ひばりヶ丘駅はなぜ「田無町駅」から改称?ひばりが丘団地が変えた駅名と街の歴史
西武池袋線のひばりヶ丘駅は、開業した1924年からずっとこの名前だったわけではありません。 最初の駅名は、なんと「田無町駅」。現在の西武新宿線「田無駅」と混同しそうな名前ですが、 1959年に巨大住宅地「ひばりが丘団地」が誕生した時代に合わせ、現在の「ひばりヶ丘駅」へ改称されました。 西武鉄道の公式な駅名変遷では、1924年6月11日に田無町駅として開業し、1959年5月1日にひばりヶ丘駅へ変更されたことが確認できます。
「ひばりヶ丘」という駅名は、1959年に誕生した「ひばりが丘団地」とほぼ同時期に生まれた名前です。
日本住宅公団による大規模団地の造成が街の性格そのものを変え、 それまでの「田無町」という駅名から、新しい住宅都市を象徴する「ひばりヶ丘」へ。 駅名の改称は、戦後の郊外住宅地が一気に形成されていった時代を映す出来事でもあります。
西武鉄道・西東京市・UR都市機構などの公開情報を確認しています。
点数ではなく、この場所の特徴を6方向の感覚で表しています。
交通の便利さ
池袋線の急行停車駅で都心アクセスが良い
日常の買い物
大規模団地開発が駅名と街の形成に大きく影響した
外食・カフェ
駅周辺に買い物施設が集まっている
子育て環境
団地再生で残された緑や公園が街に広がる
自然・散歩
1924年開業から100年以上の鉄道史がある
地域のにぎわい
駅前や商業施設周辺では時間帯により人通りが多い
#01 NAME HISTORY
ひばりヶ丘駅は、本当に昔「田無町駅」だった
西武鉄道の公式資料を見ると、現在のひばりヶ丘駅は1924年6月11日、「田無町駅」として開業しています。 2024年には開業100周年を迎え、西武鉄道と西東京市による記念企画も行われました。
そして開業から約35年後の1959年5月1日、「ひばりヶ丘駅」へ改称。 西東京市図書館には1955年に撮影された「田無町駅」の写真も残っており、 現在とは違う駅名が掲げられていた時代を実際の記録から確認できます。
| 現在の駅名 | ひばりヶ丘駅 |
|---|---|
| 路線 | 西武池袋線 |
| 開業 | 1924年6月11日 |
| 開業時の駅名 | 田無町駅 |
| 改称 | 1959年5月1日 |
| 所在地 | 東京都西東京市住吉町3-9-19 |
| 駅番号 | SI13 |
「田無町駅」と「田無駅」は同じ駅ではないの?
同じ駅ではありません。現在の田無駅は西武新宿線、ひばりヶ丘駅は西武池袋線です。
さらに面白いのが開業順です。田無町駅、つまり現在のひばりヶ丘駅は1924年開業。 一方、現在の田無駅は1927年に開業しています。 「田無」の名前を先に駅名として名乗っていたのは、実は池袋線側の現在のひばりヶ丘駅でした。
#02 WHY?
なぜひばりヶ丘へ?きっかけは巨大な「ひばりが丘団地」
駅名が変わった1959年は、街にとって大きな転換点でした。 日本住宅公団が「ひばりが丘団地」を整備し、大規模な入居が始まった年です。
UR都市機構によると、旧ひばりが丘団地は西東京市と東久留米市にまたがる約33.9ヘクタールの敷地に広がり、 住宅戸数2,714戸という規模を持っていました。 当時の住棟は184棟。団地内には公園、学校、スーパーなども整えられ、 戦後の新しい郊外生活を象徴する住宅地になっていきます。
地元・ひばりが丘北口商店街が公開している駅周辺年表でも、 「1959年5月1日、ひばりが丘団地の造成に伴い『ひばりヶ丘駅』に改称」と整理されています。
駅の近くに団地ができた、というだけではありません。 巨大団地の誕生によって周辺の人口・商業・道路・交通が変化し、 新しく生まれた街のイメージそのものが駅名にまで反映された、と見ると分かりやすい歴史です。
#03 TIMELINE
1924年から現在まで|駅と団地の100年を追う
- 1924年6月11日 武蔵野鉄道の「田無町駅」として開業。椎名町、中村橋、清瀬の各駅と同じ日に開業しました。
- 1946年 保谷〜田無町間が複線化。戦後の輸送力増強が進みます。
- 1953年 田無町〜東久留米間も複線化されました。
- 1959年 ひばりが丘団地が誕生。5月1日には田無町駅が「ひばりヶ丘駅」へ改称されます。
- 1960年 当時の皇太子ご夫妻がひばりが丘団地を視察。西東京市図書館にも当時の写真記録が残されています。
- 1999年〜 UR都市機構による団地再生事業が進み、旧団地の建て替えが始まりました。
- 2012年 UR賃貸住宅の建て替えが完了し、「ひばりが丘パークヒルズ」へと再生しました。
