
イオンモールむさし村山のある場所で、かつてスカイラインやマーチが次々と生まれていた。
今では買い物客でにぎわう、武蔵村山市の大きなショッピングモール。
ところが、この一帯には以前、日産自動車の巨大な工場がありました。
その名は「日産自動車村山工場」。
生産した自動車は、累計約968万台。
968万台。数字が大きすぎて、もはや駐車場に何台入るかという話ではありません。
では、それほどの車を生み出した工場は、なぜ消えてしまったのでしょう。
そして、巨大な工場の土地は、すべてショッピングモールに変わったのでしょうか。
調べていくと、この街に残る一つの記念碑から、意外な答えが見えてきます。
日産村山工場は1962年に操業を開始し、2001年3月30日に自動車の生産を終了しました。
跡地の一部は現在のイオンモールむさし村山になりましたが、約140ヘクタールの広大な敷地には、別の所有者に譲渡された土地もあります。
そもそも、なぜ武蔵村山にスカイラインの工場が?

日産村山工場という名前を聞くと、最初から日産が建てた工場だと思うかもしれません。
しかし、ここが最初の手掛かりです。
この工場は、もともと「プリンス自動車工業」の工場でした。
1962年、プリンス自動車工業の村山工場として操業を開始。最初に生産ラインから送り出された車は「グロリア」でした。
その後、1966年にプリンス自動車工業が日産自動車と合併。村山工場も日産の生産拠点となります。 [1]
つまり、スカイラインと村山工場の関係は、日産になる前から始まっていたのです。
ここで「プリンス」という名前を覚えておいてください。後で、現在の街の中にもう一度登場します。
高級車から大衆車まで、実に幅広かった
村山工場で生産された車は、スカイラインだけではありません。
日産の2001年の発表には、グロリア、スカイライン、ローレル、マーチ、キューブなどが挙げられています。 [1]
高級セダンから、日常の買い物や通勤に使うコンパクトカーまで。
ずいぶん守備範囲の広い工場です。
スポーツカーの伝説だけではなく、誰かの暮らしを支えた普通の一台も、ここから生まれていました。
約139万平方メートルという敷地面積は、東京ドームの建築面積ではなく、一般に使われる施設面積約4万6,755平方メートルで換算すると、およそ30個分に相当します。
これほど広い敷地に工場があったのですから、現在のイオンモールだけを見て、当時の工場全体を想像するのは難しいはずです。
スカイラインGT-Rまで生まれたのに、なぜ閉鎖された?

村山工場を語るうえで、外せない車があります。
1969年に登場した初代スカイラインGT-Rです。
「ハコスカ」の愛称で知られる当時のスカイライン。その高性能モデルであるGT-Rは、村山工場と深い関わりを持っていました。
実際に、現在の工場跡地には「スカイラインGT-R発祥の地」と刻まれた記念碑が残されています。 [3]
それほど象徴的な工場が、なぜ姿を消すことになったのでしょうか。
理由は、日産全体の生産体制を変えるためだった
1999年10月、日産は経営再建に向けた「日産リバイバルプラン」を発表しました。
その柱の一つが、生産拠点の集約と効率化です。
村山工場も再編の対象となり、2001年3月30日をもって自動車の生産を終了することになりました。
ただし、最後の日までスカイラインを作っていたわけではありません。
2001年3月28日、村山工場で最後に完成した自動車は「ローレル」でした。
スカイラインの歴史を背負った工場。その生産ラインの最後を飾ったのは、別の長寿モデルだったのです。 [1]
工場は消えても、車の生産は終わらなかった
ここで気になるのは、村山工場で作っていた車がどうなったかです。
工場の閉鎖によって、車種そのものが一斉に消えたわけではありません。
生産は、追浜工場、栃木工場、九州の工場へ順次移されました。
また、従業員についても、生産移管に合わせて異動が進められました。 [1]
なお、2001年3月に終了したのは自動車そのものの生産です。メッキなどの部品製造はその後も続けられ、日産の発表では遅くとも2004年3月末までに全操業を停止する計画とされていました。
「2001年に閉鎖」という言葉の裏側には、このような段階的な終了があったのです。
約140ヘクタールの工場跡地は、全部イオンになったの?

さて、ここから話は自動車から土地へ移ります。
現在、旧工場の敷地の一部には「イオンモールむさし村山」があります。
2006年11月に「ダイヤモンドシティ・ミュー」として開業した大型商業施設です。 [5]
ところが、先ほどの工場の広さを思い出してください。
約140ヘクタール。
イオンモールの敷地は約13.7ヘクタールです。広い施設ですが、元の工場全体と比べれば一部分にすぎません。 [6]
では、残りの広大な土地はどうなったのでしょう。
実は、跡地の約4分の3には別の譲渡先があった
武蔵村山市の資料に、重要な記録が残されています。
2002年3月、旧工場敷地約140ヘクタールのうち、約106ヘクタールが宗教法人真如苑に譲渡されました。 [2]
割合にすると、およそ4分の3です。
これで、巨大工場の跡地がショッピングモールだけでは説明できなかった理由が分かりました。
一つの工場だった土地は、閉鎖後に所有者や用途が分かれ、それぞれ異なる形で利用が検討されてきたのです。
跡地利用については、日産、東京都、立川市、武蔵村山市などによる協議会が設けられ、2003年には土地全体の「まちづくり方針」がまとめられました。 [2]
つまり、工場が閉鎖された翌日から、今の街がそのまま出来上がったわけではありません。
大きすぎる土地だからこそ、その後の使い道も一つではなかったのです。
工場の痕跡はもうない? 「プリンスの丘」に残された答え

