
新所沢駅|街の歴史と食のひみつ
赤い看板に、白い文字で「3割うまい!!」。
ぎょうざの満洲を知っている人なら、一度は目にしたことがある言葉ではないでしょうか。
でも、少し考えると不思議です。
なぜ「3割」なのでしょう。10割ではなく、3割。おいしさを売りにする飲食店としては、なかなか思い切った数字です。
そして、もう一つ。
埼玉県や東京都、関西にも店を構えるこの中華料理チェーン。実は始まりの場所が、所沢市の新所沢だったことをご存じでしょうか。
1964年、住宅街の小さな中華料理店から始まった「満洲里」。その店が、どうして駅前で見かけるおなじみのチェーンになったのか。
最初の満洲は、駅前ではなく住宅街にあった?

まずは、時計を1964年に戻してみます。
東京オリンピックが開催されたこの年、金子梅吉さんが所沢市緑町で中華料理店「満洲里」を創業しました。現在のぎょうざの満洲につながる最初のお店です。[1]
会社の沿革では「所沢市緑町」と記されていますが、創業者本人の回想には、もう少し詳しい手掛かりがあります。
新所沢の緑町4丁目。当時の店舗写真について、創業者は、建物が残っていたことも公式サイトで振り返っています。[2]
つまり、今の駅前の大きな店舗から始まったわけではありません。
創業者によると、最初の店は住宅地の一角にあった約35坪の中華料理店でした。[3]
約35坪。現在の多店舗チェーンを思い浮かべると、意外なほど身近な大きさです。
しかも、金子さんはもともと会社員。勤めを辞め、商売の世界へ飛び込んだ人でした。
2023年の池野谷ひろみさんへのインタビューによると、開店時には紹介された料理人から調理を教わり、金子さん自身も少しずつ料理を覚えていったそうです。開業当初から麺や餃子の皮は店で作っていました。[4]
最初から餃子チェーンの完成形があったのではなく、料理を覚え、店を回しながら形を整えていったわけです。
それなら、そもそも店の名前はなぜ「満洲里」だったのでしょう。
なぜ「満洲」?名前の背景にあった兄の記憶

「満洲」という言葉から、中国東北部の歴史的な地域を思い浮かべる人もいるでしょう。
実は、この名前についても創業者自身が説明を残しています。
金子さんのお兄さんは、戦後に旧満洲から帰還した人でした。そこでの暮らしの話の中に、餃子がたびたび登場したといいます。
日本では今ほど一般的ではなかった餃子が、現地では日常的に食べられていた。その話を聞いた金子さんは、いつか日本でも餃子が身近な食べ物になると考えていたそうです。[2]
今ではスーパーの冷凍食品売り場にも、家庭の夕食にも、当たり前のように並ぶ餃子。
でも1964年の創業者にとっては、これからもっと広がるかもしれない食べ物だったのです。
なお、池野谷さんは別のインタビューで、先に「満洲里」という名前を使っていた近隣店の店主から、名前を使う許可を得たという経緯も語っています。兄の体験が名前選びに影響した可能性にも触れていますが、こちらは本人による解釈です。[4]
一つの屋号に、身近なお店との縁と、家族から聞いた遠い土地の食文化が重なっていました。
そして創業当時の餃子には、もう一つ興味深い数字が残っています。
餃子6個で80円。
金子さんは、当時の餃子を1人前6個・80円で販売したことを覚えていると記しています。現在の価格と単純比較はできませんが、開店当初から餃子を重要な商品として扱っていたことが分かります。[2]
餃子に力を入れる店が、やがて「ぎょうざの満洲」になる。
ここまでは、比較的まっすぐな物語です。
ところが、店舗を広げるうえでの大切な考え方は、餃子そのものではなく、石油がきっかけで生まれました。
なぜ満洲は「駅のそば」に店を出すのか?

