是政駅はなぜ多摩川線の終点?砂利を運んだ鉄道の歴史と「車止め」の哀愁
西武多摩川線を武蔵境から約8km。電車が最後に滑り込むのが、府中市の是政駅です。ホームの先には線路がそのまま終わる「車止め」。けれど、この行き止まりは偶然できたものではありません。多摩川線は1917年に多摩鉄道として一部開業し、1922年6月20日に是政まで到達。開通当初は旅客だけでなく、多摩川の河原から砂利などを運ぶ貨物輸送も担っていました。つまり、線路が多摩川へ向かって伸びた理由そのものが、この街の歴史とつながっています。
西武鉄道公式情報、自治体の歴史資料、現在のサイクルトレイン案内、実在する鉄道動画・SNS投稿を確認しています。
点数ではなく、この場所の特徴を6方向の感覚で表しています。
交通の便利さ
武蔵境から多摩川線でアクセスできる
日常の買い物
多摩川と砂利輸送の歴史が駅の成り立ちと直結する
外食・カフェ
終着駅の車止めや単式ホームが鉄道散歩の見どころになる
子育て環境
多摩川河川敷へ出やすくサイクルトレインとも相性が良い
自然・散歩
郷土の森方面など周辺散策へつなげやすい
地域のにぎわい
通常時は大規模ターミナルのような混雑が起こる駅ではない
是政駅の基本情報|多摩川の直前で線路が終わる
| 駅名 | 是政駅(これまさ) |
|---|---|
| 駅番号 | SW06 |
| 路線 | 西武多摩川線 |
| 位置づけ | 武蔵境駅を起点とする多摩川線の終着駅 |
| 全線距離 | 武蔵境〜是政 8.0km |
| 是政駅開業 | 1922年6月20日 |
| 駅名の由来 | この地域を開拓したと伝わる井田是政の名に由来 |
| 街歩きの主な方向 | 多摩川・是政橋・府中市郷土の森方面 |
西武鉄道の100周年資料によると、多摩川線は現在も武蔵境〜是政の8.0kmを結ぶ6駅の路線です。是政駅は1922年の延伸時に開業し、2022年には開業100周年を迎えました。
なぜ線路は「是政」で終わる?答えは多摩川にある
最初から「便利な住宅路線」だけを目指していたわけではない
今の多摩川線を見ると、住宅街と学校、競艇場などを結ぶ小さな都市近郊路線に見えます。しかし開業期の役割をたどると景色が変わります。
西武鉄道は、多摩川線の開通当初について蒸気機関車が走り、旅客輸送に加えて多摩川の河原付近から砂利などの貨物輸送をしていたと説明しています。
多摩川の対岸にあたる稲城市の公式歴史資料でも、武蔵境から是政へ伸びた多摩鉄道は、南武線の前身となった多摩川砂利鉄道や国鉄下河原線などと並び、砂利採取・運搬と深い関係を持った鉄道として紹介されています。
多摩川線はどうやって是政まで来た?約5年かけて南へ
境(現・武蔵境)〜北多磨(現・白糸台)が開業
多摩鉄道として最初の区間が開業。現在の多摩川線の原型ができました。
北多磨〜常久(現・競艇場前)へ延伸
線路はさらに多摩川方向へ南下します。
常久〜是政が開通。現在の8.0kmが完成
ついに多摩川のすぐそばまで到達。現在と同じ武蔵境〜是政の路線が形づくられました。
全線開通100周年
是政駅自身も開業100周年を迎えました。西武鉄道は現在の是政駅を「多摩川の最寄り駅」と紹介しています。
ホームの先にある「車止め」が、なぜこんなに似合うのか
終着駅でしか味わえない景色があります。
ホームへ入った電車。その先には、次の駅名も、トンネルも、遠くへ続く線路もありません。レールは駅構内で終わり、車止めが「ここまで」と静かに境界をつくっています。
鉄道専門メディアが2020年に撮影した是政駅でも、単式ホームの先に終端の車止めが確認されています。
しかも是政の場合、その先にあるのは都心ではなく多摩川。100年以上前、砂利を求めて南へ南へと伸びてきた鉄道が、川の手前で役目を果たした——そんな歴史を知ってから眺めると、単なる安全設備だった車止めが、この路線の句点のようにも見えてきます。
そもそも「是政」って変わった名前。誰の名前?
