸がつながってきました。しかし、それならなぜ、入間の地でそれほど養蚕や製糸業が盛んになったのでしょうか。
その背景を探ると、入間という土地の「地形」という根源的な理由にたどり着きます。
水が引けない台地が生んだ「桑」と「茶」
入間市が広がる武蔵野台地は、富士山や箱根の火山灰が降り積もった関東ローム層で覆われています。この地質は水はけが良すぎるため、川から高い台地の上へ水を引き上げることが難しく、米を作る水田にはほとんど向いていませんでした。
米が作れないなら、どうするか。かつての人々が活路を見出したのが、水はけの良い台地を好む「桑(蚕のえさ)」と「茶」の栽培でした[4]。
台地一面に広がる桑畑が石川組製糸の生糸を支え、同時に育てられた茶は、やがて「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と歌われる名茶・狭山茶へと磨かれていきました。実は「狭山茶」と名乗りながら、その最大の栽培面積と荒茶生産量を誇る主産地は、隣の狭山市ではなく、ここ入間市です[4]。
水田が作れなかったからこそ、世界へ羽ばたく生糸が生まれ、日本を代表する銘茶が育った。土地の制約を逆手に取った先人たちの工夫が、入間の個性の原点だったのです。
基地の返還地から、緑と買い物の拠点へ
やがて昭和恐慌や化学繊維の普及によって生糸の時代は幕を閉じましたが、台地がもたらした「平坦で広大な土地」と「広い空」は、次の時代へ引き継がれました。
米軍から返還された広大な基地跡地の一部は、水と緑が豊かな「埼玉県営 彩の森入間公園」として整備され、市民の憩いの場になりました[5]。さらに、国道16号や圏央道といった主要道路の結節点としての利便性を活かし、広大な敷地を必要とする「三井アウトレットパーク 入間」やコストコが進出します[6]。
平坦な台地で育てた桑がアメリカへの生糸を生み、その商いで栄えた町に米軍がやってきて平屋の街並みを残し、基地返還後の平坦な土地がアウトレットや公園へと生まれ変わった。入間市駅から広がるお出かけスポットの数々は、決して偶然バラバラにできたのではなく、すべて100年を超える土地の記憶で結ばれていました。
入間市駅からめぐる、主要スポット案内
入間の歴史のつながりを感じながら巡ることができる、駅周辺のお出かけスポットの実用情報をまとめました。散策の計画にお役立てください。
- 所在地埼玉県入間市東町1-6-12 ほか
- アクセス西武池袋線「入間市駅」南口より徒歩約18分、または西武バス「東町」下車徒歩約1分
- 見学・料金入場無料(各飲食店舗・雑貨店舗の利用は実費)
- 散策時の注意一般の方の居住エリアでもあります。専用有料駐車場を利用し、住民のプライバシー保護のため無断撮影や路上駐停車はご遠慮ください[1]。
- 所在地埼玉県入間市河原町13-13
- アクセス西武池袋線「入間市駅」北口より徒歩約7分
- 見学条件外観は公道から常時見学可能。館内は文化財保護のため定期的な「特別公開日(春・秋など)」のみ公開(観覧料:一般200円、中学生以下無料)[2]。公開日程は入間市公式HPをご確認ください。
- 所在地埼玉県入間市宮前町5-33
- アクセス西武池袋線「入間市駅」北口または南口より徒歩約15分
- 見学条件外観見学自由。内部は不定期の特別公開時のみ見学可能[3]。
- 所在地埼玉県入間市宮寺3169-1
- アクセス入間市駅南口2番バス乗り場より西武バス「三井アウトレットパーク行き」等で約15分[6]
- 営業時間ショップ 10:00〜20:00 / レストラン 11:00〜21:00(店舗・時期により一部異なる)
- 所在地埼玉県入間市向陽台2丁目
- アクセス入間市駅南口より徒歩約15分(ジョンソンタウンに隣接)
- 施設概要入園自由・無料。芝生広場、大型の修景池、ジョギングコース、多目的広場などを備えた県営公園[5]。
入間市駅の改札を出て、アウトレットへ向かうバスを待つとき。あるいはジョンソンタウンの白いテラスでコーヒーを口にするとき。
目の前に広がる景色は、もはやただの「休日のショッピング先」や「写真映えするアメリカ風の街並み」には見えないはずです。
水田を作れない台地で知恵を絞り、アメリカへ生糸を届けて迎賓館を建て、戦後は異国の暮らしを受け入れ、自分たちの手で心地よい住宅街へと育て直してきた——。ここにあるのは、100年以上にわたって外の世界と軽やかに対話し続けてきた、この街のしなやかな歩みそのものです。
白い板壁を吹き抜けていく武蔵野の風に、ほんの少し、海を渡って結ばれた遠い物語の気配が混ざっている気がします。