
西武柳沢駅北口から徒歩約5分。駄菓子屋とデザイン事務所が一緒になった、ちょっと不思議な街の「基地」の物語。
うまい棒に、10円ゲーム。宿題を広げる子どもたち。そのすぐ近くでは、大人がデザインの仕事をしている。
ここは昭和の駄菓子屋でしょうか。それとも令和のオフィスでしょうか。
答えは、まさかの両方。
西武新宿線・西武柳沢駅の北口商店街にある「ヤギサワベース」は、駄菓子屋であり、デザイン事務所であり、地域の人々が出会う場所でもあります。
2016年に誕生したこの店は、時代に逆行するように、あえて昔ながらの駄菓子屋を始めました。しかも、店主の本業はグラフィックデザイナー。
なぜ、デザインの仕事場に駄菓子を並べたのでしょう。
その理由をたどると、東日本大震災、消えていく街の小さな店、そして商店街の再生へと話がつながっていきます。
最終情報確認日:2026年10月20日
なぜデザイナーが、わざわざ駄菓子屋を始めた?

ヤギサワベースを営むのは、グラフィックデザイナーの中村晋也さんです。
デザインというと、パソコンで広告やロゴを作る仕事を想像します。実際、中村さんの本業もその分野です。
それなら、なぜ駄菓子屋なのでしょう。
最初の手掛かりは、2011年3月11日にあります。
きっかけは、東日本大震災の日だった
2025年のインタビューで中村さんは、東日本大震災の際、都心の職場から子どもの待つ自宅へ帰るまでに半日以上かかった経験を語っています。
この出来事をきっかけに、自分が暮らす地域で働くことを考えるようになりました。
それまでの仕事場は神楽坂。そこで、住まいの近くにも仕事場を持つことを検討します。[1]
ここまでは、よく分かります。
家の近くで働ければ、通勤時間も短くなる。いざというとき家族のそばにもいられる。
しかし、普通なら小さなオフィスを借りて終わる話です。
中村さんは、そこに駄菓子屋をくっつけてしまいました。
仕事場を、街に開いてしまおう
中村さんには以前から、駄菓子屋をやってみたいという思いがありました。
さらに、仕事場に閉じこもるだけではなく、地元の人と自然に関われる場所にしたかったといいます。
デザイン事務所だけなら、用事がある人しか訪れません。
ところが、駄菓子屋ならどうでしょう。
子どもは数十円のお菓子を買いに来る。保護者も立ち寄る。昔のゲームを見つけて懐かしむ大人もいる。
特別な用事がなくても、店の扉を開けられるわけです。
そして2016年4月、デザイン事務所と駄菓子屋を組み合わせたヤギサワベースがオープンしました。[1][2]
駄菓子屋は、デザイン事務所のおまけではありません。地域の人が気軽に入ってこられる「入口」として、大切な役割を持っていたのです。
なぜ「駄菓子」なのか? 大型店と勝負できるの?

とはいえ、気になることがあります。
駄菓子は一つ数十円の商品も多く、大量に売っても利益を出すのが簡単ではありません。
しかも現在は、スーパーマーケットやディスカウントストアでも駄菓子が買えます。
品ぞろえと価格だけで競争すれば、小さな駄菓子屋は不利になりそうです。
中村さん自身も、2025年の取材で、大型ディスカウントストアの駄菓子売り場を見て、その品ぞろえに驚いたと語っています。[1]
では、小さな個人店が持つ武器は何なのでしょう。
買い物そのものより、「選んでいる時間」が面白い
ヤギサワベースは、子どもが少ないお金でも選ぶ楽しさを味わえるように、種類豊富な駄菓子を取りそろえています。
10円ゲームや昔のテレビゲームなども置かれ、買い物の前後に遊べる空間があります。[2]
例えば、100円を握りしめて店に来たとします。
どのお菓子を選ぶか。あと何円使えるか。友達は何を買うか。
大人には短い買い物でも、子どもにとっては小さな作戦会議です。
しかも、店の奥には自由に使えるスペースがあり、宿題をしたり、お菓子を食べたり、友達とゲームをしたりできます。[3]
売っているのは駄菓子。でも、人が求めているのは駄菓子だけではない。
この違いが、普通のお菓子売り場とヤギサワベースを分ける大きなポイントです。
子ども同士で過ごせる場所が、商店街にあった
もう一つ意外なのは、中村さんの子どもたちとの距離感です。
2025年の取材では、仕事の締め切りを抱えながら店番をしているため、子どもたちに積極的に話しかけ続けるわけではないと説明しています。
また、子どもが自分たちで考えて過ごせることも大切にしています。[1]
大人が毎回遊びを用意してくれる施設ではなく、子ども自身が、その日の過ごし方を決められる店。
ゲームをする日もあれば、友達としゃべる日もある。宿題だけして帰る日があってもいい。
駄菓子屋というより、学校でも家でもない、もう一つの居場所に近いのです。
では、そんな場所で、どうしてデジタルのものづくりまで登場したのでしょう。
駄菓子屋に3Dプリンター? 昭和と未来が同居する理由