ぎょうざの満洲の店舗を思い浮かべてみてください。
新所沢、航空公園、所沢、東村山、久米川……。
駅から利用しやすい場所にある店が目立ちます。
これには理由があります。会社が掲げる出店の基本方針は、「ぎょうざの満洲は駅のそば」。その考え方の背景にあるのが、1970年代のオイルショックです。[3]
始めたばかりの店を襲ったオイルショック
オイルショックとは、石油価格の急上昇や供給への不安が、社会や経済に大きな混乱をもたらした出来事です。
創業者は当時、材料が手に入りにくくなり、価格も上がったと振り返っています。道路沿いの外食店舗が相次いで閉店したことも、強く記憶に残っていたようです。
そして、自分は店を始めて間もなかったため、どうにか切り抜けられたと述べています。[3]
大事なのは、その経験から得た教訓です。
車で来てもらうことを前提とした道路沿いの店だけに頼るのではなく、電車を利用する人にも立ち寄ってもらえる駅の近くへ。
創業者の回想によると、こうした経験が駅のそばに出店する基本方針につながりました。
まさか、駅前の餃子屋さんの立地に、オイルショックが関係していたとは。
もっとも、すべての店舗が駅前にあるという意味ではありません。あくまで同社が創業期の経験から大切にしてきた出店の考え方です。
新所沢の住宅街から始まった店が、駅のそばを重視するようになった。その変化を知ると、いつもの看板が少し違って見えてきます。
では、肝心の「3割うまい」は、いつ、どんな発想から生まれたのでしょう。
「3割うまい」は、残り7割がまずいという意味?

いよいよ、あの数字に戻ります。
「3割うまい」。
文字だけを見ると、どうしても気になります。3割だけおいしい? ほかの店より3割おいしい?
もちろん、残り7割がまずいという意味ではありません。
現在、会社が案内する意味は「うまい・安い・元気」で、おいしさ3割増し。さらに、経営上の費用配分を表すという、もう一つの意味もあります。[5]
ただし、ここで創業者本人の回想を読むと、さらに面白いことが分かります。
最初から複雑な計算式だったわけではない
創業者は公式サイトの古い回想ページで、もともとは宣伝に使いやすい言葉を探し、単純に3割おいしく作って食べてもらおうと思って付けた、と説明しています。
その後、事業が大きくなる中で言葉の意味を整理し、「うまい・安い・元気」という説明を考えたと振り返っています。[2]
つまり、最初から数学の問題のように厳密な仕組みを表した言葉だった、と断定するのは正確ではありません。
宣伝として親しみやすい言葉が生まれ、事業の成長とともに、会社の大切な考え方を表す言葉になっていったのです。
それでは、その経営上の「3割」とは何でしょう。
3割が3つ。残りの1割はどこへ行く?
現在のぎょうざの満洲が掲げている理念では、売上を大きく次のように配分する考え方が示されています。
これは、公式の経営理念に示されている費用配分の目標です。実際の決算が毎期必ずこの割合になるという意味ではありません。[3]
例えば、売上が1,000円だったら、材料に300円、人件費に300円、設備などの費用に300円を充てる、という考え方です。
では、残る100円はどうするのか。
会社の理念では、残りの1割を顧客のためになる新しいことへの挑戦に使おうとしています。
ここで、最初の「3割うまい」という言葉の意味が変わります。
単に「ほかよりおいしい」と宣伝しているのではなく、材料にも、人にも、店の運営にも、バランスよくお金をかける。
そのバランスが、おいしくて手頃な食事を長く提供するための土台になっているのです。
そして、この考え方は、現在の餃子作りにもつながっています。
安くておいしいを続けるために、なぜ工場まで作った?