ここまで来ると、もう一つ気になります。
あの約968万台を作った工場の歴史を、今でも現地で感じられる場所はないのでしょうか。
あります。
イオンモールむさし村山の南東にある「プリンスの丘公園」です。
名前に注目してください。
プリンス。
冒頭に登場した、日産と合併する前の自動車メーカーの名前です。
ここに来て、最初の手掛かりが現在の街につながりました。
公園に残る「スカイラインGT-R発祥の地」の碑
武蔵村山市の公式案内によると、プリンスの丘公園には「スカイラインGT-R発祥の地」の碑が設置されています。 [3]
かつてこの場所に工場があり、技術者たちが車を生み出していたことを伝える記念碑です。
現在の公園には小高い丘があり、中腹には遊具、頂上にはベンチがあります。
市の紹介では、丘の上から青梅方面の山々を望めることも案内されています。
昔は自動車の生産拠点。
今は、人が歩き、腰を下ろし、景色を眺める公園。
土地の使われ方は、ずいぶん変わりました。
ただ、その名前と記念碑は、工場が存在した時代を今に伝えています。
イオンモールで買い物をした後に、この公園へ立ち寄ると、同じ一帯に二つの異なる時代が重なっていることに気づけそうです。
工場からショッピングモールへ。街はどう変わった?

1962年にプリンス自動車工業の工場として始まったこの場所は、約39年にわたって自動車を生産しました。
そして車両生産が終了してから5年後の2006年、跡地の一部に大型商業施設が誕生します。
一つの敷地が自動車を送り出す場所から、人や買い物を集める場所へと変わっていったのです。
プリンス自動車工業の村山工場として操業開始。最初の生産車はグロリア。
日産自動車との合併により、日産の村山工場となる。
初代スカイラインGT-Rが誕生。村山工場はその歴史を刻む拠点となる。
日産リバイバルプラン発表。工場再編が進められる。
3月28日に最後のローレルが完成。3月30日に車両生産終了。
工場跡地の約106ヘクタールが真如苑に譲渡される。
跡地の一部にダイヤモンドシティ・ミューが開業。現在のイオンモールむさし村山へ。
ここで、約968万台という数字をもう一度思い出してみます。
それは単に巨大な工場だった証拠ではありません。
さまざまな車が、何十年にもわたってここで作られていたという記録です。
今、ショッピングモールへ向かう道や公園を歩くとき、その土地が以前はどんな役割を担っていたのかを知ると、街の見え方が少し違ってきます。
現地で歴史をたどるなら、どこへ行けばいい?
現在の工場跡地を知るなら、分かりやすい目印はイオンモールむさし村山とプリンスの丘公園です。
とくに歴史を感じられる場所としておすすめしたいのは、公園にある「スカイラインGT-R発祥の地」の碑です。
- 所在地
- 東京都武蔵村山市榎1-1-12
- 見どころ
- スカイラインGT-R発祥の地の碑、小高い丘、展望
- 位置
- イオンモールむさし村山の南東側
- 関連施設
- イオンモールむさし村山
東京都武蔵村山市榎1-1-3 - 鉄道・バス
- 西武拝島線の玉川上水駅から、イオンモール方面の立川バスなどを利用できます。
- 西武立川駅から
- 直通バスを前提にせず、他駅経由のバス利用や徒歩・自転車なども含めて経路確認を。バス利用では玉川上水駅などからのアクセスが案内されています。
- 確認先
- イオンモールむさし村山公式アクセス
西武立川駅は西武拝島線沿線からこの地域を考える際の起点の一つですが、イオンモールへの直通バスがあると誤解しないよう注意が必要です。
2026年10月時点の公式案内では、玉川上水駅・東大和市駅・立川駅・昭島駅などからのバス路線が紹介されています。 [4]
バスの経路・運行本数・運賃は変更されるため、訪問時は最新の時刻表をご確認ください。
968万台の記憶は、今も街の名前に残っている
イオンモールむさし村山。
いつもの買い物先として見ていた大きな建物も、かつてそこが自動車工場の一部だったと知ると、少し違って見えてきます。
グロリアから始まり、スカイライン、マーチ、キューブ、そして最後のローレルへ。
約968万台の車を送り出した場所は、2001年に車両生産の役目を終えました。
工場の建物がなくなっても、すべてが消えたわけではありません。
かつてのメーカーの名を残した「プリンスの丘公園」。そこに立つ「スカイラインGT-R発祥の地」の碑。
そこには、今も確かに村山工場の歴史が残っています。
もし近くを通ることがあれば、ショッピングモールの南東にある、その小さな手掛かりにも目を向けてみてください。
今日の街は、昨日までの街の上にできている。
そのことを、約968万台の記憶が静かに教えてくれます。
参考資料・出典
- 日産自動車 「日産自動車、村山工場の車両生産中止について」 (2001年3月28日) 公式発表を読む
- 武蔵村山市 「日産村山工場跡地」 (2016年2月20日更新) 市の資料を読む
- 武蔵村山市 「眺望が楽しめる公園」 (プリンスの丘公園、2023年11月14日更新) 公園の公式案内
- イオンモールむさし村山 「アクセスガイド」 公式アクセス情報
- 国土交通省 「物流・不動産関連資料」 (ダイヤモンドシティ・ミューの開業および工場跡地活用に関する記述) 公開資料PDF
- 日本都市ファンド投資法人 「イオンモールむさし村山 物件情報」 施設の敷地面積・開業情報
情報確認日:2026年10月30日
歴史上の出来事は日産自動車および自治体の公開資料を中心に確認。交通・施設情報は変更される場合があります。