
昭和2年に建てられた文化財で、いまもオムライスが食べられる。
埼玉県秩父市にある「パリー食堂」は、ちょっと不思議なお店です。
建物は1927年築。国の登録有形文化財。それなのに、博物館でも展示施設でもなく、普通に料理を注文できる食堂なのです。
しかも、建物をよく見ると、もう一つおかしなところがあります。
3階建てのように見えるのに、実際は2階建て。
どうして、そんな造りにしたのでしょう。
この建物の仕掛けを調べていくと、昭和初期の街の流行、受け継がれてきたオムライス、そして建物を未来に残そうとする家族の挑戦までつながっていきました。
情報最終確認日:2026年10月20日
なぜ、普通の食堂が国の文化財になったのか?

まず、パリー食堂の建物には、ちょっと意外な正式名称があります。
文化庁の資料に登録されている名前は、「カフェ・パリー」。
現在の「パリー食堂」という店名とは少し違います。
登録されたのは2004年2月17日。建築年は昭和2年(1927年)で、木造2階建て、鉄板葺き、建築面積60平方メートルの店舗兼住宅です。[1]
ここで気になるのは、建物の古さです。
もちろん、古い建物には歴史があります。でも、古ければ何でも国の文化財になるわけではありません。
パリー食堂が評価された理由を探すと、文化庁の解説に具体的な手掛かりが見つかります。
つまり、評価されているのは、単に「昔からある食堂」という点だけではありません。
昭和初期の人たちが、どんな建物を格好いいと考えたのか。その時代のデザインをいまに伝えているのです。
では、そのデザインの何がそんなに特徴的なのでしょうか。
実は2階建て。なぜ3階建てに見せた?
パリー食堂の建物は、正面に注目すると面白さが分かります。
通りに向いた外壁が高く立ち上がり、窓の上には飾りが付けられています。壁の上部には、コーニスと呼ばれる横方向の装飾もあります。
そして、外から見ると3階までありそうなのに、建物の構造は木造2階建てです。
3階が消えたわけではありません。
最初から、正面を3階建てのように見せる設計だったのです。[2]
正面だけを立派に見せる「看板建築」
こうした造りは、一般に「看板建築」と呼ばれる建築形式に通じています。
木造の建物でありながら、道路に面した正面部分を平らで大きな壁にし、洋風の装飾などを加えて、店の顔を印象的に見せるものです。
看板という名前でも、大きな広告看板を取り付けたという意味ではありません。
建物の正面そのものが、まるで店の看板のような役割を果たします。
中身は木造。外から見える顔は洋風。
なかなか大胆な組み合わせです。
昭和初期には、西洋風の意匠を取り入れた商店建築が各地に現れました。パリー食堂の外観も、その時代の空気を伝えています。
なお、文化庁がパリー食堂について直接説明しているのは、壁を高く立ち上げて3階建てに見せる構造や、洋風の装飾です。
当時の店主が具体的にどのような思いで設計を決めたかまでは、この資料から確認できません。
それでも、正面を立派に見せる工夫があったことは確かです。
そして、この洋風の外観を知ると、次に気になるのが店名です。
なぜ、秩父に「パリー」なのでしょう。
秩父なのに「パリー」。その名前には何がある?
「パリー」という名前を聞くと、フランスの首都・パリを思い浮かべるかもしれません。
昔ながらの食堂でありながら、どこか西洋風の響きがあります。
そして文化財の登録名称は、現在の食堂名ではなく「カフェ・パリー」です。
洋風の建物に、カフェという名前。
ここまでそろうと、昭和初期の新しい都市文化への憧れを連想したくなります。
ただし、少し慎重に見ておきたい点もあります。
今回確認できた文化財資料と店舗公式情報だけでは、「パリー」という名前を誰が、どのような理由で付けたのかまでは特定できませんでした。
フランスのパリから名付けたと断定することはできません。
一方、名前の正確な由来が分からなくても、建物の洋風の姿が1927年に生まれたことは文化庁の資料で確認できます。
つまり、ここには少なくとも、昭和初期の新しい建築デザインを取り入れたお店があったのです。
そして、ほぼ100年後の現在まで残ったのは、建物だけではありません。
お皿の上にも、長く受け継がれてきたものがあります。
約100年続くオムライス。なぜ、これが看板メニュー?