ぎょうざの満洲は、飲食店でありながら、食品を作る会社でもあります。
皮や餡を含む餃子の製造だけでなく、麺、スープ、タレ、総菜なども自社で手がけています。[6]
各店舗にすべてを任せるのではなく、自社工場で製造する仕組みを整えてきたのです。
ただし、創業した1964年から現在のような大きな工場があったわけではありません。
会社の沿革を追うと、その変化が分かります。
所沢市緑町で「満洲里」を創業。小さな中華料理店から始まる。
所沢市松葉町で有限会社満洲飯店を設立。
店舗の屋号を「ぎょうざの満洲」に変更。
48坪の製造工場を開設し、餃子製造機や製麺機を設置。
地上2階・地下1階の本店ビルが完成。
株式会社ぎょうざの満洲へ組織変更。鶴ヶ島市に新社屋と工場を整備。
年表出典:ぎょうざの満洲公式「会社概要・沿革」。[1]
家庭的な中華料理店から、製造工場を持つチェーンへ。
この変化には、店が増えても品質を管理し、材料にしっかり費用をかけるという考え方が重なります。
現在の会社概要では、2026年4月時点の直営店舗数は104店舗。2025年6月期の年商は102億円とされています。[1]
所沢の小さな中華料理店が、100店舗を超える事業になりました。
それでも会社の説明には、創業以来の「全部自家製」と「3割」という考え方が残っています。
会社が大きくなったから、創業時の考えを忘れたわけではない。むしろ大きくなったからこそ、短い言葉で考え方を共有する必要があるのかもしれません。
そして、その歴史を最も身近に感じられる場所が、今も新所沢にあります。
新所沢には、今も「本店」がある
ぎょうざの満洲の公式店舗案内には、「新所沢東口店(本店)」という名前が載っています。[7]
新所沢駅の東口と西口に、それぞれ店舗があるのです。
ここで一つ注意したいのは、現在の東口本店と、1964年に緑町4丁目で開業した最初の店舗を、同じ建物だと考えないこと。
創業者の回想によれば、最初の「満洲里」があった場所と、後に新築した駅前の本店は別の段階の店舗です。
つまり、現在の本店は創業の歴史を受け継ぐ場所ですが、創業当時の店舗そのものではありません。[2]
この区別を知ると、新所沢の街で続いてきた店の変化も見えてきます。
新所沢で満洲を訪ねるなら
最寄駅:西武新宿線・新所沢駅(東口側)
電話:04-2992-2526
公式掲載の特売日:火・金・日曜日
パーティールームの案内あり。
所在地:埼玉県所沢市緑町1-1-5
最寄駅:西武新宿線・新所沢駅(西口側)
電話:04-2928-0901
公式掲載の特売日:火・金・日曜日
店舗・特売日情報は2026年10月30日に公式店舗案内で確認。営業時間、メニュー、特売内容、利用条件は変更される場合があります。訪問前に公式店舗検索をご確認ください。[7]
あの「3割」が、ちょっと違って見えてくる
赤い看板の「3割うまい!!」。
最初は少し不思議な宣伝文句に見えました。
けれど、その言葉をたどってみると、1964年の新所沢にたどり着きます。
住宅街の小さな中華料理店。料理を覚えながら店を始めた創業者。材料の不足や値上がりに苦しんだオイルショック。そして、駅のそばに店を出すという方針。
「3割」という言葉も、単なる宣伝から、材料・従業員・店の運営を大切にする考え方へと意味を深めていきました。
餃子の数でも、味の成分を測った割合でもありません。
おいしい食事を、無理のない価格で、長く届けるための約束。
そう考えると、あの赤い看板は少し違って見えます。
新所沢で生まれた一軒の中華料理店。その店が積み重ねてきた考え方が、今も全国の駅のそばで「3割うまい!!」と呼びかけているのです。
新所沢から、もうひと駅先の物語へ
新所沢で生まれた餃子屋さんの歴史を知ったら、次は同じ所沢の街に残る、別の発見をたどってみませんか。
参考資料・出典
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株式会社ぎょうざの満洲「会社概要・沿革」
https://mansyu.co.jp/company/index.html
創業年、創業地、屋号変更、工場の開設、現在の事業規模について。
確認日:2026年10月30日 -
株式会社ぎょうざの満洲「満洲のこだわり」
https://www.mansyu.co.jp/mansyu_no_kodawari/mansyu_no_kodawari.html
創業者本人による、緑町4丁目の旧店舗、屋号、餃子の価格、「3割うまい」の初期の意図についての回想。掲載時期の古い資料として参照。
確認日:2026年10月30日 -
株式会社ぎょうざの満洲「営業理念・創業者よりご挨拶」
https://www.mansyu.co.jp/kaisya_rinen/
創業時の店舗規模、オイルショック、駅のそばへの出店方針、3割ずつの費用配分と理念について。
確認日:2026年10月30日 -
bizSPA!「老舗餃子チェーン『ぎょうざの満洲』代表が明かす『3割うまい!!』に込めた信念」
https://bizspa.jp/post-732245/
2023年2月2日公開。池野谷ひろみさんへのインタビュー。開業時の料理、屋号の背景について。
確認日:2026年10月30日 -
ぎょうざの満洲 採用サイト「満洲について」
https://recruit.mansyu.co.jp/about/
「うまい・安い・元気」で3割増しという説明と、経営上の3割の意味について。
確認日:2026年10月30日 -
川越市「第4回:株式会社ぎょうざの満洲(元気もりもり企業訪問記)」
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/sangyo/sangyo/1012082/1014756/1018005/1020430.html
自社工場による食品製造、経営理念、創業者の記念像について。
確認日:2026年10月30日 -
株式会社ぎょうざの満洲「お店を探す」
https://www.mansyu.co.jp/shop/
新所沢東口店(本店)・新所沢西口店の店舗名、連絡先、特売日など。
確認日:2026年10月30日
情報確認日:2026年10月30日。創業時の状況は公式沿革および創業者の回想に基づいています。「3割」の説明は、宣伝文句としての初期の意図と、その後に示された経営理念を区別して記述しています。営業時間や特売内容などの最新情報は、訪問前に公式サイトをご確認ください。