練馬駅はなぜ3路線が集結?高架化前の「開かずの大踏切」と現在
いまの練馬駅は、高架ホームへ電車が次々と入り、西武池袋線・西武有楽町線・豊島線が分岐する西武線有数のジャンクションです。さらに都営大江戸線も接続し、現在は合計4路線が乗り入れます。
ところが、高架化前の駅周辺にはまったく違う風景がありました。練馬駅西側には地元で「大踏切」と呼ばれた踏切があり、練馬区公式の歴史資料には、ドライバーから「開かずの踏切」の汚名を着せられていたとはっきり記録されています。
池袋方面と所沢方面を結ぶ池袋線、豊島園へ分かれる豊島線、地下鉄方面へつながる西武有楽町線。現在の練馬駅はこの3系統が集まる交通結節点です。かつて駅西側には交通量の多い「大踏切」がありましたが、池袋線の連続立体交差・複々線化によって姿を消しました。
点数ではなく、この場所の特徴を6方向の感覚で表しています。
交通の便利さ
西武3路線と都営大江戸線が接続する
日常の買い物
駅周辺に商業施設と行政施設が集まる
外食・カフェ
飲食店が多く駅前で選択肢を確保しやすい
子育て環境
駅周辺に公共施設や公園がある
自然・散歩
駅前は都市的で自然散歩は周辺エリアへ広げる形
地域のにぎわい
複数路線が交差し人の流れが大きい
練馬駅には何路線が集まっている?
西武鉄道公式では、練馬駅には池袋線・西武有楽町線・豊島線・都営大江戸線の4路線が乗り入れると案内されています。
| 路線 | 練馬駅での役割 | その先 |
|---|---|---|
| 西武池袋線 | 駅の主軸 | 池袋/石神井公園/所沢/飯能方面 |
| 西武有楽町線 | 地下鉄方面への分岐 | 新桜台・小竹向原から東京メトロ有楽町線・副都心線方面へ |
| 西武豊島線 | 練馬から分岐する短い支線 | 豊島園駅へ |
| 都営大江戸線 | 地下で接続 | 新宿・六本木・都庁前方面など |
つまり「豊島線・西武有楽町線・池袋線が集結する駅」という見方は、西武線だけに注目すればその通り。駅全体で見れば、大江戸線まで加わる4路線の交通結節点です。
高架化前の練馬駅は、本当に「開かずの踏切」だった?
答えはYES。しかも練馬区公式資料に残っている
駅西側にあった踏切について、練馬区は昔の写真と現在の風景を比較する資料を公開しています。
昭和40年代初期に撮影された写真では、豊島園方面へ向かう車と、豊島園通り側から千川通りへ向かう車が踏切周辺へ連なっていた様子を確認できます。
そして区の説明には、地元で「大踏切」と呼ばれ、ドライバーから「開かずの踏切」と呼ばれていたことまで記されています。
「開かずの踏切の聖地」という言い方自体は公的な呼称ではありません。ただ、池袋線の本線列車に豊島線の分岐が重なる練馬駅周辺で、道路交通側が厳しい状況に置かれていたことは公式資料から読み取れます。
なぜ練馬駅周辺は高架化されたの?
西武池袋線では1971年1月、桜台駅〜石神井公園駅間の高架複々線化が都市計画決定されました。その後、区間ごとに長期間かけて工事が進められています。
| 時期 | 主な出来事 | 踏切除却 |
|---|---|---|
| 1971年1月 | 桜台〜石神井公園間の高架複々線化を都市計画決定 | ― |
| 1994年12月 | 富士見台〜練馬高野台間 高架複々線化完了 | 3か所 |
| 2000年3月 | 桜台〜練馬間 高架複々線化完了 | 7か所 |
| 2003年3月 | 練馬〜富士見台間 高架複々線化完了 | 9か所 |
練馬駅だけを単独で高架にしたわけではありません。桜台〜石神井公園方面へ続く池袋線を、踏切除却と複々線化を含めて段階的に作り替えた巨大事業の一部として見ると理解しやすくなります。
西武鉄道は連続立体交差事業の効果として、踏切渋滞の解消、安全性向上、鉄道で分断されていた市街地の一体化、駅へのアクセス改善などを挙げています。
西武有楽町線が加わり、練馬駅はさらに複雑になった
1994年、練馬〜新桜台がつながった
練馬駅のジャンクション感を決定的に強めた存在が西武有楽町線です。
西武鉄道の年譜では、1994年12月7日に西武有楽町線の練馬〜新桜台間が営業開始。現在は小竹向原を経由し、東京メトロ有楽町線・副都心線へ直通するルートとして機能しています。
地図だけ見ると「練馬から地下鉄へ一本増えただけ」に見えますが、鉄道好き目線ではかなり重要。池袋へ向かう列車、地下鉄へ向かう列車、豊島園へ分かれる列車が練馬という一点に集まる構造になったからです。
豊島線はなぜ練馬駅から分かれるの?