パリー食堂で知られている料理が、オムライスです。
いま流行の半熟卵を切り開くタイプではなく、昔ながらの、卵でご飯を包むスタイル。
2026年5月のテレビ東京の番組紹介について、店舗公式サイトは、卵をしっかり焼き上げる昔ながらのオムライスが人気だと説明しています。[3]
何とも、昭和の食堂らしい一皿です。
しかも、このオムライスは最近観光客向けに作られた名物ではありません。
店舗公式サイトによると、創業当時から受け継がれている看板メニュー。調理法も世代を超えて伝えられてきました。[4]
ここが、パリー食堂の面白いところです。
昭和の建物を保存するだけなら、建物を見学施設にする道もあります。
でも、パリー食堂では、その建物の中でいまも料理を作り、食事を提供しています。
文化財でありながら、日々の仕事の場所でもある。
それもまた、この食堂の価値なのでしょう。
オムライスだけではない、和洋中の食堂
「洋風の外観だから、メニューも洋食だけ?」
そう思いきや、パリー食堂はもう少し自由です。
店舗公式サイトでは、和・洋・中を合わせた17品のメニューを提供していると紹介されています。[3]
オムライスのほか、ラーメン、カレーライス、チャーハン、シュウマイなどもメニューに並びます。
洋風の建物の中で、オムライスもラーメンも食べられる。
食堂らしい、懐の深さです。
オムライス:800円
カレーライス:700円
ラーメン:550円
チャーハン:700円
シュウマイ:500円
食べログ店舗掲載メニュー(2026年8月15日更新)の税込価格。現在の提供内容・価格は店頭でご確認ください。[5]
創業当時からオムライスが受け継がれている一方、新たな挑戦もあります。
2026年のテレビ番組で紹介された「パリー豚味噌丼」は、新しい名物を目指して開発された料理です。[4]
古い味を守りながら、新しいメニューも考える。
パリー食堂は、時間が止まった場所というより、昔から続いている時間の中でいまも動いているお店なのです。
では、この建物と料理を、誰が受け継いでいるのでしょうか。
3代目と4代目。食堂を守る家族の物語
パリー食堂は、1927年の創業から世代を超えて受け継がれてきました。
2026年5月4日放送の日本テレビ「news every.」では、3代目の川邉義友さんと、4代目の川邉晃希さん、そして晃希さんの妻・杏莉さんを中心とした家族経営が紹介されています。[4]
4代目の晃希さんは、祖父と同じ料理人を目指し、赤坂維新號で修業した後に店へ戻り、事業を引き継ぎました。
祖父が厨房に立つ姿を見て、孫が料理の道へ進む。
建物の年齢だけでは分からなかった、この食堂のもう一つの長さが見えてきます。
受け継がれてきたのは、レシピだけではありません。
店を続けるという仕事そのものが、次の世代へ渡されているのです。
ところが、ここで話は思いがけない方向へ進みます。
この建物には、文化財であることとは別に、大きな課題がありました。
文化財なのに、壊れる危険がある?

国の登録有形文化財。
そう聞くと、建物はしっかり保護され、今後もずっと安心して残っていくように思えます。
しかし、文化財への登録と、建物の耐震性能は別の話です。
パリー食堂は、耐震診断の結果、建物の安全性に問題があることが分かりました。
店舗公式サイトによると、耐震補強と改修に必要な費用は約4,000万円。2025年10月には、建物を未来に残すためのクラウドファンディングを開始しています。[6]
約4,000万円。
オムライスを提供する食堂が、簡単に用意できる金額ではありません。
それでも店側は、「壊す」のではなく「残す」という道を選びました。[4]
文化財として価値があることと、実際に建物を維持できること。
この二つは、同じではないのです。
なお、クラウドファンディングの募集開始は確認できますが、2026年10月20日時点の工事進捗や耐震改修の完了状況までは、今回の資料から確定できませんでした。
建物を訪れる際は、営業状況と店舗側の案内を優先してください。
ここまで知ると、パリー食堂がいまも営業していることの意味が、少し変わって見えてきます。
そして、もう一つ忘れてはいけないことがあります。
昭和初期の建物が残っているのは、パリー食堂だけではないのです。
なぜ秩父の街には、昔の建物が残っている?
