東大和市駅は昔「青梅橋駅」だった|消えた橋からたどる駅名の由来
「青梅橋」とは、現在の東大和市駅東側付近で、青梅街道が野火止用水を渡る場所に架かっていた橋の名前です。用水が暗渠化され橋そのものは姿を消しましたが、「青梅橋交差点」や史跡として、その名前は今も駅前に残っています。駅は1979年3月25日に現在の「東大和市駅」へ改称されました。
点数ではなく、この場所の特徴を6方向の感覚で表しています。
交通の便利さ
江戸期の青梅橋と野火止用水の歴史が駅名に残る
日常の買い物
西武拝島線の市の玄関口として利用される
外食・カフェ
駅周辺に買い物や飲食施設が集まる
子育て環境
青梅橋跡など徒歩で歴史をたどれる
自然・散歩
駅設備にエレベーターやバリアフリートイレがある
地域のにぎわい
通勤通学時間帯は利用者が多くなる
なぜ「青梅橋駅」という名前だったの?
青梅橋が架かっていたのは、青梅街道と野火止用水が交差する地点。東大和市によると、野火止用水が1655年に完成した後、この場所に橋が架けられて「青梅橋」と呼ばれるようになりました。
つまり、「青梅橋駅」という名前は青梅市にある駅という意味ではありません。駅前の道路と用水が交差する、小さな橋の名前から生まれた駅名でした。
現在の地図だけを見ると用水も橋も見えないため、「なぜ東大和市駅が青梅橋?」と分かりにくいのがこの駅名史のおもしろいところ。地面の下に隠れた水路を知ると、駅前の景色が少し違って見えてきます。
そもそも「青梅橋」はどんな橋だった?
青梅橋は、単に駅前にあった小さな橋というだけではありません。東大和市の文化財資料では、江戸時代から主要街道の分岐点となり、御岳山や大山へ向かう参詣者などでにぎわった場所だったと紹介されています。
橋の名前が駅名になるほど、この場所が重要だった
1776年建立とされる道しるべには、「西 おうめみち」「東 江戸」「南 八王子 道」など、各方面への道筋が刻まれています。青梅橋周辺が、昔から人や物が行き交う交通の結節点だったことが分かります。
現代では西武拝島線の高架や駅前ロータリーが目立つ場所ですが、鉄道ができるはるか前から「道が交わる場所」だったわけです。
青梅橋はなぜ消えた?現在も見ることはできる?
青梅橋そのものは現在残っていません。1963年5月、野火止用水の玉川上水分水点から下流約2kmが暗渠化され、橋も姿を消しました。
ただし歴史が完全に消えたわけではありません。現在も「青梅橋交差点」という名称が残り、東大和市桜が丘1丁目1415番地付近は「青梅橋跡」として東大和市の史跡に指定されています。
暗渠上へ移された、かつての橋の欄干の一部も残されています。駅からほんの少し歩くだけで、昔の駅名につながる痕跡を探すことができます。
なぜ1979年に「東大和市駅」へ名前を変えたの?
東大和市が紹介している当時の市報によると、駅名変更を求めた理由は大きく2つありました。
| 理由 | 背景 |
|---|---|
| 「青梅」の名前が紛らわしい | 多摩地域に「青梅」を含む駅名などがあり、行き先を間違える不都合が起きていました。 |
| 東大和市の玄関口だった | 利用者の多くが東大和市民で、市を代表する駅として市名を冠する意味が大きくなっていました。 |
そして1979年3月25日、「青梅橋駅」は「東大和市駅」へ改称。西武鉄道の公式「駅名の変遷」にも、1950年5月15日の青梅橋駅開業と、1979年3月25日の東大和市駅への変更が記録されています。
さらに翌1980年には高架化工事も完了しました。駅名も駅の姿も、ほぼ同じ時期に大きく変わったことになります。
東大和市駅から「青梅橋」の痕跡を歩いてみる
駅名の歴史だけなら数分で読めますが、このテーマは現地を少し歩くと一気に立体的になります。
西武拝島線・駅番号SS32。駅住所は東大和市桜が丘1-1415-1です。駅にはエレベーター、エスカレーター、バリアフリートイレなどもあります。
駅東側へ。かつて青梅街道と野火止用水が交差していた場所です。現在は水面も橋も見えませんが、「青梅橋」の名前が残っています。
周辺には橋の欄干の一部や、江戸時代の道筋を伝える庚申塔などが残されています。道路を横断する際は交通に注意してください。
「大きな昔の橋が保存されている場所」を想像すると少し違います。現在の見どころは、交差点名、史跡、欄干、暗渠となった用水など、小さな痕跡をつないで昔の風景を想像するタイプの街歩きです。
「青梅橋」という名前は、駅から消えても街に残った
1979年に駅名が変わってから、すでに40年以上。「青梅橋駅」という名前を日常的に使う人は少なくなりました。
それでも、青梅橋交差点や史跡、暗渠となった野火止用水をたどると、昔の駅名が単なる鉄道雑学ではなく、この場所の地形と交通の歴史そのものだったことが分かります。
駅名が街の名前を作ることもあれば、街に昔からある名前を駅が受け継ぐこともある。東大和市駅は、その両方を一つの駅で見ることができる場所です。

SNS・口コミ・街歩き記録ではどう語られている?
青梅橋は姿を消してから半世紀以上経っていますが、昔の路線図や街歩きをきっかけに「東大和市駅=旧青梅橋駅」を知る人は今もいます。
昭和50年の路線図に「青梅橋」を発見
Xでは、古い西武線の路線図を見て現在の東大和市駅が「青梅橋」だったと初めて知ったという投稿が確認できます。旧駅名が鉄道ファンの記憶を掘り起こすテーマになっています。
暗渠を歩くと駅名の意味がつながる
西武沿線を歩いた記録では、現在は見えない野火止用水と青梅橋の位置関係、旧線跡などをたどる街歩きが紹介されています。
現在の駅前は生活拠点としての顔も
Yahoo!マップの利用者投稿では、駅前の店舗やBIG BOX東大和、時間帯による駅周辺の混雑など、現在の東大和市駅の日常的な使われ方について触れる声があります。
昔の青梅橋周辺をもっと深く知る
東大和デジタルアーカイブでは、青梅橋と野火止用水、古い道、周辺の歴史をさらに詳しくたどることができます。