豊島線は1927年10月15日、練馬〜豊島(現在の豊島園)間で営業を開始しました。現在でも練馬駅から豊島園駅までを結ぶ短い路線です。
ほんの一駅の支線ですが、この路線があることで練馬駅は単なる池袋線途中駅ではなく「分岐駅」になります。
さらに現在の豊島園駅周辺には、練馬城址公園やワーナー ブラザース スタジオツアー東京があり、駅そのものも大きく姿を変えています。練馬駅の歴史を追ったあと、そのまま豊島線に一駅乗ってみるのも面白いルートです。
高架化で何が変わった?「線路の向こう側」が近くなった
踏切がなくなる一番分かりやすい効果は、もちろん「電車が通り過ぎるまで待たなくていい」ことです。
しかし街歩き目線ではもう一つ大きな変化があります。線路で分断されていた北側と南側を移動しやすくなることです。練馬区も連続立体交差事業について、交通渋滞や踏切事故の解消だけでなく、市街地の一体化につながる事業として説明しています。
練馬という地名は何が由来?実は定説がない
「馬を練ったから練馬」だけではない
「練馬」という名前も、一つの由来に決まっているわけではありません。
練馬区公式は、関東ローム層の赤土を練った場所を「ねり場」と呼んだ説、低地の「根沼」に由来する説、奈良時代の「のりぬま」という宿駅説、馬を馴らすことを「ねる」とした説などを紹介し、定説はないとしています。
昔の練馬駅を感じるなら、どこを見る?
当時の「大踏切」そのものは高架化によって消えています。そのため現在は、踏切跡だけを目当てに歩くというより、駅西側から千川通り・豊島園方面へ歩きながら「ここに地上線があり、車列が線路で止められていた」と重ねて見るのがおすすめです。
練馬区が公開している昭和40年代初期の写真を見ると、現在との変化がかなり分かりやすくなります。
練馬駅 → 旧「大踏切」周辺を意識して駅西側を歩く → 練馬区役所周辺 → 練馬大鳥神社 → 駅へ戻る → 豊島線で豊島園へ。鉄道史と現在の街を一度に比べやすいコースです。
SNS・動画で見る、西武池袋線の「地上時代」と高架化
練馬駅から歩くなら、いまは「踏切待ち」より回遊のしやすさが主役
現在の練馬駅周辺には、練馬文化センター、練馬区役所、商店や飲食店などがまとまっています。練馬文化センターは西武線練馬駅中央北口から徒歩1分と案内されており、駅前で用事や公演、食事を組み合わせやすい立地です。
昔の「線路を越えるまで待つ街」を知ると、いま普通に駅の北側・南側を歩けること自体が、高架化によって得られた大きな変化に見えてきます。
街歩きのあと、練馬駅周辺で少ししっかり食事をしたい人へ
練馬駅周辺には一休.comレストランで予約できる店舗も確認できます。歴史散歩そのものに予約は不要なので主役にはしませんが、家族や友人と食事までセットにしたい場合には比較しやすい選択肢です。料金・空席・プラン内容は予約時点で確認してください。
練馬駅周辺の予約できるレストランを見る関連するekirip記事
行く前に知っておきたいこと
現在の練馬駅西側に「昔の大踏切」が保存されているわけではありません。現地では高架化後の街を歩き、練馬区公式の昔の写真と見比べる楽しみ方が中心です。
また「開かずの踏切の聖地」という表現は、この歴史をイメージしやすくするための読み物的な言い方です。公的資料で確認できる名称は「大踏切」、そして「開かずの踏切」と呼ばれていたという記録です。
Q&A
A. 池袋線、西武有楽町線、豊島線の3路線です。さらに都営大江戸線を含めると、駅全体では4路線が乗り入れます。
A. はい。練馬駅西側の踏切について、練馬区公式資料が地元で「大踏切」、ドライバーから「開かずの踏切」と呼ばれていたと紹介しています。
A. 残っていません。西武池袋線の高架化によって踏切は除却され、区の資料でも渋滞が解消されたと説明されています。
A. 区間ごとに段階的に進み、西武鉄道公式では2000年3月に桜台〜練馬間、2003年3月に練馬〜富士見台間の高架複々線化が完了したとしています。
A. 1994年12月7日に練馬〜新桜台間が営業開始しました。
一言でいうと
3本の西武線が集まり、現在は大江戸線まで接続する練馬。その交通量を立体的にさばいている今の姿を見ると、高架化前の「大踏切」がどれほど街を二分する存在だったのかが見えてきます。
高架の下から見ると、練馬の歴史は意外とドラマチック
練馬駅を降りると、いまは高架下に店が並び、人は線路をほとんど意識せず北へ南へ歩いていきます。
でも昭和40年代の写真には、その同じ街で踏切の前に車が並び、線路が開くのを待っていた時間があります。
池袋線。豊島線。そして後から加わった西武有楽町線。路線が増え、列車が増え、便利になればなるほど、地上の踏切とは共存しにくくなる。その矛盾を解決するように線路は空へ持ち上げられました。
何気なく通過する練馬駅も、昔の姿を知ってから見ると「西武線の巨大改造を体現している駅」に見えてきます。
