久米川駅の名前の由来は?実際の「久米川」が駅から離れている理由
西武新宿線の「久米川駅」。名前だけを聞けば、駅のそばを久米川という川が流れていそうですが、現在の駅住所は東村山市栄町2丁目。一方、「久米川」と呼ばれた川は現在の柳瀬川で、久米川町や東村山市北部の歴史と深く結びついています。では、なぜ川から離れた場所に「久米川駅」があるのでしょうか。答えをたどると、現在の町名よりずっと広かった「久米川村」の姿が見えてきます。
結論:久米川駅は「川のすぐそばだから久米川」なのではなく、開業当時の広い地域名「久米川」に由来すると考えると分かりやすい駅名です。
旧久米川村は、現在の久米川町だけではなく、栄町・本町・青葉町・萩山町などを含む広い区域でした。現在の久米川駅が栄町にあることと、駅名が「久米川」のままであることは矛盾していません。
点数ではなく、この場所の特徴を6方向の感覚で表しています。
交通の便利さ
西武新宿線の急行停車駅で駅前に生活機能が集まる
日常の買い物
飲食店や商店が駅の南北に広がる
外食・カフェ
駅前は平坦な市街地を歩きやすい
子育て環境
久米川宿や古戦場など中世史との接点が強い
自然・散歩
八坂神社や旧道など街歩きの題材が多い
地域のにぎわい
歴史上の久米川や柳瀬川までは駅前だけでは位置関係が分かりにくい
なぜ「久米川駅」なのに、実際の久米川から離れているの?
最大の理由は、「久米川」がもともと川だけの名前ではなく、非常に広い地域名として定着していたことです。
歴史地名資料による旧・久米川村の範囲には、現在の「久米川町1〜5丁目」だけでなく、青葉町・萩山町・栄町・本町なども含まれていました。つまり現在の久米川駅がある栄町も、かつては「久米川」という大きな地名の中に入っていたわけです。
現在の町名だけで地図を見ると「久米川町はもっと北東なのに、どうして駅だけ南側にあるの?」と感じますが、これは後から町名の範囲が細かく整理されたために生まれたズレと見ると理解しやすくなります。
「久米川」は本当に川の名前だった?
はい。現在の柳瀬川は、狭山丘陵東側の久米村・久米川村付近では、歴史的に「久米川」と呼ばれることがありました。日本歴史地名大系でも、柳瀬川が久米村・久米川村付近で「久米川」と呼ばれたことが説明されています。
つまり順番としては、古い川・地域の呼称である「久米川」が周辺の村名や宿の名前として定着し、その地域名がさらに鉄道駅へ引き継がれていった――そんな重なり方をしています。
現在の久米川駅は「久米川町」ではなく栄町にある
| 項目 | 現在の位置・意味 |
|---|---|
| 久米川駅 | 東京都東村山市栄町2-3-1 |
| 久米川町 | 東村山市北東部に残る現在の町名 |
| 歴史上の久米川 | 現在の柳瀬川の一部で用いられた呼称 |
| 旧久米川村 | 現在の久米川町・栄町・本町・青葉町・萩山町などを含んだ広い村域 |
西武鉄道が案内している現在の久米川駅住所は「東村山市栄町2-3-1」です。駅前を歩いても「久米川」という名前の川が突然現れるわけではありません。
しかし「今の住所」と「駅が名付けられた時代の地域区分」を分けて考えると、駅名の違和感はかなり薄くなります。
さらにややこしい!昔は東村山駅にも「久米川」の名前があった
ここからが鉄道好きにはかなり面白いポイントです。
現在の久米川駅が開業するより30年以上前の1894年、川越鉄道が国分寺方面から延伸した際、現在の東村山駅付近には「久米川仮駅」が設けられていました。西武鉄道の駅名変遷資料にも、「東村山|久米川仮駅 1894年12月21日 → 東村山 1895年8月6日」と記録されています。
つまり東村山には、歴史上「久米川」と呼ばれた仮駅と、1927年に開業して現在まで続く「久米川駅」という、位置も時代も違う2つの「久米川駅系統」が存在したことになります。
現在の久米川駅は1927年4月16日、当時の村山線開業と同時期に誕生しています。
名前をたどると「久米川宿」という中世の交通拠点に行き着く