駄菓子屋と聞けば、ラムネやきなこ棒、昔ながらのゲームを想像します。
では、その店で3Dプリンターを使う教室が開かれたとしたら?
急に時代が数十年進んだ気がします。
実は、ヤギサワベースでは過去に、外部の講師による3Dプリンター教室が行われた記録があります。
地元の情報発信サイト「ゆっくりくらす。西東京」には、日野市を拠点とする「ひのたま3Dプリンター教室」の講師がヤギサワベースで教室を開催し、小学生たちが参加していた様子が紹介されています。[4]
駄菓子屋で、立体的なものづくり。
なかなか見かけない組み合わせです。
ただし、常設のデジタル工作室ではない
ここは正確に区別しておきましょう。
確認できたのは、過去に3Dプリンター教室が開催されたという記録です。
2026年10月時点で、いつでも3Dプリンターを使える常設の工作室が営業しているとは確認できませんでした。
現在の公式案内で確認できる中心的な機能は、駄菓子販売と子どもたちのフリースペースです。[3]
一方、ヤギサワベースには、駄菓子屋に併設する映像配信・撮影設備を紹介する「ヤギサワスタジオ」の公式サイトもあります。
そこでは動画の撮影、収録、配信や、専門スタッフによる機材操作のサポートが案内されています。こちらは3Dプリンター教室とは別の取り組みです。[5]
「作る人」と「遊ぶ人」が同じ場所にいる
では、なぜこうした活動が駄菓子屋と結びつくのでしょう。
これは施設の取り組みから読み取れることですが、もともとヤギサワベースは、商品を買って帰るだけの店ではありません。
店主自身がデザインの仕事をし、子どもが遊び、地域の人が集まる場所です。
そこに、3Dプリンター教室や映像制作のような活動が加わっても、店全体の考え方から大きく外れるものではありません。
昔ながらのお菓子を選ぶ。新しい道具でものを作る。動画を配信する。
使う道具は違っても、何かを試し、人と関わるという点ではつながっています。
ヤギサワベースは、昭和を再現するだけの場所ではありません。懐かしい駄菓子屋の形を使いながら、現代の仕事や地域活動を受け止めているのです。
では、なぜ商店街の「端っこ」に基地を作った?

ヤギサワベースがあるのは、西武柳沢駅北口から歩いて約5分、柳盛会柳沢北口商店街の一角です。
商店街の中心ではなく、端のほうにあります。
一見すると、買い物客を集めるには不利に思える場所です。
しかし、ヤギサワベースは通りがかりの買い物だけを頼りにする店ではありません。
地域の人々が、そこに目的を持って訪れる場所として育ってきました。
ここで、商店街の過去を少し見てみましょう。
1952年に結成された、駅前の商店街
柳盛会柳沢北口商店街は、1952年(昭和27年)に結成されました。
商店街の公式サイトによれば、長い歴史の中では店の数が減少した時期もありましたが、近年は新しい店や若い経営者の出店が増えているといいます。[6]
つまり、昔からずっと同じ姿で続いてきたわけではありません。
店が減る時期があり、そこに新しい店が入ってくる。
ヤギサワベースは、その変化の途中で生まれた店の一つでした。
ただし、商店街全体が完全なシャッター通りだったという数字や記録は確認できません。ここで大切なのは、店舗減少を経験した商店街に、新しい活動が加わっていったという事実です。
「客」と「店」の関係から、その先へ
中村さんは、駄菓子屋の開業以前から、子どもの学校を通じた地域活動や商店街の人々との交流を深めていました。
西武鉄道の取材では、地域でのつながりが増えたことが、店づくりの背景にあったと紹介されています。[7]
それは、店を始めたから初めて地域とつながったという単純な順序ではありません。
先に人との関係があり、その関係から店が生まれ、店ができたことで新しい出会いも増えていったのです。
一度きりの買い物ではなく、何度も顔を合わせることができる。
そんな小さな積み重ねが、商店街の活動にもつながっていきました。
駄菓子屋の店主が、ついに商店街の会長に?