パリー食堂があるのは、秩父市の番場町。
秩父神社へ向かう番場通りの周辺には、古い商店建築が点在しています。
例えば、文化庁の文化遺産オンラインでは、パリー食堂の関連文化財として「安田屋」「小池煙草店」「旧大月旅館別館」などが掲載されています。[2]
つまり、パリー食堂だけが突然、昔の姿で残っているわけではありません。
街の中に、異なる時代の建物がいくつも残されているのです。
では、なぜこの一帯に歴史ある商店が集まっているのでしょうか。
一つの手掛かりは、秩父神社の門前町としての歴史です。
番場通りは、秩父神社へ向かう参道として知られています。
また、秩父はかつて絹織物の産業や市でにぎわった地域でもあります。
秩父夜祭は、神社で開かれた絹織物の市の発展とともに盛大になったと伝えられています。[7]
参拝する人、商いをする人、祭りを楽しむ人。
多くの人が行き交う街に、店が並んでいったことを考えると、番場町に商店建築が残されている意味も見えてきます。
ただし、現在残る個々の建物について、どのような経緯で保存されてきたのかは、それぞれ別に確かめる必要があります。
この街の歴史を、すべて一つの理由で説明できるわけではありません。
それでも、1927年に建てられた食堂と、その周辺の古い商店が、同じ街並みの中にある。
パリー食堂の正面を見上げるだけでは分からなかった、秩父という街の奥行きが見えてきます。
実際に行くなら?営業時間とアクセス
パリー食堂は、西武秩父駅から徒歩で向かえる場所にあります。
秩父神社方面へ街歩きをする途中に立ち寄るのも、食堂を目的に秩父を訪れるのもよさそうです。
パリー食堂|店舗案内
店名 秩父パリー食堂 所在地 埼玉県秩父市番場町19-8 建築年 1927年(昭和2年) 文化財 国登録有形文化財「カフェ・パリー」 営業時間 11:30〜19:00ラストオーダー18:30 定休日 不定休・臨時休業あり 最寄駅 西武秩父駅から徒歩約8分
御花畑駅から徒歩約3分
秩父駅から徒歩約8分 駐車場 公式案内では8台 電話 0494-22-0422 公式サイト 秩父パリー食堂
営業時間・交通・駐車場は店舗公式情報を参照。2026年10月20日確認。不定休のため、遠方から訪れる場合は当日の営業状況を確認してください。[8]
予約はできる?
食べログの店舗情報では、2階席は7名以上から予約可能と案内されています。貸切については店舗公式サイトにも相談窓口があります。[5][8]
少人数での利用や希望日時については、直接お店へ確認するのが確実です。
また、古い建物を利用した食堂のため、階段の利用や設備面について気になることがあれば、予約時に相談しておくと安心です。
オムライスを食べる前と後で、変わるもの
最初は、少し変わった古い食堂に見えました。
昭和2年築の建物。3階建てに見える正面。洋風の装飾。そして、昔ながらのオムライス。
けれど、一つずつ確かめていくと、それぞれに意味がありました。
3階建てに見える壁は、昭和初期の建築デザインを伝えるもの。
オムライスは、世代を超えて受け継がれてきた看板メニュー。
そして建物そのものは、残すための修復が必要になりながらも、家族によって守られています。
「レトロなお店」という短い言葉では、少し説明が足りなくなってきます。
パリー食堂は、古い時代を再現したお店ではなく、古い時代から現在まで続いてきた食堂なのです。
もし訪れることがあれば、オムライスを注文する前に、建物の正面を少し見上げてみてください。
本当は2階建てなのに、3階建てのように見せた壁。
約100年前の人たちが残したその工夫の下で、いまも料理が作られています。
一皿のオムライスが、単なる懐かしい洋食とは少し違って見えるかもしれません。
参考資料・出典
以下は記事執筆時に確認した資料です。建築・文化財情報は文化庁資料、営業・料理・事業承継情報は店舗公式発表を優先しました。確認日:2026年10月20日。
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文化庁「国指定文化財等データベース|カフェ・パリー」
建築年、構造、登録年月日、登録基準。
文化庁の資料を見る -
文化庁「文化遺産オンライン|カフェ・パリー」
3階建てに見せる外壁、洋風の装飾、建築意匠、関連文化財。
文化遺産オンラインを見る -
秩父パリー食堂「テレビ東京『よじごじDays』で紹介していただきました!!」
2026年5月26日の番組紹介。オムライスの特徴、和洋中のメニュー、耐震問題。
店舗公式のお知らせを見る -
秩父パリー食堂「日本テレビ『news every.』で紹介していただきました!!」
2026年6月6日掲載。家族経営、事業承継、オムライスの継承、耐震改修計画。
店舗公式のお知らせを見る -
食べログ「秩父パリー食堂|料理メニュー・店舗情報」
メニュー掲載価格は2026年8月15日更新情報。
メニュー情報を見る -
秩父パリー食堂「クラウドファンディング開始のお知らせ」
2025年10月17日掲載。耐震診断、工事費用、建物保存への取り組み。
店舗公式のお知らせを見る -
ekirip「秩父夜祭2026|12月2・3日の屋台・花火・交通規制とアクセス」
秩父の絹織物の市と祭り、番場通りの街歩きに関する記事。
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秩父パリー食堂 公式サイト
所在地、営業時間、電話番号、定休日、駅からのアクセス、駐車場。
店舗公式サイトを見る