「久米川」という地名が重みを持っていた背景には、中世の久米川宿があります。
東村山市の沿革によると、鎌倉幕府成立後、この地域を通る道は鎌倉街道「上の道」として整えられ、久米川は宿駅として軍事・経済の両面で重要な場所になりました。1271年には、佐渡へ流される途中の日蓮が久米川宿に泊まった記録も残されています。
「久米川」は、単なる小さな川の名前ではなく、旅人が行き交う宿場・村・街道・戦場まで含む、この地域を代表する名前だったのです。
1333年「久米川の戦い」の舞台にもなった
久米川一帯は、鎌倉幕府滅亡へ向かう戦いの舞台にもなりました。
1333年、新田義貞の軍勢は小手指河原での戦いに続いて南下し、現在の東村山市周辺で幕府軍と戦ったとされています。現在も諏訪町周辺には「久米川古戦場」の名が残っています。
ここでも面白いのは、現在の「久米川駅前」が歴史の中心だったわけではないこと。古い久米川を探すなら、東村山駅の北側や諏訪町、八国山、柳瀬川方面まで視野を広げたほうが、地名の原風景に近づけます。
久米川駅から「昔の久米川」を探す街歩き
駅名の由来を知ったあとなら、駅前だけで終わらず、東村山の歴史スポットへ足を延ばすのも面白い歩き方です。
現在の出発点。駅住所は栄町2丁目。まず「ここが久米川町ではない」というズレを確認。
久米川駅南口から八坂方面へ。現在の商店街と古くからの地域の信仰が重なるエリアです。西武鉄道の沿線紹介でも久米川界隈のスポットとして紹介されています。
現在の東村山駅周辺には、かつて「久米川仮駅」が存在しました。さらに北へ進むと久米川の戦いに関係する徳蔵寺などがあります。
諏訪町方面まで進むと、中世の「久米川」の空気が一気に濃くなります。久米川古戦場は東村山駅から約1.6kmと案内されている資料もあります。
久米川駅前は、歴史スポットというより「生活の中心」
一方、現在の久米川駅周辺は飲食店や商店、住宅が集まる生活圏です。
西武鉄道の沿線情報でも、久米川駅周辺にはバーガー&カフェ、タイ料理店、本格中華、イタリアン、アート&雑貨店など、駅から数分で立ち寄れる店舗が複数紹介されています。歴史上の「久米川」と現代の「久米川駅前」では、街の役割もかなり変化していることが分かります。
SNS・地域メディアから見る久米川の今と昔
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久米川駅についてよくある疑問
A. 現在一般的には「柳瀬川」と呼ばれています。歴史上、久米村・久米川村付近では柳瀬川を「久米川」と呼んだ記録があります。
A. いいえ。現在の所在地は東村山市栄町2丁目です。
A. 駅名は1927年の開業以来「久米川」として定着しています。現在の町名だけでなく、旧久米川村という歴史的な地域名を受け継いだ駅名として見ることができます。
A. 駅前だけでも街歩きは楽しめますが、中世の久米川宿や久米川古戦場を追うなら、東村山駅北側・諏訪町・八国山方面まで広げると歴史とのつながりが分かりやすくなります。
A. 別です。1894年の「久米川仮駅」は現在の東村山駅につながる歴史を持つ駅で、現在の久米川駅は1927年に開業しました。
この駅名を575にしてみた
川遠く
名前に残る
久米の里
一言でいうと
久米川駅は「川の場所」を示す駅名というより、かつて広大だった「久米川」という地域の記憶を残す駅名。
駅名を疑うと、昔の地図が見えてくる
久米川駅を降りても、目の前に「久米川」という川はありません。
現在の住所は栄町。久米川町は別の場所。柳瀬川も駅前にはない。現在の地図だけを見ると、駅名と土地が少し噛み合っていないように見えます。
でも昔の久米川村まで地図を広げると、その違和感は消えていきます。
川の名前が地域名になり、地域名が宿場の名前になり、戦いの名前にもなり、やがて駅名として残った。
久米川駅は、そんな何百年分もの地名の記憶を、毎日の駅名標にさらっと残している駅なのかもしれません。