ヤギサワベースの物語には、もう一つ面白い続きがあります。
2026年10月時点で公開されている柳盛会柳沢北口商店街の公式サイトには、第42代会長としてヤギサワベースの中村晋也さんの名前が掲載されています。[6]
駄菓子屋の店主が、商店街の会長に。
この話を最初から知っていると、2016年の小さな店の開業が少し違って見えてきます。
もっとも、ヤギサワベース一軒が商店街を再生させた、と言い切ることはできません。
新しい店の出店や、既存店の努力、商店街の催しなど、街の変化にはさまざまな人が関わっています。
それでも、駄菓子屋を始めた人物が商店街の活動を担う立場になっていることは、この場所の役割が単なる小売店にとどまらないことを示しています。
20年ぶりの夜まつりが戻ってきた
商店街の公式紹介によれば、2025年度には女性店主たちを中心に、約20年ぶりとなる「やぎさわ夜まつり」が開催されました。
商店街では、新しい店主たちが地域行事をつくる動きも生まれています。[6]
商店街の役割は、お菓子や野菜を買えることだけではありません。
祭りの思い出ができる。顔見知りが増える。子どもが大人になったとき、街の景色を思い出せる。
これは商店街の公式メッセージでも大切にされている考え方です。
かつて数を減らしていた小さな店が、今度は街で新しい思い出をつくる担い手になっている。
シャッターの数を減らすことだけが、商店街を元気にする方法ではないのかもしれません。
人がその通りへ行く理由を、少しずつ増やしていく。
ヤギサワベースと柳盛会の取り組みからは、そんな街づくりの形が見えてきます。
ヤギサワベースはどこ? 営業時間と利用案内
ここまで読んで、実際に行ってみたくなった人のために、基本情報を整理します。
ヤギサワベースは、駄菓子を買うだけでも立ち寄れるお店です。フリースペースも設けられていますが、イベントや撮影設備などの利用については、目的に応じて事前に確認してください。
土・日曜日 13:00〜18:00
祝日は不定休
※営業時間・定休日は2026年10月20日時点の公式サイト掲載情報です。臨時休業や祝日の営業は公式サイト内の営業日カレンダーを確認してください。[3]
初めて行くなら、こんな楽しみ方
大人なら、子どもの頃に買った駄菓子を探すところから始めるのも面白そうです。
子どもと一緒なら、少額の予算を決めて好きなお菓子を選んでもらうのも一つの楽しみ方。
店内は子どもたちの居場所でもあるので、写真撮影や長時間の利用、取材目的の訪問などは店側の案内を優先しましょう。
また、3Dプリンター教室は過去の開催記録であり、訪問当日に体験できるという意味ではありません。
結局、駄菓子屋は商店街の何を変えたのか?
最初の風景に戻ってみましょう。
駄菓子が並ぶ店内。昔のゲーム機。宿題をする子ども。そして、デザインの仕事をする大人。
最初は、少し変わった組み合わせに見えました。
けれど、その始まりを知ると、別の姿が見えてきます。
震災を機に地元で働こうと考えたデザイナーが、街と関わるために駄菓子屋を始めた。
子どもが集まり、人と人がつながり、そこから地域の仕事や活動へと関係が広がっていった。
そして今、その店主は商店街の会長も務めています。
ヤギサワベースが商店街をどれほど変えたのか、数字で断定することはできません。
しかし、少なくとも確かなことがあります。
この店は、商店街に「買い物をする以外にも立ち寄れる場所」を生み出しました。
駄菓子一つを買うために開いた扉が、いつの間にか、街との新しいつながりの入口にもなっている。
西武柳沢の小さな基地には、そんな仕組みが隠れていたのです。
次に商店街を歩くとき、店の数だけでなく、そこに集まる人たちにも目を向けてみると、通りの見え方が少し変わるかもしれません。
この街には、まだ続きがある
ヤギサワベースの物語を知ると、西武柳沢の商店街や街並みにも別の表情が見えてきます。今度は、この街の過去と現在をもう少し歩いてみましょう。
参考資料・出典
施設の沿革、店主の発言、商店街の歴史について、公式サイトと公開取材記事を照合しています。過去の取材内容と2026年現在の営業情報は区別しています。
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おなじみ|駄菓子を売るデザイナー!?令和の新スタイル基地「ヤギサワベース」の魅力
発行:おなじみ/2025年2月4日
https://onaji.me/entry/2025/02/04 -
西東京市の一店逸品|駄菓子屋ヤギサワベース
店舗紹介・開業時期・ゲーム・フリースペース
https://nishitokyo-ittenippin.com/shop/674/ -
ヤギサワベース公式サイト
店舗案内・所在地・営業日・営業時間・フリースペース
https://yagisawabase.com/ -
ゆっくりくらす。西東京|ヒト部
ひのたま3Dプリンター教室のヤギサワベース開催記録
https://smile-nishitokyo.jimdofree.com/ヒト部/ -
ヤギサワスタジオ公式サイト
駄菓子屋併設の映像配信・撮影設備
https://studio.yagisawabase.com/ -
柳盛会柳沢北口商店街|商店街について
1952年の結成、店舗の変化、夜まつり、商店会長
https://yagi-kita.com/about/ -
西武鉄道 My Journey w/ Seibu|子どもたちが立ち寄る場所。大人たちが交流を深める場所。
公開情報:2024年2月28日時点。地域との関係・開業背景
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資料・Web情報確認日:2026年10月20日。記事内容は公開資料に基づくものであり、現地での独自取材や店主への新規インタビューを行ったものではありません。