- 2020〜2021年 ひばりヶ丘駅の改修が進み、2020年12月に駅舎改修工事が完了。2021年7月には「エミオひばりヶ丘」がスケールアップオープンしました。
- 2024年 開業100周年。西東京市と西武鉄道が連携した記念式典や企画が行われました。
#04 DEEP GUIDE
なぜ団地はそこまで注目された?「団地=憧れ」だった時代
今では「団地」という言葉から、昭和の住宅地を思い浮かべる人もいるかもしれません。 しかし1950〜60年代、団地はまったく違うイメージを持っていました。
鉄筋コンクリートの集合住宅、水洗トイレ、内風呂、近代的な台所。 さらに学校やスーパー、公園などが計画的に配置された住宅地は、 当時の都市生活者にとって新しい暮らしのモデルでした。
UR都市機構は、ひばりが丘団地を首都圏初期の大規模団地として紹介しており、 2,714戸の住宅と生活施設を備え、その後の団地づくりのモデルになったと説明しています。
1960年9月6日には当時の皇太子ご夫妻が団地を視察。 西東京市図書館には、その日の写真も現在まで保存されています。
駅名まで変えたのは、それだけ団地の存在感が大きかったから
「団地の近くにある駅」というより、1959年以降のひばりヶ丘では、 団地開発を中心に新しい住宅都市そのものが形づくられていきました。
だからこそ「田無町」という従来の地名を冠した駅から、 新しい街の象徴である「ひばりヶ丘」へ。 駅名の変更を追うだけで、戦後の東京郊外がどう変わっていったのかが見えてきます。
#05 OLD & NEW
昔の団地は消えた?現在は「ひばりが丘パークヒルズ」へ
1959年に完成した住棟が、そのまま現在まで残っているわけではありません。 建物の老朽化などを背景にUR都市機構が1999年から団地再生事業を進め、 2012年までにUR賃貸住宅の建て替えが完了しました。
現在の名称は「ひばりが丘パークヒルズ」。 建物は大きく変わりましたが、旧団地時代から育ったサクラやケヤキなどの緑を生かしながら、 団地の記憶を継承する再生が進められています。
ひばりテラス118
旧団地の住棟を活用した地域拠点。 建て替えですべてを消すのではなく、団地時代の建築を新しい地域コミュニティへつないでいる場所です。
ひばりが丘パークヒルズ
旧ひばりが丘団地の再生によって誕生。 大きく育った樹木とゆとりある空間に、マンモス団地時代の都市計画の面影を感じられます。
#06 STATION TODAY
現在のひばりヶ丘駅は、団地のためだけの駅ではない
現在のひばりヶ丘駅は、西武池袋線の主要駅のひとつです。 西武鉄道では池袋まで一般電車で約15分と案内されており、 駅構内にはエミオひばりヶ丘、駅前には商業施設が集まります。
2020年12月には駅舎の改修が完了し、北口・南口のエスカレーターやトイレなども改修。 2021年には駅ナカの「エミオひばりヶ丘」も拡張されました。
1924年の「田無町駅」、1959年の団地開発、そして現在の急行停車駅。 100年以上の時間の中で、ひばりヶ丘駅は「田無への入口」的な駅名を持つ時代から、 独立した街の名前を持つ駅へと変わってきたことになります。
SOCIAL VOICES / ARCHIVE
写真と記録で見る「昔のひばりヶ丘」
BEFORE YOU GO
街歩きするなら「駅→旧団地方面」の順が分かりやすい
駅名の歴史を現地で感じたいなら、まずひばりヶ丘駅から南側へ出て、 旧ひばりが丘団地方面へ向かうのがおすすめです。 URの案内では、ひばりが丘パークヒルズは駅から徒歩約15分、バスでは約6分とされています。
駅前の現在の街並みから住宅地へ歩いていくと、 「一つの巨大団地ができたことで、駅名まで変わった」という話が、 単なる鉄道トリビアではなく街全体の歴史だったことが分かりやすくなります。
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SUMMARY
「ひばりヶ丘」という駅名そのものが、戦後の街づくりの記念碑
ひばりヶ丘駅の歴史を振り返ると、 1924年の「田無町駅」→1959年の「ひばりヶ丘駅」という駅名変更の間に、 この街の大きな転換点が隠れています。
2,714戸規模のひばりが丘団地が生まれ、人口が集まり、商業や道路が整い、 「ひばりが丘」という新しい街のイメージが定着していく。 駅名はその変化を象徴するように変わりました。
現在、旧団地の多くは建て替えられています。 それでも「ひばりヶ丘」という駅名は残り続けています。 そう考えると、この駅名そのものが昭和の巨大団地開発が街に残した、一番大きな記念碑なのかもしれません。