「これまさ」という響きは、地名としてはかなり珍しいものです。
西武鉄道は、是政という地名についてこの地を開拓した井田是政にちなむといわれていると紹介しています。
つまり「是政駅」は、単に地名を機械的に付けた駅名というより、地域の開拓史にまでつながる名前。砂利を運んだ鉄道史と、戦国末期から伝わる地名の歴史が、たった3文字の駅名に重なっています。
砂利はなぜそんなに必要だった?多摩川が東京をつくった時代
砂利はコンクリートの骨材として利用されます。稲城市の公式資料によれば、大正時代になると多摩川の砂利利用が盛んになり、1923年の関東大震災後には復興需要によって生産量が急増しました。
その大量輸送を支えたのが鉄道です。多摩川沿いには現在の西武多摩川線だけでなく、南武線や京王線、下河原線につながる砂利鉄道が相次いで整備されました。現在の鉄道路線図だけを見るとバラバラに見える線路も、100年前の「多摩川の砂利を都市へ運ぶ」という視点で見ると一本の物語につながります。
一方、大量採掘は河床低下などの問題も引き起こし、規制が段階的に強化されました。稲城市によれば、1965年には多摩川全域で商業的な砂利採掘が全面禁止となっています。
今の是政は「自転車で降りる終点」にもなっている
砂利貨物の時代は終わりましたが、是政と多摩川の結びつきは今も残っています。
西武多摩川線では現在、条件を満たせば自転車を折りたたまずに電車へ持ち込めるサイクルトレインを実施。実施区間は武蔵境〜是政の全線です。平日は利用可能時間が設定され、土休日は原則として初電から終電まで利用できます。詳細条件は利用前に公式案内を確認してください。
「川の砂利を電車で運んだ終点」が、100年後には「自転車と一緒に川へ遊びに行く終点」になっている。用途は大きく変わっても、多摩川へ人や物をつなぐ路線という芯は、どこか残っているように感じられます。
SNS・動画で見る是政駅|終点らしさは映像だともっと分かる
是政駅まで来たら、線路だけ見て帰るのは少しもったいない
現地感レビュー|派手ではない。でも「終点を見に行く」理由がある
是政駅は巨大なターミナルでも、豪華な駅舎を持つ観光駅でもありません。
だからこそ面白いのが、線路そのものです。
公開されている写真や前面展望を見ると、電車が住宅街を抜け、最後は小さな終着駅へ収まっていく構成がよく分かります。ホームの先でレールが止まり、その先の街を抜ければ多摩川。駅の構造と地理と歴史が、とても素直につながっています。
「何か大きなものを見る」のではなく、なぜここまで線路が来て、なぜここで終わったのかを想像する。是政は、そんな鉄道散歩が似合う駅です。
行ったらいくらかかる?駅と多摩川だけならほぼ交通費だけ
是政駅そのものや車止め、多摩川河川敷を眺める街歩きに入場料はありません。飲み物や軽食を除けば、基本的には是政駅までの交通費だけで楽しめます。
府中市郷土の森博物館まで足を延ばす場合は、2026年8月確認時点で博物館入場料が大人300円、中学生以下150円、4歳未満無料。プラネタリウムを追加する場合は別料金です。
この駅を575にしてみた
川まで伸びた
レール止む
100年以上前は貨物を運び、今は4両編成の電車が静かに折り返す。その変化まで含めて、是政の車止めには少しだけ「時代の終点」のような哀愁があります。
多摩川線をもう少し深掘りするなら
競艇場前駅はどんな街?是政のひとつ手前。ボートレース開催日だけ表情が変わる駅を数字と街歩きで深掘り。 白糸台駅と多摩川線の車両基地
多摩川線唯一の車両基地がある白糸台。独立路線ならではの鉄道事情にも触れています。 是政駅から府中市郷土の森博物館へ
駅から徒歩約20分。水遊び、プラネタリウム、博物館をまとめて楽しめる是政駅周辺のおでかけガイド。 西武線のクレカタッチ決済は是政駅で使える?
2026年度の対応予定と多摩川線6駅の状況を整理しています。
行く前に知っておきたいQ&A
Q. 是政駅は西武多摩川線の終点ですか?
はい。是政駅がSW06で、多摩川線の終着駅です。 起点の武蔵境から是政まで全線8.0kmです。
Q. 多摩川線は本当に砂利を運ぶための鉄道だったのですか?
砂利輸送は開業期の重要な役割の一つでした。 西武鉄道は、開通当初に旅客輸送だけでなく多摩川の河原付近から砂利などの貨物を輸送していたと説明しています。
Q. 是政駅はいつ開業しましたか?
1922年6月20日です。 常久、現在の競艇場前駅から線路が延びたことで、現在の武蔵境〜是政間が全通しました。
Q. 「是政」という名前は何が由来ですか?
この地域を開拓したと伝わる井田是政の名前が由来とされています。 西武鉄道も開業100周年資料でこの説を紹介しています。
Q. 車止めを見るためだけに行っても楽しめますか?
終着駅や鉄道史が好きなら、十分に街歩きの目的になります。 車止めだけで終わらせず、多摩川まで歩くと「なぜ線路がここまで伸びたのか」を地形と一緒に理解しやすくなります。
Q. 自転車をそのまま電車に持ち込めますか?
多摩川線ではサイクルトレインが実施されています。 利用時間、持込可能車両、自転車サイズなど条件があるため、利用当日は西武鉄道公式ページで最新ルールを確認してください。
一言で言うと
是政駅は、「多摩川まで砂利を取りに来た鉄道」の記憶が、そのまま終点の車止めに残っている駅。
線路の先に何もないからこそ、想像できるものがある
武蔵境から走ってきた多摩川線は、是政でぷつりと終わります。
その先へ線路は続きません。
けれど100年前の地図を頭に浮かべれば、その先には多摩川の河原があり、そこから都市をつくる砂利が運び出されていました。今では貨物列車の姿も砂利採取の風景も消え、ホームには日常の電車がやって来て、また武蔵境へ折り返していきます。
車止めは、ただの「行き止まり」ではありません。
どうしてこの線路がここにあるのか。
その答えを100年以上黙って見守っている、小さな鉄道遺産のような存在なのかもしれません。
